シソーラス「講座 心理学概論」

 

 本書庫を読まれるときに、末尾の方の記事から表示され、目的の記事に辿り着きにくい、と思われる向きもあろうかと思いますので、本記事の章を以下にお示しいたします。

 目的の記事に行くために、検索窓でその章の「○○心理学」と検索いただきますと、何かと便利でしょう。

 第1章 神経心理学(全13節)

 第2章 心理学研究法(全21節)

 第3章 心理学史(全18節)  

 第4章 感覚心理学(全7節)  

 第5章 学習心理学(全11節)  

 第6章 知覚心理学(全16節)  

 第7章 認知心理学(全15節)  

 第8章 感情心理学(全13節)  

 第9章 発達心理学(全15節)  

 第10章 社会心理学(全15節)  

 第11章 人格心理学(全9節)  

 第12章 臨床心理学(全10節)

 

 以上、ご案内まで。

 

 おまけ:講義中の僕

 

講座 心理学概論 12 臨床心理学 10 その他の心理療法

 さて、長らく続いてきたこの「講座 心理学概論」もこの節で完結となる。  

 最後のテーマは、「その他の心理療法」である。  

 その他の心理療法を8つに大別して概観する。1つ目に「フォーカシング」、2つ目に「エンカウンターグループ」、3つ目に「コミュニティアプローチ」、4つ目に「箱庭療法」、5つ目に「論理療法」、6つ目に「トークンエコノミー法」、7つ目に「心理劇」、最後に「日本の心理療法」を見てゆく。  

 ロジャーズの弟子のジェンドリンは「体験過程論」と言う視点から「フォーカシング」と言う心理療法を考え出した。漠然と感じている何とも言いようのない心理的感覚を「フェルトセンス」と呼び、これを徐々に明確化していく作業のことを「フォーカシング」と呼んでいる。主に人格的成長を志向するひとびとに行われる。  

 ロジャーズは、「評することのない言いっ放し一期一会集団」のことを「エンカウンターグループ」と呼び、有名なところでは1985年にオーストリアのルストで行われた世界17ヶ国の政治・思想リーダーのそれがある。  

 大きく「コミュニティアプローチ」と括ってあるが、その中には家族療法とコミュニティ心理学アプローチが含まれている。  

 家族療法は、家族が患者に心理的巻き込まれの程度が高いほど統合失調症の発症リスクが高いことから注目された心理療法であり、患者への家族の接し方や感情的な巻き込まれを抑えることを教授することによって患者の症状を軽減するアプローチである。  

 コミュニティ心理学アプローチは、カプランが提唱した地域精神衛生のためのモデルである。従来の待機型の臨床心理学的アプローチではいじめや虐待などの問題に対処しきれないので、環境やシステムへの働きかけを重視する予防的・教育的アプローチで、学校教育臨床の現場では常識となっている。  

 「箱庭療法」は、心に問題を抱える子ども向けの心理治療パッケージであり、カルフが考案した57×7×72センチの内法が水を象徴する青色に塗られた箱庭の中に砂が入れられており、子どもにそこに玩具などを並べてもらい、子どもの心を忖度しながら経過を観察するプレイセラピーである。砂は治療効果があると言われている。  

 「論理療法」はエリスが創始した心理療法で、認知行動療法に似ている。「ABCDEシェマ」と言う流れで治療を進める。出来事(A)があって、誤った信念(B)があるために、おかしな結果(C)になるのを論駁(D)することによって治療効果(E)を得ようとする心理療法である。    

 「トークンエコノミー法」は、精神科病院の病棟や老人介護施設などで「トークン(代用貨幣)」を用いて患者や施設利用者が望ましい行動をしたときにご褒美としてトークンを与え、一定程度のトークンが貯まったら、物品やサービスと交換できるようにする方法である。対象者の意欲を引き出すために行われている治療プログラムの1つである。  

 「心理劇」はソシオメトリーを考案したモレノが考えた心理療法で、抑うつや神経症の治療に用いられる。クライエントの心の問題に関する即興劇を自分と補助自我を演ずる者の2者によって演ずるのであるが、補助自我者に自分の演じたそのままを演じさせる「鏡映法(ミラー)」、補助自我者と途中で役割を入れ替えて相手の気持ちを味わわせる「役割交換法(リバーサル)」、補助自我にもうひとりの自分を演じてもらう「二重自我法(ダブル)」の3種類がある。  

 最後に日本の心理療法として有名な2つの心理療法を紹介する。  

 森田正馬によって考案された「森田療法」は、患者は入院して完全な安静状態の第1期から、社会的接触の多い第4期までを経験する中で神経症を治療していく作業療法である。  

 吉本伊信によって考案された「内観療法」では、患者は屏風で仕切られたスペースであぐらをかいて食事以外の時間を「内観3項目(「世話になったこと」・「して返したこと」・「迷惑をかけたこと」)」の周囲のひとびととのかかわりを振り返って内省することによって人間性を回復しようとする心理療法である。  

 さて、長きにわたって執筆してきたこの「講座 心理学概論」であるが、校了に当たって思い出を振り返っておこう。  

 筆者ははじめは、「この仕事はライフワークになるかも知れない」と思っていた。それは、心理学と言う学問が非常に広い内容を含み、また人間および人間性についての多くの示唆を与える学問だからである。  

 それがこれほどまでに予定をはるかに超える短期間の間に書けたことはとても筆者として感慨深い。それもこれも国の指定難病である胸椎黄色靭帯骨化症への罹患によってもたらされた膨大な暇の賜物に他ならない。  

 もともとの趣旨は、心理学検定受検者に必要にして十分な心理学の知識を身に付けていただくことにあった。その趣旨がどこまで達成できたかは、彼らが心理学検定を受けるに当たってどれだけ資したかが的確な測度になるだろう。  

 最後に、心理学検定受検者のひとりでも多い合格を期して、この拙い「講座 心理学概論」の最後の言葉とする。

講座 心理学概論 12 臨床心理学 9 不安の克服

 以前この章でうつ病は全人口の20パーセントが罹患する精神疾患だと書いた。そのうちの不安障害の2つの主要な臨床心理学的治療法である「暴露法(エクスポージャー)」と「自律訓練法」をこの節では紹介したい。  

 「暴露法」は、行動療法の一種で、不安を克服するためにしばしば用いられる治療法である。  

 クライエントが不安を感じることをカウンセラーに列挙し、すべての不安事象をクライエントに点数化させ、いわゆる「不安階層表」をカウンセラーは用いて、一般的には点数の低い不安事象にカウンセラーが同席してクライエントに直面させ、不安を感じなくなるまで繰り返し、それができたところで次に不安の点数が低い不安事象をクライエントに直面させ…、と言った具合にして徐々に点数の高い不安事象に慣れさせていき、最後には一番点数の高い不安事象でも直面しても不安を感じなくなるようにデザインされた不安の克服のための心理治療法である。イメージだけの場合と現実の場合の2つの種類の不安克服法がある。  

 なお、いきなり不安点数の高い刺激にクライエントを直面させる方法を「フラッディング」と言うが、症状を増悪させこそすれ治療効果はほとんど認められないことから現在では用いられることはない。  

 日本の心療内科医の9割以上の医師が推奨する不安克服法として有名なのが、ドイツの精神科医のシュルツの考案した「自律訓練法」である。投薬以外で医師が不安障害に適用する唯一の精神療法であるので、読者の皆さんは覚えておいて損はないので、ぜひ心の片隅に置いておいていただきたい。  

 「自律訓練法」は、ある種の瞑想療法とも親和性が高く、臨床心理学的には森田療法や内観療法と併用されることもしばしばである。  

 基本的にはリラックスした姿勢で、以下の7段階の「公式」を実践することをベースとする。  

 背景公式として「自分は安静にしている」と心の中で念じながら心を安静にするのがこのテクニックのはじめにあって、順次前の公式ができ次第次の公式に入ってゆく。  

 第一公式は「手足が重い」と念じながら実際に手足が重く感じられるまでそう念じ続ける。  

 第二公式では「手足が温かい」と念じながら現実に手足が温かいと感じられるまで念じ続ける。  

 第三公式では「心臓が規則的に鼓動している」と念じ続けながらその状態を味わう。  

 第四公式では「呼吸が整っている」と念じ続けながらその状態を保持する。  

 第五公式では「お腹が温かい」と念じ続けながら実際にお腹が温かくなるまで念じ続ける。  

 第六公式では「額が涼しい」と念じ続けながら実際にそう感じられるまで念じ続ける。  

 以上の7段階の実践が自律訓練法の方法である。  

 しかし、注意点があるのでそれに留意されたい。自律訓練法の第三公式の「心臓が規則的に鼓動している」は、心臓病をはじめとする循環器疾患の患者さんには用いてはならない。また、第四公式の「呼吸が整っている」は呼吸器疾患の患者さんには用いてはならない。このことは尊守されたい。  

 自律訓練法は不安障害だけではなく、うつ病や心身症の患者などにも効果が認められており、最近の阪神淡路大信震災・東日本大震災・熊本地震の被災者の心のケアなどにも活用されている。  

 どこだったかの章で「バイオフィードバック」を紹介したと思うが、筆者国の指定難病の胸椎黄色靭帯骨化症の手術後に集中治療室にいたあいだ、心電図や脈拍・呼吸数などのバイタルサインの映し出されるモニターの下で一夜を明かしたことがある。その時気付いたことをこの節の締めくくりとして述べておきたい。  

 心拍数を一分間60以下に抑えるのに何が重要なのかが筆者にはその経験から分かった。心拍数の大きな規定因は呼吸の質である。  

 呼吸がたとい深くても荒々しいと心拍数は下がらない。呼吸が穏やかでも浅いと心拍数は下がらない。深くて穏やかな呼吸を規則的に大きくしていないと心拍数は下がらないのである。  

 これは、筆者なりの自律訓練法についてのヒントだと読者の方は受け止めていただきたい。

講座 心理学概論 12 臨床心理学 8 防衛機制

 自我が現実に適応するために用いる心の戦略のことを「防衛機制」と呼ぶ。フロイトは「抑圧」と「昇華」の2つの防衛機制を指摘していたが、その娘のアンナ・フロイトは1936年の「自我と防衛機制」の中で15の防衛機制を列挙している。この節ではそれらの防衛機制について説明しよう。   

 「抑圧」は、認めがたい感情や対象認知・記憶を無意識下に押しやることによって、心の平静を保とうとする防衛機制である。たとえば、筆者のように学生時代家庭科の成績が5段階評価で1だったことをできるだけ意識に上らないようにするとか、先の震災の被災者が震災の時のことを思い出したがらない、と言った心の働きである。  

 「否認」は、自分にとって都合の悪い事象を認めようとしないことである。たとえば、仮面大学生が周囲に仮面大学生であることを告げないとか、過去の自分の過ちを認めようとしないなどである。   

 「摂取」は、自分に他者の何かを取り入れることである。たとえば、自分の恋人の好きなアーティストを自分も好きになるなどである。  

 「同一化」は、相手と同じ気持ちを抱くことによって他者との一体感を得ることである。中でもいじめなどでよく働く心理的メカニズムとしてみんながいじめっ子に同調するような「攻撃的同一化」は社会問題である。  

 「隔離」は、感情と行動を切り離すことによって心の安定を守ろうとすることで、これがひどくなると「解離性人格障害」にまで発展する。  

 「知性化」は、たとえば思春期の子が性的衝動を感じた時に決まって性的なコミックソングを歌うなど、心を知性で落ち着かせようとする心の働きである。  

 「合理化」は、自分を正当化するために思い付いた理屈を主張するなどである。自分の行動がやましいときに、他者にはもっともらしい言い訳をするなどがこれに当たる。

 「反動形成」は、自分が相手に抱いている本当の感情とは逆の感情行為を行うことである。子どもが憎いのに過保護になる親の心理などがこれに当たる。  

 「復元」は、隔離された行動などを何度も繰り返すことを言う。強迫神経症の患者が何度も手を洗うとか何度も鍵がかけてあるかを確認するなどである。  

 「置き換え」は、本来すべきことを別の行動にすり替えることである。ストレスがあるひとがストレッサー自体を除去することなくタバコを吸うなどがこれに当たる。  

 「投影」は、自分の不快な感情を謂れのない環境のせいにすることである。たとえば事件の被害者が自分の落ち度なのに警察のせいにするなどである。  

 「退行」は、自分の歳相応の行動をすべきところを幼いころ・若いころの行動に後戻りすることで急場をしのごうとする心理機制である。いわゆる「赤ちゃん返り」である。  

 「昇華」は、もともとの欲求をその欲求が欲するところとは別の行為で代償しようとすることである。有名なのは性的衝動を芸術活動に変えるなどである。  

 「補償」は、失ったものを別の対象で満たそうとすることである。夫を失った妻がペットに異常に愛情を注ぐなどである。  

 「投影的同一化」は、いわゆる「下衆の勘繰り」で、たとえば自分が異性を求める気持ちがあるときに他の独身男性を見たら「あいつも嫁さん欲しいだろうな」と勝手に憶測するなどである。  

 以上であるが、筆者などは身につまされることが多い。読者の皆さんはどうであろうか。  

 ちなみにこれらの防衛機制については、本来の心理学のトピックではないが、面白いと言う理由で高校の倫理社会などの教科書には載っていて、「懐かしい」と思われる読者の方も少なくないであろう。まぁ、一種の人間関係をスムーズに進める潤滑剤的なトピックとして覚えておいて損はない話である。

講座 心理学概論 12 臨床心理学 7 フロイトとユング

 フロイトははじめのうち、自分の神経症(ヒステリー)の患者を催眠によって研究していたが、その限界を痛感していわゆる「自由連想法」と言う患者が思ったままのことを次々に口に出す方法で患者に見られる普遍性を追求した。これについて筆者は方法論的な疑問を感じている。と言うのは、人間には社会規範と言うものがあって、いかに親しいひとにでも口に出すのが憚られるようなことが無数にあるわけで、それを連想中に口に出しづらいのを見て「このひとはこのことに対して無意識の抵抗が見られる」と言うのもおかしな話に感じられるためである。  

 彼は当初人間の心と言うのは、「無意識」、「前意識」、「意識」から成ると考えていた。しかし、後々になるにつれて彼は人間の心は「イド」、「自我」、「超自我」から成るダイナミックなものだと言う考え方に変わっていった。これを「局所論から構造論へのシフト」と呼ぶ。  

 彼の理論は、子どもと言うのは自分の異性の親を自分のものにしたいと思っており、しかしそうすると自分の同性の親から責められると感じるため、それを押し殺して自分の同性の親の考え方を内面化すると言う。これを「エディプスコンプレックス(ユングの用語では女の子のそれを「エレクトラコンプレックス」)」と言い、イドの盲目の衝動を抑えるとともに自我の発達を促すと言う。  

 彼の心理性的発達理論は既に述べたので割愛する。  

 フロイトは1907年から1913年までユングと親しくしており、ユングはフロイトのようにユダヤ人ではなかったため大変可愛がっていたが、ユングがあまりにもフロイトが性的な考えを押し出し過ぎていると感じたため、彼らの親交は断絶した。  

 ユングは、フロイトが個人的な無意識を仮定していたのに対して、もっと万民や民族に共有されている「集合的無意識」と言うものが存在すると主張した。  

 そして、フロイトの言うところの「イド(リビドー)」と言うものは性的なものに限定されない心的エネルギーであると考えた。意識と無意識は相補的な関係にあって、それらが統合されてゆく過程を「個性化」と呼んだ。集合的無意識からのメッセージは適切に意識に取り込まれることによって個性化が進むと考え、この無意識からのメッセージのことを「元型(アーキタイプ)」と呼んだ。  

 ユングにおいては、フロイトのエディプスコンプレックスと言う考え方に代わって、「アニマ」と「アニムス」と言う概念で男性性と女性性は特徴づけられると考えた。「アニマ」と言うのは男性の中にある女性像のことであり、「アニムス」と言うのは女性の中にある男性像のことであり、その起源は自分の両親にあると言った。  

 人間にとっての母親と言うものは、子どもを育てる中で子どもの自立性を促進する面と、過保護にしてそれを遅滞させる面があり、この両面のことを彼は「グレートマザー」と表現している。  

 また、人間と言うのは社会に適応するための仮面(ペルソナ)と社会には受け入れられない影(シャドウ)の両面を併せ持つ存在であり、いずれを押し殺しても精神病理に陥る危険性があるとユングは言っている。彼の理論ではその過程の中心に位置するのが「自己」である。  

 ユングはフロイトのように神経症の患者より統合失調症の患者を多く見てきたので、それが彼の理論の独創性となって表れているように見受けられる。  

 我が国でフロイト研究の有名な学者に故・宮城音弥がおり、ユング研究で有名な学者に日本学術会議の会長を務めたこともある故・河合隼雄がいる。  

 現在の日本の精神科医にはフロイトを支持するひとが多いが、逆に心理学者にはユングを支持するひとが多い。だが、アカデミックな心理学において彼らの理論について言及されることは減少してきている。理由として、彼らの理論によって精神疾患から立ち直るひとびとがそれほど多くはないことや、DSMなどの臨床知見に基づく診断基準が作られ、DSMのような無理論的な立場に立つ精神科医や臨床心理学者が増えてきたことが考えられる。事実筆者は大学の心理学科でフロイトやユングの講義を受けたことはないと記憶している。  

 なお、ユングの理論のことを臨床心理学では「分析心理学」と呼ぶことが多い。

講座 心理学概論 12 臨床心理学 6 対象関係論

 以前の節で示唆しておいたが、フロイトのリビドー論ではイドは盲目的な衝動だと考えられていた。しかし、この考えを「イドは対象希求的である」と考えたのが精神分析のイギリス学派のいわゆる「対象関係論」である。  

 フロイトの没後、精神分析は大きく言って、アメリカの自我心理学派、フランスのラカン派、そしてアブラハムやフェアバーンを嚆矢とする対象関係論に分かれて行った。このように、フロイト理論と言うのは多くの臨床心理学者に対してと言うより、精神科医をインスパイアした。  

 自我心理学にかんしてはアンナ・フロイトやカーンバーグなどの理論がある。アンナ・フロイトは防衛機制を細かく整理したことで有名である。カーンバーグは境界性人格障害の研究を進める中で、「神経症的人格-境界性人格-精神病性人格」の3つの病理水準を提唱した。  

 ラカンは、精神分析と言うのは「自分を本物にする営み」だと考え、無意識は他者のディスクール(語り)であると指摘した。  

 さて、この節の狙いである対象関係論2人の学説を紹介しよう。  

 一時期世間で「良いおっぱい」とか「悪いおっぱい」とか言う言葉が流行したことがあるが、これはもともと対象関係論のクラインが言い出した乳児期に見られる子どもの心を理解する鍵概念のひとつである。  

 彼の理論のあらましはこうである。フロイトの言う口唇期の乳幼児は、乳幼児にとってファンタジーを介して対象関係を保っている状態にある。その心の在り方をクラインは「ポジション(態勢)」と言う概念で整理している。0ヶ月から3ヶ月齢の子どもは「妄想-分裂態勢」にあり、母親と言う存在よりもむしろ「良いおっぱい」と「悪いおっぱい」と言う対象関係を世界と持っていて、それらがそれぞれ投影的同一視されて「迫害対象」と「理想対象」に分化していき、心理的安定を得るのであるが、もしそれがうまく行かず子どもがこの時期に固着してしまうと統合失調症の基盤が子どもにできてしまう、と彼は言う。そして4ヶ月齢から1歳くらいまでの間の子どもは、「迫害対象」と「理想対象」が統合され、母親と言う人間を感じることができるようになるにつれてそれまで子どもが持っていた全能感が疑わしくなって無力感や母親への嫉妬が生じ、母親が子どもにできることは自分でさせるなりの適切な応答性を示さないと子どもはこの時期に固着してうつ病の精神的基盤を持つことになると彼は考えた。この時期の態勢を「抑うつ態勢」と彼は呼んだ。  

 次にウィニコットについてかなり大雑把に説明する。彼は乳児にとっての母親の重要さに注目した。子どもが産まれてから数週間の間母親は子ども以外には全く注意を注がなくなり、これを「原初的没頭」と呼び健全な母親の姿であると考えた。そして子どもを母親は安らげる状態に置こうとする。これを「ホールディング」と言い、この中で子どもは全能感を感じるようになるのだが、これをウィニコットは「錯覚」と呼んだ。  

 しかし母親はいつまでも子どもを依存させていると子どもに主体性や創造性が育たないので、成長するにつれて適切に子どもの行為世界から手を引いてゆくことが重要であり、このような母親のことを「ほどよい母親」と言っている。1~3歳の子どもは母親がいなくて不安になるとハンカチなどの母親の形見で心を落ち着かせようとする。このような環境における母親の影を子どもに感じさせるもののことを「移行対象」と彼は呼んだ。  

 彼は子どもとのラポール(信頼関係)作りや子どもの心理治療として「スクイッグル(殴り書き)技法」と言う技法を考案したことでも有名である。何をするのかと言うと、治療者が白い紙に任意の線を引き、子どもにそれが何に見えるかと問う。そして子どもに見えたものに近づくように線や絵を補わせ、それを繰り返していく中でひとつの作品になるように仕上げていく。これにより治療者は子どもとのラポールを形成し、書かれた内容を見ることによって子どもの心を忖度する。  

 以上が対象関係論の代表的な学者であるクラインとウィニコットの考えのあらましである。

講座 心理学概論 12 臨床心理学 5 精神疾患

 この節では主要な精神疾患である統合失調症、うつ病、パーソナリティ障害、心的外傷後ストレス障害(PTSD)について概説しよう。  

 いかなる文化圏にあっても、人間が80人いれば1人は罹患することが知られている統合失調症は、症状から大別すると3つのタイプがあるようである。  

 ひとつは幻覚や妄想に特徴づけられる「妄想型」、ひとつは思考や行動が支離滅裂な「解体型」、そしてもうひとつは運動不動(カタレプシー)や過活動・拒絶・無言・奇妙な姿勢や動作に特徴づけられる「緊張型」である。この疾患はクレペリンによって1899年に「早発性痴呆」と命名されたのを発端として、1911年にはブロイラーによって「精神分裂病」と呼称が変わり、我が国においてはこの呼称に誤解を招く要素があるとして2002年に「統合失調症」と呼称が変更された。すべての患者に認められる症状として、陽性症状(幻覚・妄想・思考障害・自我障害)と陰性症状(ひきこもり・感情の平板化・無関心)があり、病因としては「ドーパミン仮説(ドーパミンの欠如が幻覚や妄想を引き起こすと言う仮説)」が有力視されており、脳の報酬系を活性化させる薬物療法が治療の基本である。  

 統合失調症の妄想型の患者が「神様が殺せと言った」とかの幻聴が原因で引き起こす殺人などは、まれだとは言い難い。医師にそこまでの鑑別の余裕がないのだとしたら、今般新設される国家資格である公認心理師がこの作業に精力的に取り組まないと、何の落ち度もない人間がいとも簡単に殺されてしまうので、喫緊の課題だと言えよう。  

 次にうつ病について述べよう。アメリカ精神医学会の「精神疾患の診断マニュアル(DSM)」ではうつ病は「気分障害」と記述されている。うつ病は精神疾患の中でも飛びぬけて罹患率の高い精神疾患で、全人口の20パーセント程度が人生で一度は罹患すると言われている。  

 うつ病にかかりやすい性格として、真面目で几帳面な頑張り屋さん(メランコリー親和型性格)に多いと言われている。病態は、体がだるい、腰が痛い、眠れない、ひきこもり、自責の念が強い、食欲と意欲の不振などさまざまで、特に特徴的なのは未来を否定する認知様式や休むに休めず頑張るに頑張れないいわゆる「ぐるぐる思考」が挙げられる。  

 うつ病の病因としては、精神を穏やかに保つセロトニンの欠如が挙げられており、現実に治療には「セロトニン再取り込み阻害剤(SSRI)」が用いられている。基本的に治療の大前提として安静が必要である。  

 さて、次はパーソナリティ障害である。この障害には下位分類が多いのであるが、概ね一般的な特徴は、社会常識とかけ離れた思考や行動の様式である。就中注意が必要な疾患に「反社会性パーソナリティ障害」があり、しばしば「サイコパス」と呼ばれている(中学生以下の場合は「行為障害」と診断される)。名古屋大学女子学生による殺人事件などはこの範疇に入ると考えられる。この障害には主に臨床心理学的治療が適用されるが、治療に対する患者の心理的抵抗が大きい場合が多いので、じっくり時間をかけて治療関係を築くことが一番肝要である。  

 最後に、PTSDであるが、この病気は日常の精神状態の許容を超えるネガティヴな非日常的体験のあとで1ヶ月以上続く焦燥感やフラッシュバック、感情の麻痺に特徴づけられる疾患である。

 PTSDの原因としては自然災害や拷問・レイプ、交通事故、虐待などが挙げられる。治療は薬物療法と臨床心理学的治療の併用で行われることが多いが、あまりにトラウマが重い場合には解離性遁走(いわゆる「記憶喪失」)などの精神疾患に移行することもある。  

 いずれの精神疾患にも、精神科医と公認心理師、ソーシャルワーカー、看護師から成るチーム医療が望ましいが、現状では各者ひとりで抱え込むことが多く、改善すべき課題と考えるべきである。  

 なお、筆者なりの統合失調症・うつ病・てんかん(ここでは触れていない)の病態および治療上のヒントは以下の記事を参照のこと。

 https://blogs.yahoo.co.jp/tottsan0912/34072137.html

講座 心理学概論 12 臨床心理学 4 ストレスと社会病理

 

 筆者の見るところでは大方の社会病理は同調圧力によるストレスが原因で生じているように見える。つまり、それらを減らすには基本的に同調圧力を弱めるかストレスを低減するかにかかっている。  

 社会病理は犯罪に始まって、精神疾患、DV、モラハラ、パワハラ、セクハラ、いじめ、虐待、ネグレクト、モンスターペアレント、ストーカー、不登校(ひきこもり)、緘黙、心身症…と挙げ出したらキリがない。  

 そこでまず、ストレスの代表的な理論であるラザルスとフォルクマンのストレスモデルを説明したのち、どのような解決策があるのかについて考えてみたい。  

 ラザルスとフォルクマンのストレスモデルはトランス・アクショナルモデルと言い、ストレスに個人がどのように対処(コーピング)するかによって、個人的反応も変化するという理論になっている。 

 コーピングは「状況を操作しようとして試みる認知的並びに行動的レベルにおける一群の認知セット」と定義され、ストレスの元(ストレッサー)自体を変化させようとして行われる問題焦点型コーピングと、ストレスの結果生じた不快な情動を変化させようとする情動焦点型コーピングの2種に分けられる。ストレスが原因で起きる疾患には、筋緊張性頭痛、自律神経失調症、過換気症候群、過敏性腸症候群、胃・十二指腸潰瘍、高血圧症、冠動脈疾患、気管支喘息、関節リウマチ、糖尿病などがある。これら疾患に結びつく経路としては自律神経系、内分泌系、免疫系が知られ、主体的には認知的、情動的、行動的経路がある。ストレスはライフ・ステージ上の心理社会的資源(認知的評価、心理的対処、先行経験)による心理社会的要請(強度、持続性、複雑性、新奇性、類似性、予測性)へのパーソナル・コントロールの結果として疾患に結びつくか否かが規定される。このようにラザラスらの理論はストレスをダイナミックに捉えるところにその特徴がある。  

 このモデルを説明理論として考えた場合には、どのような解決策が考えられるであろうか。  

 ミシェルはストレス下に置かれた人間がものごとを我慢するためにはこれまで常識で考えられてきた「忍耐力」のような心理的特性によるのではなく、「関心の戦略的な配置」と言う認知行動的側面が我慢の本質であり、知能が社会的成功の鍵であると言うそれまでの常識を覆して、この能力に長けている者が社会で成功すると指摘している。  

 また、他の研究では糖尿病や肥満にならない程度の脳内血中ブドウ糖濃度が高い方が人間は我慢できると言う知見もあり、セロトニン(落ち込み防止物質)やメラトニン(睡眠促進物質)の前駆物質であるトリプトファンを多く含む肉・魚・豆の摂取がストレス抑制効果を持つと言う知見もある。  

 また、対策として社会的スキルを身に付けることがストレスによって人間が変調することを防止すると考える心理学者が多い。そのために行われている臨床心理学的対応が「ソーシャルスキルトレーニング(SST)」である。  

 社会的スキルには大別して3つのものがある。  

 ひとつは、相手を傷つけずに自分の要求や権利を通したり、非合理的な相手の要求を断ったりする「主張性スキル」であり、ひとつは相手との利害の対立を問題や葛藤と捉えそれを克服する「問題解決スキル」、最後に円滑な対人関係や社会生活を維持する「友情形成スキル」である。  

 SSTでは、これら3種類のスキルをクライエントに身に付けさせることが目標とされ、模倣訓練から思考の柔軟さを得られるようなプログラムまでさまざまなトレーニングが行われ、社会でうまくやっていく術を身に付けさせるような実践が現実に行われている。  

 しかし、SSTのようにただ問題を抱えるひとに社会的サバイバル能力を身に付けさせるだけでは問題の根本的な解決にはならない。  

 そのため、社会病理の原因となっている人物などにカウンセリングなどを行うなどして問題の芽を摘むなどの実践もきわめて重要である。  

 しかしそもそも、大方の社会病理と言うのは現代社会が生み出した「個の孤立」状態がその原因としての大きなストレッサーを増幅させていることは疑いようのない事実であろう。筆者がことあるごとに指摘しているひとびとの心理的靭帯がしっかりと社会に存在することが一番の大きな社会的ストレスの軽減策であることを忘れてはいけない。  

 なので、当座のうちはストレスの本質を「問題の抱え込み」と捉え、「ひとりで問題を抱え込まない」ための様々なポジティヴ・ネットワークの社会的整備が急務であろう。

 なお、一部心理学説には「心理的にポジティヴな状態もストレスである」と言う主張がある。そもそも「ストレス」と言う概念は「物理的な歪み」を意味する物理学用語であって、これをセリエがそのまま心理学的概念に転用したと言ういきさつもあり、「歪みがなくなり正常な心理状態」でもストレスありと言うのは、概念的な逸脱だと筆者は見ていることを最後に付言しておく。

講座 心理学概論 12 臨床心理学 3 心理相談の流れと倫理

 この節では心理相談(カウンセリング)を行うときの心理相談の流れと職業倫理について触れようと思う。  

 カウンセリングは大きく分けて以下の5つのステージがある。  

 「予約」→「受理(インテーク)面接」→「治療契約」→「カウンセリング」→「終結」  

 まず、「予約」であるが、クライエントが電話なりネットなりで申し込む場合が多いので、そう言う前提でお話すると、その時の会話などからカウンセラーは大よその問題のアウトラインを把握することが望ましい。  

 「インテーク面接」においては、クライエントがどのような問題に直面しており、クライエントにとって何が治療になるのかについて認識を深め、カウンセラーはおよその「見立て」を立てる。  

 「治療契約」では、カウンセリングの料金や曜日・内容についてカウンセラーがクライエントに説明し、クライエントがカウンセリングをこれから続けていくのか否かについて意思決定をクライエントがする段階である。  

 そして「カウンセリング」では具体的な心理相談が何回か決められた曜日・決められた日時に行われる。筆者が耳にした話では、この過程は平均10回(セッション)程度行われるそうである。  

 クライエントがカウンセリングによって心の問題を解決できたと納得できたとき、最後の「終結」と言うことになる。  

 カウンセラーはこれらどの過程においても自分では対応しきれないと思った場合には、他の機関に「引き受け要請(リファー)」を行い、クライエントが適切な相談機関で適切な対応を受けられるように配慮することを忘れてはいけない。  

 さて、カウンセリングにおける基本的な倫理について次に述べる。

 カウンセラーがカウンセリングの目的とするのは、「クライエントの最大の利益」を求めることである。カウンセラーの個人的興味やクライエントのこの目標とは関係のない個人情報を得ることは、カウンセラーのなすべき行為ではない。カウンセラーはクライエントに対してカウンセリングをやめたいと思ったならばいつでもカウンセリングをやめられることを事前に告知しておく必要もある。  

 また、心理臨床に携わるものとして細心の注意を払うことが必要で、特にクライエントについてカウンセリングにおいて知りえた情報の取り扱いには慎重である必要がある。要するにカウンセラーには「守秘義務」があると言うことである。  

 カウンセリングの途中に、クライエントに自傷他害の恐れが出てきた場合には、自分だけで抱え込まず、関係機関と密接に連携して問題に適切に対応することも時には重要である。  

 カウンセラーの「守秘義務」は基本的には守られねばならないが、クライエントがカウンセラー以外にも事実を伝えたいなどの要求が出てきたときには、本人の意思を確認の上そのようにすべき時もあるが、その判断はカウンセラーが総合的な観点から責任を持って下すべきである。  

 それと、これはたびたび問題になっていることであるが、カウンセラーはクライエントと絶対に性的関係になってはいけない。と言うのも、クライエントの人格的成長とそれは何ら関係があることでもないばかりか、結果的にクライエントを深く傷つける結果になる恐れがあるからである。これではクライエントの最大の利益の追求と言うカウンセリングの目的自体から逸脱してしまう。  

 以上が心理相談(カウンセリング)の流れと倫理である。これらを遵守できるカウンセラーになるためには、経験豊富な「スーパーバイザー(監督指導者)」によるスーパーバイズを定期的に受け、自己のカウンセリングの熟練のために日々研鑽することがカウンセラーひとりひとりに求められる。

講座 心理学概論 12 臨床心理学 2 四つのルーツ

 臨床心理学の始まりはヴントの弟子のウィットマーが1892年に「心理クリニック」をアメリカで設立したのが始まりと言われているが、精神分析学も含めて考えると僅かながら時代は遡る。  

 臨床心理学で扱われるクライエント(来談者)は、自らの問題の自覚のあるひと、あるいは周囲がそのひとについて問題を感じているひとが基本的にはその対象になる。  

 この節では臨床心理学の四大潮流について概説する。  

 まず第一に挙げられるべきは「精神分析学」であろう。先述の通りオーストリアの精神科医であるフロイトが「精神力動論」と言う立場を打ち出し、「夢分析」などの本を出版して世間に衝撃を与えた。彼自身はいわゆる「防衛機制(自我の安定を図る心のメカニズム)」を抑圧と昇華ぐらいしか提唱しなかったが、彼の娘であるアンナ・フロイトはさまざまな防衛機制を提示し、人間の心の理解に大きな足跡を残した。そしてその後、この考えがイギリスに持ち込まれ、クライン、ウィニコットなどの「心は対象に向かっている」と考える「対象関係論」に発展した。先に触れたバーンの「交流分析」も、その基礎には精神分析学がある。  

 そして第二に挙げられるべきは「行動療法」である。これは行動主義心理学を唱えたワトソンにそのルーツを求められるが、臨床応用を実際に行ったのはウォルピの「系統的脱感作法」やマウラーの「アラーム・シーツ法」、そしてスキナーの「シェイピング」である。  

 系統的脱感作法と言うのは、不安を抱えたクライエントに不安が生じるたびにリラックスさせることを繰り返して不安を克服する心理療法である。「アラーム・シーツ法」と言うのは夜尿症の子どもの膀胱のふくらみを検知して、尿が膀胱に溜まるとアラームが鳴り子どもを起こし、尿意を催したらトイレに行くことを学習させる心理療法である。「シェイピング」と言うのは、形成したい行動(これを標的行動と言う)をはじめから学習させるのではなく、観察上頻度の高い標的行動に近い行動から徐々に強化し、最終的に標的行動を形成する技法のことである。  

 そして第三に挙げられるべきは「心理学の第3勢力」と呼ばれた「人間性心理学」、就中ロジャーズの創始した「クライエント中心療法」であろう。  

 彼は人間には、そのひとが心の内をカウンセラーに開き、自分の力で何が自分の心の問題で、どうすればよいかを知っているのはカウンセラーではなくクライエントであると考え、カウンセラーはそれに寄り添う伴走者の役割に徹するべきだと考えた。  

 具体的には、「受容と傾聴」を基本とする「共感的理解」、「無条件の肯定的配慮」、「自己一致(偽りの自分でないこと)」と言うカウンセリングにおける3大原則を打ち出し、心理療法に治療者の介入は一切しないという独特のカウンセリング理論を展開した。  

 そして第四に挙げられるべきは、ベックの「認知療法」である。ベックは、クライエントが抱える心の問題と言うのは、現実と一致しない認知の歪みとかネガティヴなスキーマ(認知の枠組み)のなせる業であるので、ネガティヴなスキーマをカウンセラーの適切な介入によって現実的でポジティヴなスキーマに変容させることが心理治療の本質だと考えた。  

 これらの心理療法のうち「行動療法」と「認知療法」には親和性があるので、現在ではこれら2者の心理療法を一括して「認知行動療法」と考えるのが一般的になっている。  

 心理療法には実に様々なものがあって、これらの流れの中だけでは捉えきれないものも多い。モレノの考案した「心理劇」、パールズによる「ゲシュタルト療法」、「システム論的家族療法」、「コミュニケーション論的家族療法」とその短縮版である「ブリーフセラピー」、人物の物語に焦点を当てた「ナラティヴセラピー」、そして我が国固有の「森田療法」や「内観療法」などがある。  

 臨床心理学で言う心理療法と言うのは、精神疾患を抱えたひととその家族、心に悩みがあってそれを解決するために行われる心理療法、問題を抱えていると言うのではなくてより人格的成長を望むひとに対するものまでその適用の範囲はきわめて広い。  

 心理療法の効用と限界を弁えながら、クライエントが問題の解決を求めるべきなのがカウンセラーなのか精神科医なのかを適切に判断してしかるべき相談・治療に臨むことが大切である。