旧制弘前高等学校校歌・弘前大学北鷹寮寮歌

 
 旧制弘前高等学校校歌「虚空に羽ばたき」
            作詞 土井晩翠
            作曲 弘田龍太郎

 虚空に羽ばたき 南を図る
 大鵬われらの 徽章とかざす
 紅顔抱かん 理想の高き
 譬へか岩木の 偉大の姿

 高山仰ぎて 景行向かふ
 いにしへもろとも 此道ひとつ
 力を蓄え 心を練りて
 本土の北より 嵐の如く

 希望に溢れて 光栄めざし
 健児よ活きたる 世界に駆けよ
 見よ見よ文明 進みてやまず
 青春わが身に 只この一度

 
 
 

 弘前大学北鷹寮寮歌「白明のうた」
             作詞 吉田昭二
             作曲 高橋司

 古城のほとり 老松の
 囁き常の 友として
 霊峰仰ぐ 朝には
 迷いの夢も 去りぬべし

 希望の影も 遙かにて
 妙なる虹の いたずらに
 映えて虚しく 消ゆるとも
 汝が太陽は なほ燃えん

 悲哀の雲は 地を掩うて
 吹雪は夜半に 吠ゆる時
 北鷹の舎に 灯はともり
 生命の華を 咲かせなん

関根豊松に僕が言われたこと

  
 僕は天理教その他いかなる宗教とも無関係である。だからいかなる超能力もいらない。

 「関根豊松」でググると、いろいろな彼の超能力とか説話が出てくると思うが、僕は彼の言行が支離滅裂に感じられたので、彼に対する印象はネガティヴと言う他はない。

 ただ、彼の超能力が「プラシーボ効果」によると言う仮説が間違っていることは明確に断言しておく。なぜなら、彼による治病が有効だったほとんどのひとは、その親類縁者が彼に治病を嘆願したケースがほとんどだったからである。したがって「プラシーボ効果(バーナム効果)」がはたらく余地はなかったと考えるべきであろう。

 これは彼の講話を直接聴いた者でないと分からないと思うが、とにかく屁理屈とこじつけが多いのであった。具体例を挙げると、「ハイと返事できないひとは肺病にかかる」とか「頑固なひとはがんになる」…である。おそらくこれらの屁理屈と言うかこじつけは、彼が見た一例だけを取ってそう言っていたように思われる。

 加えて、世界の真の姿と言う意味でだと、ロスチャイルド家による世界の経済的植民地化など不思議なことに決して語られることのない大問題や深刻な社会弱者(ホームレス、貧富の格差など)の問題などには一切触れずに人間を語ることは、決して世のため人のためにはならないのに、それらは一切「因縁」のひとことで片付けられていた。彼を超能力者にした天と言うものそのものの眼力がおかしいと感じるのは僕だけであろうか。天と言うものには骨がないのであろう。

 天理教の掲げる「陽気ぐらし」と言う理念にも大きな疑念がある。天国をみているひとと地獄にあるひととでは正直な心情はまったく違うはずである。それを無視した「陽気ぐらし」と言う理念には同意できない。僕は苦労は好んでするものだとは思わないが、苦労が苦労たり得るのには、それが本当に苦労だからであろう。人生に春秋がなければ苦労は功徳たり得ない。このように、人生を大きなところから見ると、「陽気ぐらし」と言うのは、人生の功徳たり得る苦労(それは決して生やさしいものではない)のプロセス的な全否定なのではないか。例を挙げると、徳川家康の人生は断腸の思いの連続であったが、彼が「陽気ぐらし」などと浮世離れした考えを持っていたわけではない。また、アメリカ人は陽気でオープンだと言われる。彼らの陽気さの影には相当な性的乱脈も見られ、一概に陽気であることが人間の正しさを担保してくれるわけでもない。

 天理教では人間は「泥海」から産まれたと言う。僕には僕なりの人間の誕生についての見解(現在のような海水ミネラルと特定の周波数、そしてその環境を作ったシアノバクテリアによって育まれたナマコ類が転成した海中は虫類が人間の祖先)があるが、もし人間が「泥海」とかかわるとすれば、それは人間の誕生においてではなく、滅亡のときのことだと思える。天理教の教義を聞いていて僕が不快に思うのは、何とでも言えることを何とでも言えるようにかなり大風呂敷で説いておいて、いつも「科学でもそう言われている」と自説の傍証として無批判に科学を使い、自己を正当化する心の醜さである。かく言う僕は、人間の思考と言う枠内では科学を信奉する人間でもなければ学問を信奉する人間でもない。彼らには放縦な「科学」や「学問」の弊が良く分かっていないように見える。僕は教義とか教条とかの名をまとったイデオロギーには嫌悪感を覚える。それがどれだけ人間の自由を踏みにじってきたことかと。これは宗教に限らずあらゆる人間の活動に言えることだが、「人間をある思想に丸め込む」と言う心性は、どけだけ人間の良き可能性を封じてしまっていることだろう。外面ではなく自分の肚のうちに(それがどんなに微妙な問題であろうとあらゆる問題についての)善悪(いや、善悪だけはない)がない人間は、倫理的にも道義的にも、ひとり野に放り出されたとき、きわめて弱い人間であることを彼らは理解しているだろうか。

 宗教とかイデオロギーと言うものは、まさに「人間をある思想に丸め込む」ことなしには成立しない。結果として人間個々人の地力は落ち、了見が狭くなる。そのせいか、僕が若い頃に天理教に集まる若者たちを見ていて痛切に分かったことは、彼らの心はとても鬱屈していて息苦しいものだったと言う現実である。それで良く思ったのは、このひとたちに「陽気暮らし」などと言う絵空事はとても無理だと言うことである。何だかまるで彼らは収容所に集められた囚人の観があった。その意味で特に印象に残っているのはG君兄弟である。彼らは自分の翼をまったく広げることができていなかったように強く感じた。

 関根の「鉄拳制裁」は知るひとには良く知られたことだが、そのような奢った態度で「愛町」を名乗る資格があるのか。少なくとも僕の理解では、愛とはそう言うものではない。そしてそこからして呆れたことに、そうして「育て」られた彼の弟子に、ひとりも彼に伍する人物は現れはしなかった。とすると、彼の超能力は、およそ「徳」とか「道」の問題などとは何ら関係のない、ただの生まれつきの素質としか考えられない。彼の言説と超能力は完全に切り離して考えられなければならない。

 そんな彼に、ガキの僕が言われた唯一のことは、「この子は賢いよ」の一言であった。

 当たってはいまいが、遠いガキの頃の思い出話である。

 彼は大変苦労した人間であったが、僕も苦労その一点においては病苦・ホームレス生活・犯罪被害…と負けてはいないと自負している。ただひとつ彼と僕を分けるのは、願いが叶う人間(関根)か叶わない人間(僕)かである。この両者の個性は、「力」と言う一点において、対決の名からはほど遠いものである。何せ僕には超能力はないのだから。

 関根は上述の通り、人助けの力を得ていることで他にマウントを取るようなところがあった。それは正しくはない。だが、僕にもひとりの人間として良く分かるのは、神の懐に抱かれ人助けができる人間になると言うのは、人間にとって最高の幸せであって、関根が人助けをやめられなかった心理と言うものは僕なりにでもとても良く分かる気がする。やはりそれは人間にとって最高の生きがいであることだけは間違いない。

 僕は関根のようなご神徳には与れなかったけれど、代わりにこんなことをやっている(ホームレスがお金なしに生活できる程度までは仕上げてある…これで「生活に困ったら宗教に」と言うひとは減らせると思う)。その方が僕の水には合っている。繰り返すが、宗教やイデオロギーは人間としての地力や了見を落とすばかりではなく、その枠は生活のあり方が特定の人間の発案に傾きがちになりルーティーン化してしまい「これは問題でこの方が良い」と校合されなくなり、「そのひとの味」を消してしまう。宗教やイデオロギーではなく、僕には限りない自由があるからそれができる。宗教やイデオロギーでは教義教条と言う「踏み絵」を踏まされることなくその恩恵に与ることは無理である。

 僕は関根の肉声を聞いた最後の世代である。

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僕の人生展望

 
 僕が死んだら、僕のことは以下のように語られるであろう。

 「願いの1つも叶わないまま病魔で踏んだり蹴ったりの波乱に満ちた人生を一銭も儲けることなく閉じた」

 まぁこの国、1万人中9999人はそうだろうと思うけど。

 いまは七夕のあと。

 ※僕のしてきた「仕事」はこちらの通りだが、(僕自身が気付いた知恵はすべてノーコピーライトにもかかわらず)何一つ社会的に実現していない。

 だからもっと短く言うと、僕の人生は「現実のない人生」。それで分かるのは人間は「心の動物」などではなく、「現実の動物」だと言うこと。

名古屋の「ご当地ソング」が流行らない訳

 僭越ながら、筆者生まれも育ちも名古屋市西区の下町である。

 その名古屋の「ご当地ソング」が流行らない訳について簡単に所感を述べておこう。

 まず第1に挙げなければならないのは、「名古屋には旅情がない」と言うことである。神戸にせよ横浜にせよ長崎にせよ、「ご当地ソング」が流行った地域には「旅情」と言うものがある。名古屋にはそれがない。

 では、名古屋の「ご当地ソング」は永遠に無理なのであろうか。

 筆者は一点だけ名古屋の「ご当地ソング」が流行りうる可能性を感じている。それは名古屋以外の他のどの地域にもない名古屋独特の雰囲気である「賑々(にぎにぎ)しさ」をうまく表現したならば、名古屋の「ご当地ソング」としてヒットしうるのではないかと言うことである。

 いまは廃れてきているが、名古屋には「菓子蒔き」とか「ええじゃないか」と言うような、同じ地域のひとびとが皆面識があるような錯覚を感じさせるような文化がある。殿様が庶民的だった時代に栄えた歴史もある。そのイメージをジャストミートで強烈に放ったのは「きんさんぎんさん」ではなかったか。

 そのような文化の本質をひと言で表現せよと言われれば、僕はそれは「賑々しさ」だと思うのである。

時給2円の「生活」

 筆者はスマホを持っていて、ポイントを毎日貯めてはいるのだが、労多くして功少なしで、ポイントを時給換算で2円しか貯めることができない。

 もし自分がパラサイトシングルでなかったら、餓死するかホームレスになるかしかない。

 同じことをやっていても、高等教育機関にいるといないでは、王様と奴隷ほどの差ができる。いや、もっとだ。

 嫌な世の中になってしまったものだ。

心理学難民(パラサイトシングル57歳のぐだめき)

 

嘘は書けないので、率直に書きます。

ハッキリ言います。僕のような心理学の学部卒は、100人に1人も心理学を生業にして生きてゆくことはできません。

僕は人生に不器用なので、そのせいでホームレスも何年か体験しました。末尾に載せてある「講座 心理学概論」をご覧いただければそれが良く分かると思います。

僕が社会で感じることは、心理学の学部卒は実社会ではチンカス扱いだと言うことです。この傾向は、特に一般心理学を学んだひとびとの明日に、目を覆うばかりの惨状を生み出しています。なので、「心理学で飯を食う」と言うことは諦めてください。心理学を学ぶことで、蠅にも劣る人間が増えていく、と理解してください。

高等教育機関で心理学を教えている先生方は、心理学が実社会でどう役立つのかなど考えてはいません。つまり、彼らは我々のような市井の心理士の人生に責任なんて持ってはいません。彼らは、実社会では何の効力もない「心理学検定」とか「認定心理士」とかの資格を作ってボロ儲けしています。要するに、彼らや学会は、自分たちの地位と利益にしか関心がないと言うことです。

昨今は「心理学ブーム」で、非常に多くの高等教育機関に心理学部とか心理学科がありますが、この結果、巷には非常に多くの、と言うより大方の心理学部・心理学科卒業生の「心理学難民」が生まれています。

その原因は、高等教育機関の先生方が差別によって選別されてきた人間であり、この差別をますます明確で強固なものにしようと日々励んでいるところにあります。僕のような在野の心理士ではこのような差別を作ることは無理なのです。

よく、「心理学は就職に不利」と言われますが、それは真実です。ハッキリ言うと、それは就職に際して何の役にも立ちません。かなり社会の底辺の仕事にしか就けないと言うことです。事実僕は自分の学歴で唯一就いた仕事はトイレ清掃の仕事だけでした。そこで、我々のような人間の人生の参考になるように、これも僕のブログの記事「ホームレスの方々の生計を立てるには」も載せておきます。

僕は心理学を学んだことを後悔しています。もっと実学を学べば良かった、と。

社会に学部卒一般心理学の受け皿は存在しない。

「講座 心理学概論」

「ホームレスの方々の生計を立てるには」

半年前に裏庭に株分けしたドクダミ

 昨年の暮れに裏庭のキンモクセイの根回りに株分けしたドクダミが見事な見頃を迎えています。

 写真からは想像できないかも知れませんが、よほど栄養が良かったのか、葉っぱが大人の手のひら大ほどまでに成長し、いままで見たことがない巨大な葉っぱをつけています。

 昨年暮れに発見した倒れたユリ科の草本の横に、スックと新たな同じ種のユリ科の草本もスクスクと育っています。

 驚きとともに、喜びもひとしおです。ユキノシタなんかもそうですが、僕はドクダミのように生き方というかあり方がシンプルでストレートな植物が好きです。

脱腸(そけいヘルニア)

 僕の父方の祖父は、将棋3段でガキの頃当時の尋常小学校で1番2番を争うほど僕とは天と地の差があるほどの優秀な御仁で、その1番2番を争っていた相手がなんと京都大学名誉教授で文化勲章受章者だと言うので、ちょっとにわかには信じられないことでしょう。

 その祖父の親父、つまり僕の曾祖父はかなりの豪傑で、僕の祖父を連れて大阪の鉄道環状線の駅と駅の間を鉄くずを拾って生計を立てる反面、ひどい博打好きで、いつも祖父は僕にそのような苦労話を言い聞かせていたのを懐かしく思い出します。

 で、僕の親父を除いては、曾祖父、祖父、そして僕とみな脱腸(そけいヘルニア)で、片方の睾丸が異常に大きいので分かるばかりでなく、この病気の一番の症状である下腹部の違和感が常に伴っておりました。

 曾祖父は脱腸を抱えたまま天に召されましたが、僕の祖父は90歳を過ぎてから、僕は45歳を過ぎてから手術によって脱腸を治しました。

 最近は女性でもこの病気で悩んでいる方も多いと聴きましたので、そこそこ大きな病院で早めの手術を推奨いたします。

 まぁ、祖父や僕の脱腸は隔世遺伝なのでどうしようもありませんが、祖父の持っていた優秀さは残念ながら僕には遺伝しておりません。

 僕も病院でもらえる「症」は10個ぐらいいただいておりますが、それらは賞金や賞品のもらえる類いの「賞」ではないので、かかった医療費は大変なものでした。

 たぶん、病気をひとつも持っていない方は珍しいと思います。我々のような人間はどうやって病をだましだましなだめながら生きてゆけるかが人生の大きな課題だと言うべきでしょう。