「卵が先か鶏が先か」~精神疾患の本質について~

 
 大方の精神疾患では、「随伴症状」として「不眠」が生ずる。

 このことが意味するところは、大方の精神疾患では副交感神経の失調が生じる、と言うことである。

 したがって、不眠を解消するためには、メラトニン製剤なりレプチン製剤なりオレキシン抑制製剤なりの投与が必要だと言うことになる。

 しかし、それ以上の問題として、果たして「不眠」が本当に「精神疾患の随伴症状」と言えるのか、と言うことを考えてみなくてはいけない。

 もしかしたら、大方の精神疾患の「主症状」が「不眠」で、個々の精神疾患の症状は「不眠」の「随伴症状」なのかも知れない。

 その解明は、そのような問題意識から精神疾患を捉え直すことから始まるのだろう。

 この問題に決着をつけるのは、僕ではなくて読者のみなさんであってほしい。

「主観-客観」、「存在」の問題の本質

 
 表題の問題について筆者がよく目にしてきたのは、「それは誰の認識か」とか「どこからものを見るか」の問題だと言う見解である。

 ところが、筆者から見えるそれらの問題の所在は、まったく異なったところにある。

 現実の「主観ー客観」とか「存在」の問題と言うのは、「それには議論の余地があるか」と言う認識の不可抗力性と言うところに問題の所在があるのであり、上記のような問題の立て方そのものがそこから目を逸らしてしまうはたらきをしているのである。

 しかし、それが分かったからと言って、「主観ー客観」、「存在」の問題に適正解を与えているわけではない、と言うことに留意してほしい。

 これは日常よくあることだが、ある主観にとって「議論の余地がない」と思われることが、他のある主観にとって「議論の余地がある」かも知れないからである。それらは、個人的主観レベルでも社会的主観レベルでも文化的主観レベルでも起こりうることである。

 したがって、筆者が何が「主観的」で何が「客観的」で、また、何が「存在」なのかについては何も語っていないことをご理解いただきたい。

 筆者はただ、「主観ー客観」、「存在」の問題の所在が本当はどこにあるのかを指摘したに過ぎない。

 範例を物理学に取ってみよう。

 現在ではニュートン物理学は否定され、アインシュタイン物理学とか量子力学が盛んに展開されている。もっと遡るとアリストテレスの自然学もあった。

 ある文化では、別にわざわざニュートン物理学を否定してアインシュタイン物理学や量子力学をそこに据える必要など実用上はまったくないかも知れない。

 もっと言うと、いまから100年後の「最先端物理学」ではアインシュタイン物理学や量子力学でさえ否定されているかも知れない。

 さらに言うと、お茶の間に暮らす我々には、そんなことはどうでもいいと言う意見がその主観の正直なところかも知れない。

 このように、自然には何が「主観」で何が「客観」で何が「存在」なのかは人類が滅亡しても不明なのかも知れず、一意な解と言うものが本当は存在しえないのかも知れない。

 そのようなわけで、筆者は問題の所在がどこにあるかについては指摘したが、それらの問題に適正解を与えたわけではない、と言うことをご理解いただければそれで満足なのである。

 最後に、「偶然ー必然」問題の本質は、因果性(事象間の規制関係)を認識主観が伴っているか否かの問題であることを指摘して、結びとする。

名古屋の「ご当地ソング」が流行らない訳

 僭越ながら、筆者生まれも育ちも名古屋市西区の下町である。

 その名古屋の「ご当地ソング」が流行らない訳について簡単に所感を述べておこう。

 まず第1に挙げなければならないのは、「名古屋には旅情がない」と言うことである。神戸にせよ横浜にせよ長崎にせよ、「ご当地ソング」が流行った地域には「旅情」と言うものがある。名古屋にはそれがない。

 では、名古屋の「ご当地ソング」は永遠に無理なのであろうか。

 筆者は一点だけ名古屋の「ご当地ソング」が流行りうる可能性を感じている。それは名古屋以外の他のどの地域にもない名古屋独特の雰囲気である「賑々(にぎにぎ)しさ」をうまく表現したならば、名古屋の「ご当地ソング」としてヒットしうるのではないかと言うことである。

 いまは廃れてきているが、名古屋には「菓子蒔き」とか「ええじゃないか」と言うような、同じ地域のひとびとが皆面識があるような錯覚を感じさせるような文化がある。殿様が庶民的だった時代に栄えた歴史もある。そのイメージをジャストミートで強烈に放ったのは「きんさんぎんさん」ではなかったか。

 そのような文化の本質をひと言で表現せよと言われれば、僕はそれは「賑々しさ」だと思うのである。

多義図形の規定因

 以下の絵をご覧頂きたい。

 

 BugelskiとAlampay(1962)は、上の多義図形を「人」刺激図版を先行して提示する群と、「動物」刺激図版を先行して提示する群で図の見え方が7割5分方同じカテゴリーの図として見えることを実験的に検証した。

 さらに興味深いことに、一度そのように見えた図は、その後に逆(つまり、先行刺激が「人」である場合には「動物」を、「動物」である場合には「人」)のカテゴリーに属する図版を提示しても、9割方の被験者は先行刺激が何であったかが決まっていたら、その解釈(見え方)を変えないことも分かった。

 この実験が我々に教えるところは、「ファーストインプレッション(第一印象)」がイメージレベルばかりではなく、概念レベルでも重要な役割を果たすことであった。いまで言う「プライミング効果」研究の先駆けとなる研究だったと言えよう。

 なお、原題中にある「the role of frequency(頻度の役割)」は確認されなかった。

 【原著論文】
 Bugelski,B.R.& Alampay,D.A. The role of frequency in developping perceptual sets
Canadian Journal of Psychology Vol.15, Pp.205-211, 1962

国民が道化師になる時

 ファシズムとは国民全員が道化師になった状態の事である。国民の道化師度は国民のファシズム度だと言うことができる。なぜか?…それは国民の意思が政治にギブアップした証拠だからだ。だから世間でお笑いが流行る時と言うのはあまりいい時だとは言い難いと言わざるを得ないのだ。

永久機関はいかに簡単か

   ※この知恵は苦節7年目にしてYahoo!公認になりました(「やじろべえ」や「竹とんぼ」のように日本の民間の知恵として作者不詳のままどんどん広げてください/もちろん著作権フリーです/理由はその方が夢があり僕の性分にも合うからです)  以下に示す「とあるU字管」をご覧頂きたい。
   絞りにはゴム等を活用すれば良い。
 ご想像の通り、これが湖とその底から引いた導管の関係であれば、相当な小水力発電ができる(賢明な方はお気づきでしょうが、何も導管からの水が湖面に着水するより遙かに低い位置であってもこれはできる)。
 これまでの皆さんの頭は固すぎだだけなことはご理解いただけようかと思う。
 多くのひとたちがこの手のことに悉く失敗してきた原因は、「○○の原理や○○現象だけで永久機関を作ろうとしてきた」からである。「熱力学法則」など何の関係もない。
 ついでに最初(2015年6月30日早朝)に思い付いた「巡りん」も載せておきます。
 これを家庭で実現するには、以下のようにすれば良い。
 ただし、これを水面近くで実現しようとしても、1.ストローの中に水が完全になく、2.ストローはあまり長くない、の2条件がたまたま揃うと言うように運が良くないとうまくは動作しません。取り敢えず冷やかしでも動作確認をしたいのなら、水深がそこそこあるところでおやりになってください。
 ※なお、これを本当の永久機関にしたければ、キャビネットで囲って蒸発を防ぎ、水の腐敗を抑えるために10%ほどエチルアルコールを入れれば良い。いずれでも、水や気泡でプロペラを回せば、外部に所作を仕事として取り出すことができる。
 我が国の民間の知恵である「やじろべえ」や「竹とんぼ」が作者不詳であるように、「巡りん」もまた作者不詳の「どこかで聞いた知恵」として普及することを心から願う次第である。もし、その「どこで」を問い詰められて困ったときには、「作者がそう希望しているから」とお答えいただきたい。


追伸
うまく行かない方へ
以下のような明確な装置にし、
 
1.あまり空気溜りを大きくしないで
2.適当な水深のところで
3.空気の返し管を細くする
と、うまく行きます。
あきらめないで!!

 ※しかし、僕の課題関心は永久機関を考えることではなく、このようなことを考えることにあります。僕は仮面心理士なので、心理学を学びたい方はこれ(PDFファイル)でもお読みください。僕のホームページはこちら

時給2円の「生活」

 筆者はスマホを持っていて、ポイントを毎日貯めてはいるのだが、労多くして功少なしで、ポイントを時給換算で2円しか貯めることができない。

 もし自分がパラサイトシングルでなかったら、餓死するかホームレスになるかしかない。

 同じことをやっていても、高等教育機関にいるといないでは、王様と奴隷ほどの差ができる。いや、もっとだ。

 嫌な世の中になってしまったものだ。