アブストラクト(発表要旨)

 3月13日午後1時より、第30回日本乳幼児医学・心理学会大会(Web開催)にて、「絆としての意識~意識の必然性における親子要因と身体防御要因について~」を発表しました。

 要旨は以下の通りです。

 鳥類・哺乳類には明白に意識があるが、それは養育過程における「訴求(例えば雛がピヨピヨ餌をねだる)と気遣い(親鳥が餌を取ってきて与える)のキャッチボール」の必然的な結果である。

 それらの生物の生態学史的ノードノード(個々の結節)において、それが生体防御にとって有効にはたらくために心理学で言う「強化子(意識過程の発達の要因)」として意識と言うものが維持されてきた生物史と言うものに思いを馳せないでいることはできない。

 それゆえ、些か端的ではあるが、意識の必然性として親子要因と身体防御要因を指摘した次第である。

 大雑把には以上です。

液体腐敗のない「巡りん」

僕はこれを「やじろべえ」や「竹とんぼ」のような作者不詳の我が国の民間伝承にしたいので、僕が着想したことは伏せて普及してください。

※当然のことですが、中央の勾玉(まがたま)状の器は固定台なり固定棒による固定が必要です。また、このままの形状で作っても、空気圧が足りなくて動作しません。動作原理を示したかっただけです。もし現実にこの原理を働かせたければ、以下のようなものを使って家庭で動作確認してみてください。

 ※ただし、これを水面近くで実現しようとしても、1.ストローの中に水が完全になく、2.ストローはあまり長くない、の2条件がたまたま揃うと言うように運が良くないとうまくは動作しません。取り敢えず冷やかしでも動作確認をしたいのなら、水深がそこそこあるところでおやりになってください。

追伸
うまく行かない方へ
以下のような明確な装置にし、
 
1.あまり空気溜りを大きくしないで
2.適当な水深のところで
3.空気の返し管を細くする
と、うまく行きます。
あきらめないで!!

深圳からの国際郵便

3極ミニプラグを4極に変換できる商品が世界でもここでしか作られてはいないのでやむを得ず注文しました(ヘッドホン用ならいくらでもありますがマイク用はこれだけです)。深圳を1月17日の発送で、春日井に11日後の1月27日(つい先ほど)届きました。

この製造会社からのメールによると、1月17日午後4時に出荷、それ以降の動きは以下の通り。

LP *** *** *** CN 国際特定記録
状態発生日
(海外発生は現地時間) 配送履歴詳細   取扱局   県名・国名  郵便番号
2021/01/19 15:15      引受            CHINA
2021/01/19 16:30   国際交換局に到着   YIWU A   CHINA
2021/01/19 17:35   国際交換局から発送  YIWU D EMS  CHINA
2021/01/25 11:23   国際交換局に到着 川崎東郵便局 神奈川県  219-8799
2021/01/25 11:24    通関手続中   川崎東郵便局 神奈川県  219-8799
2021/01/26 01:00    国際交換局から発送川崎東郵便局 神奈川県  219-8799
2021/01/27 07:03        到着     春日井郵便局  愛知県   486-8799
2021/01/27 10:34      お届け済み    春日井郵便局  愛知県   486-8799

いやぁ、国際郵便と言うのは日にちがかかるものなのですねぇ。

加治木義博の嘘っぱち

 彼がそのミリオンセラー「ノストラダムスの予言」を書いてひとびとを自意識過剰にした事件(その好例はオウム真理教)は記憶に新しいが、そこには「救世主チランの後継はアグリッパ」と書いてあった。

 ところが、そのアグリッパと言うのは、ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ(Heinrich Cornelius Agrippa, 1486年9月14日-1535年2月18日)のことを指すと思われる。

 ノストラダムスは1503年の生まれなので、アグリッパとほぼ同時代人と言うことになる。

 そうなると、「救世主チラン」なる者は、ノストラダムスより遙かに年上の人物と言うことになり、ノストラダムスの書き残したのは、予言集などではなく、回顧録だったと言うことになる。

 ノストラダムスも、自分の著著に「諸世紀」と言うタイトルを与えたので、それを予言集と取ったひとびとは彼の言葉に人生を振り回されたことになる。

 そもそも、これは筆者の信念であるが、良いことであれ悪いことであれ、人間は自分自身の運命をそれとして生きることそのものに神様の真意があると思っている。なので筆者バイクで転倒して骨折しても「先に教えて欲しかった」などとは微塵も思わず、その信念が揺らいだことはない。

 そして、自分がつかむべき本当の知恵は、「先が見えない」と言うご馳走を心の芯が食べることなく出てくることはない、と。自分の信じる神様像(それはひとにより千差万別であろう)からは、それ以外の何も感じない。

身の丈がショボい人間未満の原始人の僕が考えた世界一ショボい永久機関「巡りん」

 

↓ 水圧による空気への上昇圧力を用いた勾玉(まがたま)状の「巡りん」(2015年6月30日着想)。

※「巡りん」は固定台なり固定棒による設置が必要です。また、このままの形状で作っても、空気圧が足りなくて動作しません。動作原理を示したかっただけです。もし現実に動作する「巡りん」を体感したければ、以下のようなものを使って家庭で動作確認をすれば良いでしょう(ただし、これを水面近くで実現しようとしても、1.ストローの中に水が完全になく、2.ストローはあまり長くない、の2条件がたまたま揃うと言うように運が良くないとうまくは動作しません。取り敢えず冷やかしでも動作確認をしたいのなら、水深がそこそこあるところでおやりになってください)。

 これを着想してみて改めて思ったことは、「成果が出なくても考えることの大切さ」です。実は僕は頭が悪くて、小中高の成績は平均以下でして、「巡りん」を着想するだけで15年呻吟してこの有様です。世間では「桃栗三年柿八年」とか「首振り三年ころ八年」とか申します。なので、「桃栗三年柿八年永久機関十五年」、「首振り三年ころ八年永久機関十五年」と申せましょう。

 しかし、こんなことを「熱力学第1・第2法則」を持ち出して否定する狂信的教条主義者しかYahoo!知恵袋にはいないようで、ハッキリ言って彼らはクレイジーです(ちなみに彼らは僕のことを「理論を知らない低知能」だと言っているが、そんなことは言われなくても自覚しとるわ、と言ってやりたい)。見当違いも甚だしく、これらと「熱力学第1・第2法則」のどこが被るのか、きちんと平仄が合うように説明してみろい、と訊きたいです(たとえば、この場合のdUは何でδQは何でδWは何でdU=δQ+δWと言う式は具体的に何の表現なのか等です(言うまでもなく、「熱力学第1・第2法則」の最大の欠陥は、絶対零度をエネルギー収支の原点と考えないところにあります。絶対零度でさえエネルギーがゼロと言うことはあり得ないはずです。なぜなら空間が存在すること自体にエネルギーが必要なはずだからです))。彼らは「道は一つではない」ことを知らないのでしょう。どうか彼らのペテンに騙されないでください。それと同時に、YouTubeなどにアップされている「永久機関」と称する動画は、100%が過去に動作しないことが実証された昔のひとのアイディアで、全部イカサマです。動画の投稿主たちには「なぜ自分で考えないのか?」と疑念を投げかけておきます。永久機関についてのでっち上げられた困難さに対する反論はこちらで見ることができます。

注1)陶器やガラスで作った場合の廃棄の方法‥‥活火山の火口に投棄のこと

注2)僕はこれを「やじろべえ」や「竹とんぼ」のような作者不詳の我が国の民間伝承にしたいので、僕が着想したことは伏せて語り継がれることを望みます(僕は親から頂戴する志だけで暮らしており、基本的に自分の知恵や考えをお金に換えることはしておりません)。筆者人間の本来の暮らしについての自分なりの課題をたくさん抱えております。静かにそれらを考えるためには、こんなところで大げさに騒がれることが一番迷惑です。お心遣いよろしくお願いします。



追伸
うまく行かない方へ
以下のような明確な装置にし、
 
1.あまり空気溜りを大きくしないで
2.適当な水深のところで
3.空気の返し管を細くする
と、うまく行きます。
あきらめないで!!

 親から子へ、子から孫へ

犯罪者の発達心理

 

 

 誰にでも赤ちゃんだった頃があり、その可愛い相貌からは誰ひとりとしてその子が凶悪な犯罪者になることを想像できないでしょう。

 物心がつく3歳齢あたりまで精神が不安定な境遇で育った子どもが「悪いこと」をしがちなことは我々の経験値として確かなことです。

 大方の大人はここで「認識ミス」を犯してしまいます。「この子のすることには悪意がある」、と。

 現実には、このような子どもの「悪いこと」と言うのは、大人が犯罪者を裁くのと同じ「制裁」なり「ジャスティス」と言う心理から起きているわけです。ここを大人が見落としていることによって、彼らは「理解者喪失感」を強め、「正義は報われない」と言う誤学習(メタ認知)をさせられ、孤独な犯罪者の「素質」を植え付けられてゆくわけです。本来であれば、たとえば「ママのどこが悪かったのかしら?」と問い返すような、大人が「自分のどの行為に対して制裁されているのか」「子どもはどう言うジャスティスを下しているのか」を、正確に把握している必要があるのです。

 この「善悪」自体と「性善説・性悪説」自体の発生メカニズムは同じであることにお気づきにならないでしょうか。

 それは、人間が窮したとき、強い「竹を割ったような答えを求める症候群(白黒をつけたがる傾向)」に陥りやすいことによって起きる社会現象だと言う意味でそう思うわけです。

 この「制裁心」なり「ジャスティス」と言うのは、それに分があれどなかれど、一種のそのひとなりの「正義の実行」なのは言うまでもありません。同じ「正義の実行」なのに「善」になったり「悪」になったりする事象については、個別具体的に仔細に考慮されなくてはなりません。そして恐らく、本来の「善悪」とは、その判断にどれだけの分があるかの問題なのでしょう。

 人間は仏像ではありません。彫ればその通りの仏像になるわけではありません。常習的犯罪者には、「罪悪感」が欠けているのです。それは、人間としての対等意識が育っていないことを意味しています。

 子どもの頃にそのような「素質」を植え付けられたとしても、職業的あるいは常習的犯罪者に至るためには、もう1ステップ必要です。それは「人一般への憎悪・色眼鏡」や「通念上理解しがたい変世界」がその者の心に醸成されることです。

 したがって、犯罪者の更生を促進するには、自身の反社会的な「メタ認知」に疑念を抱かせ、ステップワイズ(徐々)にこれを消去してゆく地道な取り組みが必要かと思われるのである。

 なお、筆者の学部入試の小論文の課題「学校の問題児は家庭、学校、コミュニティのいずれで形成されるのか」と言う問いの現在の筆者なりの答えは、最もその子が自我関与(心のよりどころに)しているのがこれら三者のいずれかであれば、そこで上述のような処遇を受ければいずれであっても問題児になり得る、と言うことである。

 (特に社会構造と人格のマッチング、心理的深浅の問題のように)犯罪にはいろいろな水準で起きるものがあり、そのすべてを上記の理屈で説明するのは不可能ですが、これも一種の「犯罪心理学入門」として理解されると良いと思います。

意識の発生メカニズムについての一考察

 自分の専攻学科である関係上、このような内容の論文発表は過去2回、日本心理学会大会にて行ってきた。

 表題の問題について、簡単に筆者の見解を述べておく。

 基本的に「意識とは何か」については繰り返し指摘してきた通り、「存在感覚」だと言えるように思う。

 筆者なりの意識の発生メカニズムの基本は哺乳類および鳥類、つまり親子関係が出生後重要になる生物に特徴的なもので、親子の関係維持の必要から生じるものと考えている。

 したがって、意識の発生要件には、「依存性をベースとした関係の継続性の必要」が最大のファクターだと考えて良いように思う。

 そして、それを前提としたその存在の内面的継続性・融通性(行為の調節性)が認識できることを以て「ものごころがついた」と認識しうると言えようかと思う。インデックスとしては「行為の自在性」が最たるそれであろう。なぜそのような「制御感」が直接のディフェンス行為がなくても生まれるのかと言えば、「養育-模倣-巣立ち」の過程を経る動物では、そこから「意識」が「迷い-意思決定」を経て給備されると考えるのが自然であろう。

 意識が一番端的に見られる現象は、「自分を庇う」と言う行為のように思われる。なので、同じ動物でも身体障害のある個体の方が身体障害のない個体よりも「意識的になる」であろう。このように、基本「傷つけられることから守ること」に意識のレゾンデートルがあるように思われる。究極にはこの一点に尽きるのではないか。

 では、は虫類、両生類ではどうだろうか?たぶん、彼らには意識が「ない」のではなく、未分化なだけかと思われる。

 傷つかないための意識なのに、人間はなぜ傷つけ合うのか…いまのひとびとは一方的に思うことに慣れすぎている…

 まとめると、「意識」はそれがいかに低次なものであっても「予期せぬ障害-困惑-目論見的対処」により醸成される。なので、おぼろげながらにも自己対象視ができている状態を「意識」と呼ぶのであろう。なぜ人間が「意識的存在」の最右翼なのかと言えば、おそらく出生時に最も未熟な状態で産まれてくるゆえではないだろうか。

 以上、心理学で有名な「モーガンの公準」から一歩出たところで意識を考えてみた。

Key Words : 障害 その背景としての環境多様性

半年前に裏庭に株分けしたドクダミ

 昨年の暮れに裏庭のキンモクセイの根回りに株分けしたドクダミが見事な見頃を迎えています。

 写真からは想像できないかも知れませんが、よほど栄養が良かったのか、葉っぱが大人の手のひら大ほどまでに成長し、いままで見たことがない巨大な葉っぱをつけています。

 昨年暮れに発見した倒れたユリ科の草本の横に、スックと新たな同じ種のユリ科の草本もスクスクと育っています。

 驚きとともに、喜びもひとしおです。ユキノシタなんかもそうですが、僕はドクダミのように生き方というかあり方がシンプルでストレートな植物が好きです。