講座 心理学概論 11 人格心理学 2 知能とは何か

 筆者もそうであるが、たとえば筆者の場合のように他人様が「最新科学の賜物」を作ったと言う話を聴いたりすると、自分には百姓の血が流れているはずなのに実際には百姓に失敗して、自分は身の丈が原始人なんだなぁ、とつくづく思い知らされたりする。  

 「最新科学の賜物」を考え出すひとびとの頭と言うものを筆者のような低能人間では理解できないが、心理学者と言うのはよほど優秀なひとたちなのか、それを「知能」と言う概念で20世紀初頭から考え始めた。  

 筆者には「頭の良さ」と言うものは全く分からないが、心理学者たちが「知能」と言うものをどう考えているのかを平身低頭でこの節では紹介することにする。  

 1905年にフランスのビネーと言う心理学者とシモンと言う医学生は、フランス文部当局からの要請を受け世界で最初の知能検査を開発した。この知能検査で測定される項目は、感覚的な能力ではなく、判断力や推理力、記憶力と言う一口で言うと思考能力を思い切って測定できる内容となった。

 聡明な読者の方ならお気づきかとは思うが、これは現代の学校教育で涵養すべきとされている能力にとても似ている。実際、学力と知能検査で測定された知能の間には相関が見られる。心理学では、知能の割に成績の良い子は「オーバー・アチーバー」と呼ばれ、知能の割には成績の低い子どものことを「アンダー・アチーバー」と呼ばれる。  

 しかし、人間の思考と言うモジュールが知能と呼ぶべきものではなく、人間の適応能力のことを知能と言うのだ、と言うゲシュタルト心理学的な発想で知能を考えようとする者も現れた。そうなると、話は大きくなり結果的に適応に成功した者ほど知能が高く、失敗した者ほど知能は低いと言う話になる。  

 知能知能と言っているが、知能研究が知能検査の発達から展開した経緯があるので、ここで言う知能と言うのは操作的定義、つまりどのように測定するかから概念を定義すると言う考えの上に立って、「知能とは知能検査で測定されたものである」と定義しておこう。  

 さて、知能と言うのはどんな項目であっても卒なくこなせるような汎用的な能力なのであろうか、それとも項目ごとに発揮される能力の異なる特殊的なものなのであろうか。  

 スピアマンは、統計の節で述べた因子分析と言う方法を世界で初めて用いて知能の解析をしたところ、汎用能力としての「g因子(一般因子)」を抽出した。これはたびたび知能が研究されるたびに見出される頑健な因子であることから、一定の妥当性があると考えざるを得ない。  

 しかし、サーストンと言う心理学者はこの考えに賛成せず、同じく因子分析を用いて解析を行ったところ、7つの「s因子(特殊因子)」を抽出した。それらは列挙すると、「ことばの流暢さ」、「言語理解」、「空間」、「数」、「記憶」、「推理」、「知覚速度」であった。  

 1912年にシュテルンと言う心理学者は、平均的な子どもの年齢における知能を「生活年齢」、個々の子どもの知能を「精神年齢」とし、「精神年齢」を「生活年齢」で除して100を掛けた「知能指数」と言う考え方を提唱した。この考えはアメリカのターマンが作成した「スタンフォード=ビネー式知能検査」において初めて実現した。

 その後の知能研究は、ウェクスラーの知能検査における「言語性知能」と「動作性知能」と言う考えでの彼の知能検査の開発、スタンバーグの鼎立理論やガードナーの多重知能のように芸術の才覚までを知能と考える理論などの出現をみた。  

 また、「生涯発達心理学」の発展に伴って、キャッテルとホーンは「流動性知能(学習能力)」と「結晶性知能(適用能力)」と言う知能の新しい見解を提出し、前者に比べて後者は加齢の影響を受けにくいことを実証した。  

 また、一般にどのような知能検査でも個人内知能指数の生涯における変動が20~30ほどあるようである。これは測定誤差などではなく、実質的な変動である。  

 しかし、知能と言う単一の物差しで人間を見る心のさもしさは持ちたくないものである。

講座 心理学概論 11 人格心理学 1 人格の安定性

 「人格心理学」と言う言葉を聞いて「おや」と思うひともいるかと思う。要するに「パーソナリティの心理学」と言う意味であり、筆者が学生の頃はこの名称で主に研究されていた。この節ではいわゆる「知能」も含めた広い意味での「人格」を問題にする。  

 さて、「人格」と言うと「人格者」のような言葉に現れているように、「人間の出来」を表すと受け取る読者も多いことであろう。  

 しかし、「人格心理学」で言う「人格」とは「性格」の概念と大して異同はない。ニュアンスがわずかに違うが、それは人間の構造的側面を想定しているか否かの問題である。  

 しかし、近年この「人格」と言うものが果たして安定したものなのかそうでないのかについてミシェルと言う心理学者が「ひとー状況論争」と言う問題を提起し、「果たして人格と言うものは実在するのか」と言ったような極端な話になっていることもある。 

 ミシェルがこの論争で「ひとは状況の影響が強い」と主張したのには、彼女が研究した結果、「人格」と言う概念でどれだけの人間の行動が予測できるかについて、人格と行動の間には0.30程度の相関しか見出されず、従って「人格」と言うものは予測的妥当性を持たず、構成概念としても問題があると考えているようである。  

 彼女の「人格」の予測因は、いわゆる「人格検査」であった。  

 我々の常識からすると、ひとの性格と言うものは確かに実在するように思われる。なのになぜ彼女が常識とは正反対の考え方を主張しているのかと言えば、彼女が根拠にしている「人格検査」と行動の予測に弱い関係しか見いだされなかったからである。  

 しかし、筆者の見解では、「人格検査」を同一人物に繰り返し行っても同じような結果が得られるとか、少なくとも「人格の継時的安定性」に疑いの余地はなく、その目的を「行動の予測」に強引に持って行くのは少し論理的に無理があるように思う。と言うのは、人格検査で分かるのはそのひとの内面性であって外面性である行動であるわけではないし、そこで測定されているものは行動そのものと言うよりも行動の中に見出されるように思われるからである。それと、「人格」と言うものを我々は日常ではTPOも考えながら「あのひとらしいよね」とかの話になることは多い。それは延いていえば、「人間の人格は人格検査で捉えきれるものではない」ことを意味しており、極めてデリケートな問題の部分も多いように思う。また、その多くは質問紙と言う問いに答える形式が採られており、それで人格が的確に把握できるのかと言う問題もある。  

 「人格」と言うことは「個性」の問題であるとも考えられる。ひとに「個性」を見出すのは「人間」であって「人格検査」ではない。人間には「個性」の強いひともいれば、あまり目立たないひともいる。  

 豊嶋が考えた「生活空間構造」と言う考え方をする場面によって対応する人格(心のシフト)が違ってくると言う考えが存在するが、筆者はどうしたとしてもそのような人間理解が正しいとは思わない。なお、この考え方はミシェルの問題提起をあたかも予想して考案されたもののように思われる。  

 「人格心理学」と言う分野が発展したその礎には、オールポートと言う心理学者の存在がある。彼はハーバード大学でこのような分野のことを研究していたが、何せパイオニアであるためたびたび孤立感に襲われていたようである。そのようなとき、彼の指導教官であったラングフェルドに慰められ、勇気づけられて彼の才能は開花した。  

 この分野の発展が進んだ一番大きなファクターは、精神医学でひとのこころの異常を検出するツールの必要性が認識され始めたところによるところも大きい。要するに、「心理検査」の必要性が認識されるようになったと言うことである。その意味では、理論よりもスクリーニングの必要性が人格心理学発展の原動力にもなっていると言える。この章で含めて考える「知能」にかんしてもそれが言える。  

 「人格」については様々な定義がある。しかし、それらを渉猟して見てみると「持続的かつ一貫的な人間の個性」と言う考え方に集約できるように思われる。  

 この節の後の方で詳しく触れるが、「人格」の理論には大きな2つの考え方が存在する。1つは「類型論(人間はいくつかのタイプに分類できると言う考え方)」であり、1つは「特性論(さまざまな人間の心理的側面についてそれぞれその強弱から考えて行こうとする考え方)」である。  

 しかし、実際のところはことほど左様に単純に割り切れるものではない。たとえば「人格とはさまざまな構成概念の統合されたフィギュアである」と考えたケリーとか、ミードのように「役割」から人格を考える心理学者まで様々な人格心理学の理論家が存在し、「類型論」とか「特性論」とかに収まり切れない人格理論も少なくない。

講座 心理学概論 10 社会心理学 15 我が国の自殺問題

 前節で読者の方から、アメリカの銃問題への筆者の認識の欠如についてご指摘を受けた。筆者の不勉強がその指摘の理由であり、その方にはお詫びとともに感謝の気持ちを表しておく。  

 アメリカで銃によって死亡するひと(自殺を除く)が2万3千人いると、その読者の方の指摘にはあった。秀吉の「刀狩令」以来、銃刀の所持が法で禁じられている我が国の問題ではないので、社会問題を追って発展してきたアメリカの社会心理学者たちには問題意識を喚起したいものである。  

 実は我が国ではそれとほぼ同数(2万4千人)の自殺者が年間出ていることが知られている(2015年度の統計による)。我が国の人口はアメリカの半分ほどなので、単純に考えてアメリカで銃によって命を落とすひとの2倍の日本国民が自殺によって自らの命を絶っていると言う計算になる。  

 そこでこの節では我が国の自殺について考えてみたい。自殺はがん、心疾患、脳血管疾患、肺炎、不慮の事故に次いで6番目に多い日本人の死因であり、すべての死者の3パーセントほどが自殺による死である。  

 最近は「いじめ」による自殺ばかりがクローズアップされているが、全自殺者数に占める割合がそれほど多いわけではない。  

 一番自殺するひとが多いのは中高年で、自殺者全体に占める割合は半数以上で際立っている。その主な理由は女性では「健康問題」、男性ではそれに加えて「経済・貧困問題」となっており、男性の自殺者は女性の2.5倍に上っている。また、職業を持たない失業者も含む無職の人間の自殺が全体の7割弱と際立って多い。  

 失業率が高い年、たとえばバブル崩壊後であるとかリーマンショック後であるとかのときに自殺率は30パーセントほど上がると言う事実も分かっており、リストラで無職者に転落したものの自殺が多いことが分かる。いわゆる「バブル」後の1999年には現在の1.5倍の3万7千人が自殺しており、基本的にそれ以降の自殺は減少傾向にある。  

 季節的には3月、曜日的には月曜日の自殺が最も多い。学校や会社に休暇で安心していた心に動揺が走り、結果として自殺してしまう者が多いようである。なお、特に自殺の多い月曜日は「ブルー・マンデー」と言われている。  

 自殺者の7割は自殺前に何らかの相談機関に悩みを打ち明けに行っていることも分かっている。  

 自殺率で見ると地域的には青森、岩手、秋田の東北三県が最も多く、その理由としては就職の難しさなどが挙げられている。これらの県では人口10万人当たりの自殺者が33人程度で、筆者が罹患して昨年手術を受けた胸椎黄色靭帯骨化症患者数の実に33倍と言うことになる。絶対数では無論人口が最多の東京が多いことは言うまでもない。  

 報道されて印象付けられるほど多いわけではないが、我が国独特の自殺の形態のひとつとして「無理心中」がある。ほとんどのケースで先を案じた心中計画者が先を案じられた者を巻き込んで行う自殺のことである。我が国では、幼い子どもが自分がいなくなった時に困るだろうと考えて母親が子どもを殺して自殺する例や、いわゆる「老々介護」での介護疲れにより要介護者を殺して自殺するケースが多い。実を言うと筆者の叔母も幼い子ども(つまり僕の従兄弟)を巻き添えにしようとして無理心中をして子どもたちは助かったが叔母だけは死んでいる。そのような因果があるので筆者の無理心中についての見解を示しておくと、我が国で本当に先が絶望的なケースはほとんどなく何らかの国の制度の対象になるはずなのでそう言うつまらない考えは捨てていただきたい、と言うものである。それが証拠に、僕の巻き添えにされかけた2人の従兄弟は立派に育ったではないか。要するに心中して得になることはひとつもないと言う事実に直面させるべきである。  

 ではどのような手段で自殺する者が多いのであろうか。警察庁の発表によれば、66パーセントの自殺者は縊死(いわゆる「首吊り」)で圧倒的に多く、次いでガス自殺、飛び降りの順となっている。自殺の場所は「自宅」が5割を超え、「乗り物」が1割程度、そしてその半数が「高層ビル」である。  

 自殺は適切な配慮があれば予防することが可能である。地域の相談窓口や「いのちの電話」がある地域では確実に自殺者は減少している。  

 また、清水は「死にたいと思っていひとは同時に生きたいとも思っており、必要な支援が得られて適切な問題解決がなされれば自殺は予防できる」と指摘している。  

 死を選ぶ人には生きることへの阻害要因が存在するので、それを取り除き、「生きることへの促進要因」を制度的にも法律的にも人心的にもしっかりと作り出せれば、相当数の自殺を思いとどまらせることができる。  

 我が国では医療的には医師の絶対数と時間的制約から十分な自殺希望者への対策を打つことはできない。このたび我が国には「公認心理師」なる国家資格が創設されるそうなのでそう言った人間が問題解決にコミットすることが望まれるが、自殺をしたいひととそこまでの間に適切かつ周知された水路が存在しなければ「絵に描いた餅」になってしまいかねないので、制度設計に当たって国や地方自治体は適切な対策を行うべきである。  

 また、自殺を減らす効果が実証されている要因として筆者がことあるごとに指摘してきた「ご近所付き合い」も挙げられているので、行き詰った人間を孤独に置かないことが非常に重要だと思われる。

講座 心理学概論 10 社会心理学 14 社会問題と対応

 アメリカの社会心理学と言うのは社会で顕在化した事件・事故などにインパクトを受け、それをどうしたら理解・克服できるかと言う問題意識から行われた研究が非常に多い。  

 この節ではそのような問題意識から行われた社会心理学的研究を見ていくことにしたい。  

 一番有名なのは「キティ・ジェノビーズ事件」であろう。この事件はニューヨークのキューガーデン駅近くでキャサリン・ジェノビーズと言う女性が犯人に刺殺されると言う痛ましい事件であった。しかし、犯行現場に居合わせた38名のだれひとりとして彼女が大声で助けを求めたにもかかわらず、助ける者は一人としていなかった。  

 アメリカのラタネとダーリーと言う社会心理学者はこの事件に衝撃を受け、様々な研究を行った結果、「多数の無知(人数が大きくなると問題を認識しなくなる)」、「責任の分散(私ひとりぐらいでは何の影響も与えられないだろうと思う心理)」、「聴衆抑制(他人に動揺を悟られたくない)」の3つの「傍観者効果」と言うファクターがこのような悲惨な事件の背後に隠れている、とその著「冷淡な傍観者」において指摘した。  

 筆者はそこまで分析眼が鋭いわけではないので、「猫の鈴効果」でこのような現象は一元的に説明できると考えている。このことはたとえばいじめ問題とか多くの社会問題の説明に対して有効であると考える。  

 前の節で指摘した「服従実験」にせよ「スタンフォード監獄実験」にせよ「同調実験」にせよ、アメリカの社会心理学的研究は社会問題に対してとても敏感である。一時、心臓血管疾患に罹患しやすい性格である「タイプA」の人間についての研究が爆発的に多数行われたことがある。これなどもそれに含めて考えて良いように思う。  

 これらの研究が我々に教えていることは、ひとびとの精神的靭帯が強固かつ深くないと問題の根本的解決にはならない、と言うことのように思われる。  

 事件や事故その他で身内を失った者たちがその痛みを分かち合う「被害者家族会」もそう言った喪失体験の補償の機能を果たす。そこで重要になってくるのが「ソーシャル・サポート(社会的支援)」である。  

 ソーシャル・サポートの知覚には大別して2種類のものがある。社会的統合と知覚サポートである。前者はひとが良好な人間関係を通じて健康でいることにかんする直接的な効果が認められることが多く、後者ではストレス緩衝効果が見出されることが多い。  

 知覚サポートにかんしては、さらに2種類に大別される。問題解決などに威力を発揮しやすい「道具的サポート」とストレス緩衝効果などに有効な「情緒的サポート」である。臨床心理士などが行うのは主に「情緒的サポート」である。  

 これまでのコーエンとウィルズなどの研究で、ソーシャル・サポートの利用可能性を高く見積もるひとほどストレスが低い傾向にあることが見出されている。  

 現在社会では「原発避難者へのいじめ」が問題になっている。問題の解決のために臨床心理士などがこの問題の解決に従事している。これに限らずあらゆる社会問題においてソーシャル・サポートは重要な働きをする。  

 しかし、ナドラーとフィッシャーの自尊心脅威モデルが指摘しているように、援助を受ける側の問題解決能力が脆弱な場合には、「どうせ俺なんか助けてもらったって」と言う意識が働き、ソーシャル・サポートが功を奏しない場合もあることを読者の皆さんには認識しておいていただきたい。そのような場合には、短所を長所と見られるような柔軟な発想が要求されることになるであろう。  

 「困ったときはお互い様」と世間では言う。ひとびとの精神的靭帯が強固かつ深いと言った人間関係は、一種のソーシャル・サポートだと言える。   

 いったい、現代のコミュニティ社会意識の弱い我が国の現状はそれで良いのだろうか。

講座 心理学概論 10 社会心理学 13 犯罪心理学概論

 我が国における犯罪の検挙率は95パーセント以上と、犯罪を犯したとして得になることは何もないことを警察白書は我々に教えている。裏を返せば、それだけ我が国の警察は優秀だとも言える。  

 なぜ犯罪が起こるのであろうか。マートンの「社会的アノミー理論」では、社会における経済格差がその要因だと指摘され、同じ用語でも「社会的無規制状態」を「アノミー」と呼び犯罪の濫觴だと考えたデュルケームと双璧をなしている。  

 バージェスはマートンの「アノミー理論」を実際のアメリカの市街地近郊の移民や難民の流入が多く、流動的で貧困層が多く住む地域の犯罪の多発率が多いことを実証し、そのような地域のことを「遷移地帯」と呼んだ。  

 多くの心理学者が非行少年を調べた結果、一般に成績不振児が多いことを指摘した。この中には、家庭の事情で学業に打ち込めないために成績が不振な子どもらも含まれる。  

 犯罪研究から、多くの犯罪者は性格5因子検査(いわゆる「ビッグ・ファイブ」)のうち、協調性と勤勉性に欠けていることが報告されている。他の研究では情緒不安定と犯罪の関連も指摘されている。  

 犯罪の一番特徴的な人間的要因はファーリントンが指摘した「衝動性」である。このような知見から犯罪者予備軍の検出を目的とした「刹那主義」と「利己主義」の2つの測度から成る「低自己統制尺度」をグラスミックは開発した。  

 では、防犯のために我々は何をすればいいのであろうか。  

 サンプソンとラウブは犯罪者を犯罪から引き離すための重要なライフイベントを「結婚と就職」であると述べている。責任のある立場に人間が立てば、犯罪は減るであろうことをこの指摘は示唆している。筆者はもうひとつ考慮に入れていいファクターがあると考える。それは病気も含む「災難(disaster)の中の救い」である。  

 公園の設計などでは、見通しが良く明るい公園の方が犯罪を起こしにくくさせると言う観点からジェフリーが提唱した「環境設計による犯罪防止(CPTED)」などの考え方が取り入れられている。  

 もうひとつ重要な指摘がある。社会においてなぜ犯罪が起こりにくいか、と言う理由について考察したハーシーは、「ひとびとの絆が犯罪を抑制する」と言う「社会的絆」理論を提唱している。  

 ここまでは、犯罪の生起要因について述べてきた。次に、犯罪者の検挙でよく用いられる手法を紹介したい。  

 犯罪に悩まされていたアメリカでは、FBIが「犯罪者プロファイリング(特定法)」と言う手法を開発した。彼らは犯罪現場に残された証拠などから犯罪者の属性などさまざまなファクターを統計的に解析した結果、どのような事件が同一犯による犯行であるかについてのデータを蓄積し、犯罪を社会的にしっかりした地位についていて知能も高い「秩序型犯罪」と逆で多くは職を持たず知能も低い「無秩序型犯罪」に分けられることを見出した。  

 それをもとに、より高度な統計解析を行うことによって犯人の性格・属性やどの事件と犯人が同一犯かなどをさらに正確に割り出すプロファイリングをリバプール大学のカンターは考案した。彼は地理的プロファイリングと言う手法も考案し、犯行状況から犯人がどこに勤めているか、どこに住んでいるかなどの情報を俯瞰し、犯人は複数の犯行現場の円内に居住していると言う「サークル仮説」と言う仮説を提唱した。他にも円の重心に犯人の住居があると言う「重心仮説」や犯人は自分の住居から一定程度しか離れていない同心円状のドーナツ型の地点では犯罪を犯さない、と言う「バッファー・ゾーン仮説」などが提唱されているが、そのどれにも一定の妥当性があると報告されている。  

 検挙された容疑者が「ハイ私がやりました」と自供するとは限らない。このような場合に警察の鑑識などでよく用いられる検査法が「ポリグラフ検査」である。この検査は、呼吸数、脈拍数、皮膚電気反応を犯人に犯行などについて尋ねている間の変化を捉える検査法である。  

 ポリグラフ検査においては、我が国で使われている「犯行知識質問法」が精度が高いので紹介する。  

 この検査法では、犯行と関係のない(たとえば、「毎日散歩していますか」とか「公園は楽しいですか」などの)質問のことを「緩衝質問」と呼び、犯人にしか知りえないような事実についての(たとえば、「あなたはAさんの背中を包丁で刺しましたか」とか「Bさんが盗まれた財布の色はグレーでしたか」などの)「採決質問」を織り交ぜて容疑者に尋ねる。緩衝質問と採決質問のあいだに明白な生理指標の差が見られれば、その人間が犯人である可能性が高いと考えるわけである。  

 以上、非常に大雑把かつ端的な内容になってしまったが、この節を終わることとする。

講座 心理学概論 10 社会心理学 12 印象管理

 ひとは社会で他人からどう思われているか、どう思われたいかを常に気にして生きている。社会心理学では「他人に自分どう思わせようか」と言う問題のことを「印象管理」と言う。  

 ゴフマンは印象管理が自分について他者が持っている情報が不足しているときに、次の3つの局面に印象管理が集約されると考えた。  

 まず第一に印象管理で重要なのは、「整合性」だと言う。もし医師が金髪だったとしたら、どんなに優秀な医師でも患者さんの多くは引いてしまうだろう。第二に、「局域」と言うものができる、と言うことである。印象管理のために表向き出している「表局域」と心の内部に隠してあるそれとは反対の「裏局域」にひとは心を分化させると言う。最後に、それらの「表局域」と「裏局域」を「表局域」に集約させる「神聖化」の過程を辿る、と言うことである。  

 読者のみなさんにも何かに打ち込んでいるときに他人が隣に座ると能率が落ちると言う経験をした方も多いであろう。それは、印象管理の方に意識が行ってしまうためである。  

 一般に印象管理には「ABC」が大事だと言う。ひとつは「外見(アピアランス)」、次に「行動(ビヘイビア)」、最後に「コミュニケーション」の3つである。  

 印象管理における重要なファクターとして「ゲイン-ロス効果」が挙げられると考えられる。普段きつい性格のひとがたまたま優しい態度に出ると、好感度がそれまで以上にアップする。逆に普段おとなしいひとがたまたま激昂すれば逆に好感度が下がる。これは一種の認知バイアスなので注意が必要である。  

 印象管理のことを「自己呈示」と呼ぶことも心理学では多い。その中には自分の印象を能力が高いことを印象付けようとする「自己宣伝」、好感が持てる人間だと相手に認知させようとする「取り入り」、自分には社会的価値があることを印象付けようとする「示範」、力を持っていることを思い知らせようとして行う「威嚇」、自分は可哀想な人間であることを印象付けてひとから援助行動を引き出そうとする「哀願」などがある。  

 自己呈示行動をひとが取ることによって自己概念が変化する「自己呈示の内在化」と言う現象が起こることが様々な研究で確認されてきた。そのさいに重要な3つのファクターが挙げられている。  

 1つは「公共性」、1つは「選択」、そしてもう1つは「他者の反応」である。一般にひとが公にさらされているほど内在化は進み、自分で自己呈示行動を選択したと言う認識が強いほど同様であり、他者に好意的に受け止められるほど内在化は促進される。また、ひとの自己概念が明確ではないほど内在化は促進される。  

 この「自己呈示の内在化」にも制約がある。記憶に残っている範囲で過去の自分の自己呈示と相容れない部分があると自己呈示は内在化されにくく、整合性が取れていると内在化は促進すると言う「バイアスド・スキャニング過程」を経て自己呈示の内在化が規定されてゆく。  

 テダスキによると、ひとは防衛・回避、影響・強制、制裁・報復、印象操作、同一性の維持のためにしばしば自分の力を見せつけようとする。人間は誰しも自由を求める。自分が対人的に危機に陥ったとき、そう言った行動を取ることによって社会的な認知を導こうとするのである。  

 前節でもすでに取り上げたように、自己呈示と自己開示には密接な関係がある。たとえば学校での教師と生徒の関係においてレシプローカル(相互的)にお互いが胸襟を開くことによって印象を規定しあっている事実などにそれを見ることができよう。  

 人間はある意味で「解釈の動物」である。自分がどのように他者に印象付けられるかは現在の態度や行動だけでなく、過去の言動などによっても左右される。  

 特定の集団による集団の印象管理と言うものも存在する。企業による企業イメージの社会への定着にも印象管理は行われている。それについては「ビジネスの心理学」に触れたとおりである。  

 印象形成において一番大事なことは、他者への共感性があるかどうかということである。他者に優しく穏やかに接することは、良い印象管理のストラテジー(方略)として非常に有効である。

講座 心理学概論 10 社会心理学 11 「結い」の心理学

 筆者が社会を考えるときにいつも使っている「タテ社会」と「ヨコ社会」と言う概念に近い社会区分を考えた社会学者がいるので、この節ではそこから「結いの心理学」について考えてみたい。  

 ドイツの社会学者テンニースは、社会を考えるときに2つの社会に分けて考えるべきだとの見解を示している。1つは「ゲマインシャフト(人間関係重視社会)」でもう1つは「ゲゼルシャフト(利益追求社会)」である。  

 ゲマインシャフトとゲゼルシャフトではひとびとの心理機制は異なる。たとえばゲマインシャフトではひとの長所を引き出して社会の融和を図ることが第1義的に重視されるが、ゲゼルシャフトにおいては「人事考課」など人間に対する評価を介在させるので、ゲマインシャフトとは異なりいわゆる「競争原理」になりやすいと言う決定的な相違点がある。  

 我が国の江戸時代のことを考えてみると、「ムラ社会」のようなゲマインシャフトと「武家社会」のようなゲゼルシャフトの両者が混在していたと考えられよう。  

 競争原理の存在しない人間関係志向の社会では「仲良くやっていくこと」が最も大事であり、逆に企業のような常に競争を強いられている社会では「どれだけ利益を生み出せるか。それに特定のひとがどれだけ貢献しているか」が問題になる。当然社会心理学的に見られる心理機制にも差が存在する。  

 ゲマインシャフトではひとびとは相互扶助の関係にあって、成員ひとりひとりが一定の利他主義(altruism)を発揮しないとひとびとは生活に困窮する。  

 これに対してゲゼルシャフトにおいては金銭がひとびとを結び付ける重要な誘因(incentive)として存在し、近年までの我が国では極端な業績第一主義ではない終身雇用制と言う制度にそのような社会の成員は置かれ、まぁある程度までの人事評価によって職階に同じ年代の人間同士でも差がつく程度であった。それは、明治維新と言う一種の革命によって多くの民が150年前までは百姓をやっていたのをいきなり鞍替えさせられたような民族なので、ゲゼルシャフトの中にもゲマインシャフト的なファクターが残存していたと考えられる。「競争」の中に「協同」の部分もあった、と言うことである。  

 ゲマインシャフトにおける心理機制で一番ひとびとにおいて重要な社会を維持するために重要だった心理機制は「親密さの形成過程」と「平均以上効果」であろう。親密化過程においてはいわゆる「自己開示(セルフ・ディスクロージャー)」の広さと深まりに焦点を当てたアルトマンとテーラーによる「社会的浸透理論」が存在するが、そのような心理機制がゲマインシャフトの社会においては重要であり、かつまた誰が秀でていて誰が劣っているかよりもそのひとはどの部分が光っているかを見出そうとひとびとはするので、その成員の誰もが「自分は他人様並みである」と言う「平均以上効果」が成員全員に働くために、できるだけいさかいを避け丸く収めようとする社会が存在していたものと考えられる。  

 逆にゲゼルシャフトのような競争社会では、成員は常に一定以上のパフォーマンスを要求されているので、我が国のサラリーマンたちは常に「自分だけ得をして社会が破たんするかみんながそこまでは得をしなくても協力することでそこそこの利益があるのか」と言った「囚人のジレンマ」に代表されるような「社会的ジレンマ」を抱えながら仕事を遂行しなければならない。一時、「24時間戦えますか」と言うCMのキャッチコピーが流行したことがあるが、それはサラリーマンの置かれた状況をうまく描写している。  

 そのような社会では、すでに触れた「ピグマリオン効果」とか「ハロー効果」とか「確証バイアス」とかさまざまな社会の与える人間の認知バイアスが働く。ひとつここでそのような競争社会で見られる笑えない心理学的な機制をもう一つ付け加えておく。  

 ひとは期待されるほど一般に緊張する。そこからひとが逃れるためにしばしば「セルフハンディキャッピング」と言う心理機制が見られる。「セルフハンディキャッピング」とは、たとえば我が国の警察組織では巡査が警部補に昇進するためには所定の試験に合格しなければならないのであるが、たとい勉強しているひとであっても「勉強してないから不合格になるだろう」などと予め「失敗した時の言い訳」を準備しておくことである。  

 しかし、古来より我が国は「和」を尊重する民族性があるので、そう言うところは忘れないでいたいものである。

講座 心理学概論 10 社会心理学 10 産業心理学

 前節では企業の発信する情報について大雑把に概観した。この節では企業内の組織に属する、要するに労働者のひとびとの有効な機能を引き出すにはどうしたにいいかについて考えてみたい。  

 西洋のひとびとと言うのは「合理性」に極度にこだわるので、その文化が我が国に流入すると、我が国のひとびともそうなってしまった。  

 特に企業と言うものにおいてはそれが顕著である。そのような傾向を最初に提唱したのはヴントの弟子であるミュンスターベルクで、「最適な人材の選抜」、「最良の仕事方法」、「最大の効果」と言う仕事上重視すべき3つのファクターを指摘した。そして20世紀初頭にテイラーの「科学的管理法」が提唱され、そこでは無理、無駄、ムラのない労働を追求する考え方を提示した。  

 その具体例として、はたしてそれが実際に有効なのかを、有名な「ホーソン研究」が我々に語りかけたことを見てみよう。  

 1924年から1932年にかけてアメリカのウェスタンエレクトリックと言う企業を舞台に、メイヨーやレスリスバーガーらの心理学者によって、「どうしたら生産性は上がるのか」をテーマに職場の様々な条件を変えて生産性との相関のあるファクターが探求された。  

 はじめのうち着眼されていたのは、照明や機械配置などの労働環境であった。ところがそれによって生産性が高まると言う知見は見出されなかった。

 むしろ研究者たちには職場の話友達やヨコの連帯などの職場内小集団が生産性にとって大きな意味を持つのではないか、と現場を見ていて考えた。いわゆる「人間関係論」である。  

 確かにそれらの要因は、職場の士気とか職務満足感を高めることは分かったのであるが、生産性を向上させる要因としては認められなかった。かくして「ホーソン研究」は打ち切られたのである。  

 そこで、時代の進展とともに当時「心理学の第3勢力」と呼ばれたマズローの「自己実現が職場でできているか」が組織の生産性にとって重要なのではないか、と言うアイディアが心理学者たちの脳裏に浮かび、「ホーソン研究」が仮定していた労働環境とか賃金とかの外的報酬よりも、仕事のやりがいや意義を感じられることが重要ではないのか、と言った問題提起がなされた。また近年では、過酷な残業や職種と人材のミスマッチなどの職業人のモチベーションの低下が生産性の阻害要因になっているかも知れないことが指摘され始めている。また、よく筆者は思うのであるが、「向いているからやる」と言う心理学的な適性と言う概念では限界があって、それより「好きだからやる」ことの方が重要なのではないか、と言う可能性もある。  

 この考え方に立つ人間の労働における理論がいくつも提出されている。  

 それらの中にはマクレガーの「X理論・Y理論」、アルダーファの「ERG理論」、アージリスの「未成熟・成熟理論」、ハーズバーグの「動機づけ・衛生要因理論」などがある。  

 マクレガーは、「人間は生来怠け者であり、強制しないと働かない」と言う従来の「X理論」で人間を捉えるのではなく、「人間は自己実現に向かって仕事を積極的に動機づけられた存在」として捉える「Y理論」への人間観の変革を提唱した。アルダーファは人間を生存、関係、成長の3つのファクターが職業人を見るときには大事だと考えた。アージリスは職業的未成熟と成熟の具合によって適職は異なる、と考えた。ハーズバーグは仕事そのものへのひとのコミットが仕事上重要であり、他の要因はほとんど意味を持たないと考えた。  

 以上見てきたさまざまな労働における生産性の規定因の心理学的探究は、未だに明確な結論を得るには至っていない。その一因は、「社会の中での企業」と言う観点が欠落しているせいなのかも知れない。タジフェルとターナーの「社会的アイデンティティ(自分は社会の中の何者なのか)理論」とかアーカーの「ブランド・エクイティ(企業価値)」と言う考え方は、そう言った意味で考慮すべき事柄なのかも知れない。企業にはその企業の「得意技」と言うべきものがあり、それによる社会貢献などの職業人の意識がもしかしすると生産性の有力な規定因のひとつとして視野に入れておくべき事項なのかも知れない。

講座 心理学概論 10 社会心理学 9 ビジネスの心理学

 現在の我が国の人口の大多数はビジネスマンであろう。そこでこの節では、ビジネスの心理学を概論してみたい。  

 生産を除いて特にビジネスで重要なのは、「マーケティング(広告)」と「営業」であろう。これら2つの観点で話を進めてみたい。  

 マーケティングの先駆けになったのは、アメリカのスコットによる「広告心理学」の発刊である。  

 広告を考案するに当たっては、2つのファクターを考えなければならないとされている。1つは情報伝達機能であり、もう1つは説得機能である。特に説得機能については広告媒体の特性と訴求対象を考慮せねばならない。  

 一般に、広告の訴求者が信憑性が高いほど説得はうまく行きやすいと考えられている。マッカーシーはマーケティングの4要素として製品(product)、価格(price)、流通経路(place)、販売促進(promotion)のいわゆる「4つのP」を指摘している。  

 現代のマーケティングにおいては、広告の機序をモデル化した理論がいくつか考案されている。最初に提案された広告のモデルは「AIDMAモデル」である。広告の展開を「A(attention注意)」「I(interest興味)」「D(desire欲望)」「M(memory記憶)」「A(action購買)」の順で考えようと言うアイディアである。店頭での商品販売の場合は「M(memory)」の必要がないので「AIDAモデル」と言うことになる。  

 しかし、大手ネット通販サイト「Amazon」などが登場すると、そのようなモデルで販促を展開する限界が自覚されるようになった。大手広告代理店「電通」は、そこで現代ネット社会で通用するマーケティングモデルを提出した。それが「AISASモデル」である。「A(attention注意)」「I(interest興味)」「S(search検索)」「A(action購買)」「S(share情報共有)」の順で消費者が行動する、と考えたのである。  

 広告が消費者に影響を及ぼす指標としては「リーチ(広告到達率)」と「フリークエンシー(接触頻度)」の2つが代表的なものである。たとえば視聴率が10パーセントのテレビ広告を1回打てば、10人に1人の「リーチ」があると考える。しかし、広告を何度も流すことでその1人への「フリークエンシー」は高まり、消費者の心の中に広告が記憶されやすくなる。  

 ここまでは広告(マーケティング)を概観してみた。次に営業、特に「営業のテクニック」について概観する。  

 ジャニスとフィッシュバックは、交通事故の危険性の啓発などで使われる「恐怖喚起アピール」には説得の効果を弱める働きがあることを突き止めた。たとえば防犯グッズを売るときのセールスで「これを使えばこんなことにはなりませんよ」などと言う「恐怖喚起型」のセールスは有効ではないようである。  

 心理学の知見を用いた営業にかんしては、以下の2通りの有名な「テクニック」がある。  

 ひとつは、「フット・イン・ザ・ドア・テクニック(別名ローボール・テクニック)」と言って、まず街で誰でも応じそうな簡単なアンケートの依頼をして、協力が取れたら本命の依頼をする方法である。  

 もうひとつは「ドア・イン・ザ・フェース・テクニック」と言って、最初応諾困難な依頼をしておいていったん断られたところで、それよりはハードルの低い依頼をしてセールスをする方法である。  

 まぁ、バナナのたたき売りのような話である。  

 これらの販売テクニックの有効性を見るためにアメリカでは面白い実験がなされた。1群の被験者には座ってもファイルの山が崩れない状況を作り、もう1群の被験者には座るとファイルの山が崩れるように故意に仕掛けた状況を作って作業後に「次の作業にも協力してくれますか」と尋ねたところ、ファイルの山を崩した群の応諾性が有意に高かったと言うのである。この他にも、「相手がしてくれたのだから私も」と言う心理機制があり、これを「返報性の原理」と呼ぶ。  

 これらの知見は、良識の範囲内で使うことを読者でビジネスにかかわっているひとびとには注意喚起しておきたい。

講座 心理学概論 10 社会心理学 8 帰属過程

 ひとは何らかの事象やひとの行動を見たとき、「あれは○○のせいでそうなんだ」と納得することが生活の中では当たり前のようにしている。  

 このような、物事の原因や人物の性格推論など「○○のせいにする」ことを社会心理学では「帰属」と呼んでいる。この節ではそのような帰属の問題を扱う。  

 帰属理論を最初に提唱したのは、先の節で触れたハイダーである。だが、彼はそのようなアイディアとその概略を示しただけであまりその問題を深くは探求しなかった。  

 帰属の問題を理論的に説明しようと言う試みは、ジョーンズとデーヴィスの「対応推論理論」に始まる。彼らは帰属過程を2つのステップに分けて考えた。まず第1に「その行為には意図があるかどうか」の推論がなされ、意図が認められるとどの行為に意図があったかが同定され、その行為の結果が選択された行為のみに伴う「非共通結果」が少なく特にそれが望ましくないときにそれがひとの性格推論を成立させると見ている。分かりづらい部分があるので解説すると、「非共通結果が少ない」と言うことは、状況など他の要因によると言うよりも人柄や性格によってもたらされた(その行為と結果の因果の一般性が高い)とみなされやすい、と言うことである。たとえば、電車でシルバーシートを老人に譲らないと言う行動は、老人を困惑させると言う「非共通結果」を席を譲らないと言う行為にのみ伴い、望ましくないので、席を譲らない人は意地悪だと性格推論されやすいと言うわけである。  

 この「対応推測理論」をもっと分かりやすく正確にしようとしたのがトロペの「帰属の2段階モデル」やケリーの「共変(ANOVA)モデル」である。  

 トロペは人間の性格帰属を「行動の同定」と「性格推論」で説明しようとした。例えば誰かが暴力を振るっていたとしたら、「あぁ、あれは怒ってるんだな」と考え、「あのひとは怒りっぽいひとだ」と言う推論がなされる。  

 これに対しケリーは「行為の結果と行為がともに出現するときに行為の結果は行為がもとで起こった」と言うような推論と帰属をひとはする、と考えた。たとえば、毎日ウォーキングをしているひとがいる、とする。もし他の誰もが同じようにウォーキングをするのであれば、ひとは「あぁ、ウォーキングは今どきの流行りなんだな」と解釈してそのひとの特質だとは考えられにくいであろう。逆に、毎日ウォーキングをしているひとだけしかウォーキングしないとするならば、「あのひとはウォーキングが好きなんだな」と言う特性推論、つまり原因帰属がなされるわけである。他にもウォーキングのルートが他のひとびととは違ってそのひとだけしか歩かないルートがあったとするならば、「あのひとはあのルートがお気に入りなんだな」と言う帰属がなされるわけである。  

 人間には一般的には帰属の際にある意味で偏った原因帰属をすることが知られている。  

 たとえば、他人の行動は性格など内的要因によって起こり、自分の行動は状況など外的要因によって起こると認知する「基本的な帰属の誤り」が見られるし、ひとの行為の元はそのひとの性格であると言ったような思い込みである「相似のバイアス」、自分の立ち居振る舞いは他人のそれよりも目立っていると感じる「スポットライト効果」、自分の成功は自身の能力など内的要因に、失敗は運や状況など外的な要因に帰属する「自己奉仕バイアス」と言った帰属のエラーがよく見られる。  

 たとえばアイドルなどは「スポットライト効果」の傾向の強いひとが多いであろうし、この章で述べた「平均以上効果」のように「基本的な帰属の誤り」の延長線上に存在するような認知バイアスもあるだろう。また、我々の子どもの頃のことを思い出すと、成績の良さは自分の能力に、成績の悪さは不勉強などに帰属することも経験則として感じられる方も多いのではないだろうか。  

 ロッターの「統制の座(ローカス・オブ・コントロール)」と言う考え方からも帰属問題についての示唆も得られる。何が何のせいと考えることは、社会問題においてもひとびとのかかわりにおいても次の局面を方向付けるので注意したい。  

 いずれにせよ、外的要因も内的要因もバランスの取れた帰属スタイルを取ることが人間関係の中では重要である、と指摘しておきたい。