森羅万象の動物的認識および意識の正体

 
 19世紀の生理学は即物的過ぎた。

 17世紀、ライプニッツは「モナド論」により物質と精神の関係についての考察である「モナド」と言う中間項を立てることにより、精神と物質の統一を唱えた。

 「モナド」の実在性を巡っては現在でもさまざまな議論がある。

 だが、この「モナド論」は解釈を変えることで、我々の生活を激変させる可能性を秘めている。

 どう言うことかを説明しよう。

 我々の知覚や認識、意識、対象などを説明するのに「モナド」ではなく「イオン性状分布」によっていると考えると、ライプニッツのモナド論を現代的に修正することができる。この「イオン性状分布」自体は物ではなくて、単なる「状態」である。

 逆の言い方をすれば、我々が認識しているすべてのものは、イオン性状の受容に負い、認識の発送も同断のメカニズムによって行われている、と考えられるのである。かかる「イオン性状分布」は、電気ないし磁力を用いて検出できるらしきことも分かってきた。もし我々が狙い通りにイオン制御できるのなら、そこには大きな可能性はある。

 この知見は、我々の生活を安楽なものに変え、盲聾唖者にとって福音となるであろうが、悪しき精神によれば、人類を弄び、破滅させる原因にさえなり得る、と言うことは良心のある人間には容易に分かることであろう。

 かつてアインシュタインが物質に対して定式化したことが原水爆を産み出してしまった「学者を扮した犯罪者」に転落した苦い経験に鑑み、「科学者」そして一般の人間に強い警告を与え、知恵になり得る認識は慎重に検討する必要が必須であることに注意喚起し、この新しい「モナド論」を提起する次第である。

 意識現象も含めて、「森羅万象はイオン的である」と揚言することでこの拙文を締め括りたい。「認識はイオン分布の写りである」。

日本の素朴でシンプルなプチ永久機関「巡りん(めぐりん)」

僕の一発芸「巡りん」では、以下のように「たらい」のように横(底)面積の広いものが確実に動作する。理由は、水圧を大きくできるからである。水圧(空気圧)は器の横(底)面積を限りなく大きく取れば取るほど無限に大きくできる。実際に動作確認もしている(たらいは任意の方法で水中に固定)。理の上では、ここで「平衡の原理」を持ち出して誤解するひとがいる。言うまでもなく、「巡りん」は「平衡の原理」によるのではなく、「力学(空気銃)の原理」によって動作するのである(この場合の流体(空気)は閉じていないのでパスカルの原理は働かない)。ここを見誤ってはならない(そのことに疑問を持つ方はこちらを参照のこと)。

また、これを本当に永久機関にしたければ、この周りをトウモロコシ製プラスチックで囲い込む必要がある。そうすれば、水の蒸発なく空気の水への溶融も飽和したところで止まるからである(水の腐敗防止対策として5パーセント程エチルアルコールを入れること)。

なお、念のため装置全体が水没するまで空気の吹き出し口は指または弁(キャップも可)で閉じておくこと。この知恵で「仕事」を取り出したいときは、空気の排出口の上にスクリューを配置するなりして力を取り出せば良い。船の航行などに応用できるだろう。

形は工夫次第。日本の知恵のシンプルさをご堪能ください。

※2015年6月30日早朝 着想

※空気の循環が可能な範囲でダウンサイジングが可能/挙動が分かりやすい透明な装置も可(シリカ製を推奨)/コピーライトフリー

※それでもまだ懐疑的な方は、こちらを閲覧のこと。僕のホームページはこちら

 

#輪廻

駄知恵博物館

 
 もともと僕は心理士なのに、永久機関とか無燃料永久発電機とか素数の法則とかの余所事ばかりに手を出しているのがたぶん悪くて、昨年末からいままで閲覧者0行進を続けている。いよいよ僕もヤバくておかしなお爺さんとみんなから認知されているようだ。

 トホホ。

            おまけ 【解説】オルフィレウスの永久機関

オルフィレウスの永久機関(Short Ver.)

  永久機関について予備知識のない方はこちらをご覧ください。

 オルフィレウスの永久機関は、複数のシーソー状の丸太の支点が丸太の運動、つまり力の回収が止まらないように釣り合いが取れそうになると支点が逆に移動してイントレランスを産み出す仕掛けだったのだろう。それが「重心が永久に釣り合わない」と言うことの意味だったのだろう。

 まぁ、考えればできないことでもないことはお分かりいただけようかと思う。

誰も明らかにしなかった「重力」の本質

 
 元来「重力観」には2つの立場がある。1つは「スタティック(=静的)」と見る立場(従来の重力観)であり、もう1つは「ダイナミック(=動的)」と見る立場である。筆者は後者の立場で見ると言うことを、ここで予めお断りしておく。なお、ニュートンからアインシュタインに至る重力観の系譜はすべて重力を「所与のもの」と見る立場であり、それゆえ重力の発生過程を説明しない立場であった。しかし、その視点の限界は、重力係数が定義ごとに異なると言う矛盾などに認めることができる。

 「重力」によって惑星上のものものは同じものものが真空宇宙空間にあるときよりも「軽く」なろうとしている。言い換えると、「重力」とは本質的に「物体の総体的な抵抗力(=反発力)を無効にする力」のことであり、ものものの結合力(分子間力)を弱めるエネルギーであると言える。それくらい単体物の宇宙中におけるエネルギーは強い。それゆえ「重力」は、地球上でのものものの本来(宇宙空間中)の「重さ」に対する「脱力化」のはたらきをする。

 これが惑星の中心からの物性の変化であり、それにより球形でもものものが周囲に遇われる理由である。

 平たく言うと「重力」によってものものの結合力が弱まる。「重力」は惑星中心のガス「燃焼(燃焼物が燃焼温度になっても閉じ込められて燃焼できない可能性もあるのでこのような表現をした)=熱的重層性(ポイントは真空かそれと近似の熱力学の問題)」によって発生する現象である。意外に思われるかも知れないが、太陽系惑星は一番遠い海王星でもその中心温度は5000度はあり、その中で最も中心温度が低いのは火星(2000度)であり、地球を1としたときの重力が0.42しかない。これは太陽系惑星の中で最も重力が弱い。重力がガスの挙動によって引き起こされることを示唆する事実である。ちなみに月の重力はみんなが知っている通り地球の6分の1(中心温度1200度)である。

 星に高低ができるのは、単にものものの結合力の差の表現に過ぎない。このことを別の角度から考えると、重力と言うのは垂直に最も良くはたらき、天体を構成する全物質を堆積するはたらきであると言うべきである。これを一言で「物約性(物的電気化学変性)」と言う。よって天球の平面上の速度をもつすべての運動体は、上昇運動(この場合だけ重力は強まる)を除いて静止物体より小さな重力しかはたらかない。このことから、天体上で相対的に静止しているものにしか所与の重力ははたらいていないのである(しかし、天体がすべて運動体であることから、一つの要因として静止していることが重力を発生しているのか否かには議論の余地がある…筆者の考えでは、慣性系と重力は背反する。この点で重力と慣性系を同一視したアインシュタインの相対性理論は誤っており、むしろ重力と慣性系は反対するものだと考えるべきである。また、彼の所説のように重力によって歪むのはあくまで質量体なのであり、宇宙空間なのではない。質量体が歪みを生ずるのであたかも空間が「歪んで」いるように「見える」)。

 なので、同じ物質(もの)でも恒星・惑星表面にあるものと、真空宇宙空間にあるものでは、後者の方が結合力は強い。これが、直径がたったの数メートルの流星でも地球に与える衝撃がきわめて大きい理由である。逆に、太陽系惑星以外の宇宙彷徨天体が衝突しない限りは惑星公転の軌道から全く外れないのは、重力が質量に依存すると言う仮説の反証と見ることができる。

 ※なお、「ガス」と表現した部分は「特殊な鉱物の高温状態」と読み替えることもできる。

「回生ブレーキ(疾走力の再エネルギー化)」にみる虚と実

 
 皆さんは、「回生ブレーキ(疾走力の再エネルギー化)」と言う言葉を最近よく耳にするであろう。それは制動力(ブレーキ力)を力として回収し、再び疾走力に投入する、と言うエネルギー・メカニズムである。
 
 車の加速力が0キロから5キロになるのと、5キロから10キロになるのには、速度が小さいほど同じ5キロのスピードアップでも大きな力が必要で、ある車速からある車速までに加速するのに必要な力は、加々速度の対数を取る(0キロから5キロよりも、5キロから10キロの方が加速に必要な力は小さい)ことは容易に想像ができることだろう。

 いや、想像ができると言うよりも、クラッチ式バイクやマニュアル車に乗っているひとは、このことが肌に染みて感じられていることだろう。

 これがもし加速と言う意味ではなく、速度維持に必要な力と言うお話になれば、必要な力は遙かに小さくて済むことは皆さんにもお分かりのことだろう。

 ここに疾走力の再利用にかかわる嘘が市場に出回っていることに、皆さんはお気づきだろうか。

 疾走体がただその速度を維持するだけのことなら、「回生ブレーキ(あるいは、疾走力の再エネルギー化)」で回収した力で実は十分なのである。理屈としては、シャフトに電磁石がついていれば、十分な電力は得られるし、何ならブレーキをかける方が疾走し続けるよりも大きなエネルギーを必要とする。

 確かに疾走体が発進と停止を短い間隔で繰り返す場合にはそれは言えない。それだけの力が確かに必要である。

 しかし、継続して疾走し続ける疾走体の場合だと、疾走力それ自体だけで加速とは言わないまでも速度維持程度のことなら力学的にできてしまう、と指摘したいのである。

 これは紛れもなく一種の永久機関である(永久機関がいかに容易くできるかについてはこちらの記事を参照のこと)。

 世間で取り上げられる「回生ブレーキ」あるいは疾走力の再エネルギー化についての虚と実を取り上げてみた。

 最後に。「天才」と言う神話に騙されてはいけない。この世に本当に「天才」がいるのだとしたら、こんな幼稚園級のお話はとっくの昔に片付いていたはずなのだから。

男と女がいる理由

 
 結論から申し上げると、それは「種の多様性」をもたらすからである。

 もし単性生殖で種を持ちこたえようとすれば、種の多様性は狭くなる。

 遺伝子が多様なほど、さまざまな環境適応が可能になる。

 だから、子どもたちを一様に学校に結束してしまうのは正しくない。学校は重層的(全世代型)コミュニティではないので、そこに相互扶助はないからである。

家庭でできるプチ永久機関「巡りん」

ご自宅のお風呂の水で簡単にできます。

これがなぜできるのかと言うと、逆さまにした風呂桶の中の空気圧が2気圧ほどに高まるためです。水面付近の水圧は1気圧なので、空気圧に負けて気泡(空気)が循環する仕組みになるわけです。なお、風呂桶の形が台形の方が装置内の単位体積あたりの圧縮空気圧が高まるため、有利です。

ただし、これを水面近くで実現しようとしても、1.ストローの中に水が完全になく、2.ストローはあまり長くない、の2条件がたまたま揃うと言うように運が良くないとうまくは動作しません。取り敢えず冷やかしでも動作確認をしたいのなら、水深がそこそこあるところでおやりになってください。

なお、桶は透明なシリカ製、ストローはトウモロコシ由来のものが良いです(環境保護の観点から)。

追伸
うまく行かない方へ
以下のような明確な装置にし、
 
1.あまり空気溜りを大きくしないで
2.適当な水深のところで
3.空気の返し管を細くする
と、うまく行きます。
あきらめないで!!

※得心が行かない方はこちらをご覧ください。

人間から毛がなくなったわけ

 
 表題の理由は簡単明瞭で、なぜ欧米人に青い瞳とブロンドの髪の人間が多いのかと同断である。

 ある程度の温度変化に耐えて生きるには、体毛があった方が有利である。

 なのになぜ地球上の人類から体毛がなくなったのであろうか。

 先に欧米人のアウトルックがそうなったのと同断だと述べた。

 それはこう言うことなのである。「その方が魅力的だから」。

 人間の歴史は選抜交配の歴史だとも言えるほど、人類はそれを好んだ。つい近世まではやれ源氏だのお家柄だのと真面目にこだわるひとが大勢を占めていたほどである。

 なので、ある時代までは自然上生存に有利に体毛のあるひとびとしかいなかった。

 しかし、突然変異により体毛のない人間が生まれ、ひとびとはそれを重宝がり始めた。

 そこからいきなり人間の体毛が消えていったのである。「毛のない人間」が魅力的なので、ひとびとはこぞって毛のない異性(特に女性)に群がり、突然変異からの選抜交配の道を選んだ、と言うわけである。

 だから、それと同断で、欧米人は青い瞳とブロンドが多数になったのである。

 そのことは、「アダムとイブ」の神話に象徴的に表現されている。

 一般に環境と種はあらゆる意味で持ちつ持たれつの関係にあるが、このようなこと(選抜交配に頼ること)その他あらゆる意味で最も環境の受動から縁遠くなってしまったのが現生人類だと言える。