講座 心理学概論 11 人格心理学 4 類型論

 皆さんは血液型と性格の関係について信じているだろうか。心理学的にここまでは言える、と言う科学的知見としては、血液型と免疫力には関係がある、と言うところまでである。  

 このように、血液型と言う基準で人間をあるタイプだと考え、タイプそれぞれには特徴がある、と言う考えのことを「類型論(タイポロジー)」と言い、その原型を考案した4人の心理学者がいる。それはクレッチマーとシェルドン、ユング、そしてシュプランガーである。  

 そこでこの節ではこれら4人の「類型論」について紹介したいと思う。  

 クレッチマーは彼の著作「体格と性格」で彼の精神医学的な膨大な症例から体格と性格には関係があり、人間を体形で3類型に分けられることを明らかにした。  

 ひとつは「細長型(痩せ型)」で、これらのひとの性格には静かで真面目で控え目な「分裂気質」が多いと言い、次に「肥満型」の人間は社交的で温厚かつ親切だが気分に波がある「循環気質(躁うつ気質)」が多く、筋肉隆々の「闘士型」のひとは頑固だが几帳面でありものごとに熱中して興奮しやすいひとが多いと報告している。  

 ただ、最近の研究では必ずしもそうは言えないと言うことを心理学者たちは報告するようになった。  

 シェルドンもクレッチマーと似た考えを表明している。  

 彼の着眼はなかなか面白いものであった。人間は胎生期に内胚葉(消化器発達型)、中胚葉(筋骨発達型)、外肺葉(神経発達型)の3つの要素を持っているのだが、そのどれが優勢であるかによって性格は決まると考えた。内胚葉型の人間は姿勢と動作がゆったりしていて鈍重であり、肉体的な享楽と儀式的な行動を好み、外向的で人当たりが良いとされている。中胚葉型の人間は姿勢と動作がきりっとしていて機敏であり、リスクのある冒険的な行動を好み、チャンスを掴み取るために攻撃性を見せることもあると言う。外肺葉型の人間は姿勢と動作がぎこちなくて固く社会的活動に対して消極的で感情表現に乏しく、対人恐怖症(社会不安障害)の傾向が見られることがあると言う。  

 以上の2者は体形と言う身体的特徴から人間を類型化しているが、心理的傾向そのものから人間を類型化して考える心理学者もいる。その代表格がユングとシュプランガーである。  

 ユングはフロイトの言うところの盲目的な衝動としてのリビドーがひとによって外に向かうひと(外向型)と内に向かうひと(内向型)の2種類に大別できると考え、それに基本的な精神機能である思考・感情・感覚・直感のどれが優勢かから人間を8つのタイプに分ける類型論を展開した。  

 それに対しシュプランガーは何に心理的にそのひとの心のありようを重視しているかによって、理論型、経済型、審美型、権力型、宗教型、社会型の6つの類型にひとを分けることができると考えた。  

 いま世間で根強い人気のある「血液型性格診断」には科学的根拠はないが、なぜそう言う考えがひとびとを捉えて離さないかと言えば、それは「人間の理解のしやすさ」の一点に尽きるのではないだろうか。それを考え出させた元のところには、上記4人の精神医学者や心理学者の発想があるわけでである。  

 ただ、これらの考えはかなり大雑把な人間の把握であり、現実には体形や心理の特徴がこうだからと言って直ちに「このひとはこういう性格です」と考えると、実際の人間とかけ離れた人格理解をしてしまうリスクが相当程度あり、あまり軽率に割り切らない方が賢明である。  

 この他には、臨床でよく用いられる投影法(心理テストに現れた反応の特徴はそのひとの性格の表れだと考える人間理解の方法論)の性格検査としてローゼンツヴァイクの「P-Fスタディ」と言うものがあり、それにおいては人間を内罰型(何でも自分のせいだと考えるタイプ)、外罰型(何でも環境のせいにするタイプ)、無罰型(なにも責めないタイプ)の3つの類型に分けて理解すると言う方法が使われている。読者の方にはお気づきの方も多いとは思うが、これは先の章で述べた「帰属」の個人的スタイルをみると言う発想があるのである。  

 人間を理解しようとする試みは、ギリシアのヒポクラテス以来、様々な人間が様々な考え方を提示してきたが、それは裏を返せば現実の我々の生活における人間理解と言うものがいかに難しくて、リスクを伴うものであるかと言うことを物語っている。  

 それゆえ人間を少しでも分かりやすくするために心理学においては人格把握の第1歩を「人間の類型的理解」に求めたのは自然なことであったのであろう。

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