「自閉症」の問題圏

 
 「自閉症」は一般に「対人関係のぎこちなさ」をその主訴とする。

 多くの心理学者は自閉症の原因を「脳の問題」であるが、脳の何が問題であるのかは不明である、と考えている。

 筆者は人間の対人認識と言うものが、他の動物と同様、認知と感情がセットとなってはたらく結果だと見ている。要するに、遺伝的には認知と感情は区別されることなく組み込まれている、と考えている。

 これが何らかの理由で機能不全になった結果が、「自閉症」と言う診断になるのだと思う。したがって、すべての自閉症が遺伝的とは言い切れないかも知れない。

 しかし、もし心理学者の多くが自閉症を「脳の障害」だと言っている前提に立つならば、筆者はその原因解明には、思ったほどの労力をかけずにできてしまうのではないか、と提言させていただきたい。

 もし自閉症が認知機能の問題だとするならば、それは哲学で言う「即自」よりは「対自」認知の問題であろう。だとするならば、その錬成としての「自己概念」の発達に顕著な影を落としているはずである。

 しかし、そこに問題の所在を見つけられなかったとすると、可能性のある認識は、「感情受容(共感性)の障害」一択に絞られてくる。これをみるのには、養育者の感情表出に対する自閉症児の応答性を見ていれば良い。

 しかし、自閉症の症状は多彩なので、個別具体のケースごとに原因を想定しなければならない事態も視野に入れておかねばならない。

 その場合、「環境の欠損(栄養、対人関係の狭さ、そのあり方のゆがみなど)」と言う非遺伝的な要因も含めて、「自己概念」に問題はないか、他者(養育者)の感情受容に問題はないか、と言う3つの視点から自閉症を見て行く必要があるように思われる。

 いずれであるにしても、大勢としてか個別具体としてか、自閉症の原因究明についてのポイントについて述べてみた。

統合失調症の心理的治療

 
 僕は以前書いたように、カウンセラーではない、したがってこの世(在野)に必要ではない心理士である。

 その無価値な心理士として考える「統合失調症の心理的治療」の具体について触れておきたいが、その前にひと言だけ断っておく。

 統合失調症については、心理的治療よりも精神医学的治療、すなわち腹側淡蒼球などの薬物的な代謝異常の是正が優先する。そのドラスティックさにおいては、心理治療よりも薬物治療の方が根本的な治療たりうるからである。

 さて、統合失調症は多くの場合、「意味付けされた幻聴」をその主訴とする。それで僕は統合失調症のことを「囚人症候群(別名アナザーパイロット症候群)」と呼ぶことを提案している。その意味で、統合失調症は「理解不能の病」ではない。

 多くの医師が言うように、統合失調症患者ではこの「意味付けされた幻聴」が「現実」だと認識していることが、「病識の欠落」なのだと問題視しているわけである。

 ならば、統合失調症患者に治療者が手取り足取りして、「それはあなたのおかしなところです」と一々指摘して、「普通はそんな認識は持ちません」と言う明確なメッセージを与え、病識を持たせるところから心理的治療は開始されるべきである。

 そしてその先に進むためには、その症状に意識的に対決・無視させるよう患者を導くことこそが、真の意味での統合失調症の心理的治療になるはずである。

 これは昔からある「ロゴセラピー」と言う手法である。

 果たして、「公認心理師」は、こう言う治療を現実に行っているのであろうか。

親子の情愛と「打たれ弱さ」

 
 エインズワースの「ストレンジ・シチュエーション法」は、発達心理学を学んだ者なら誰でも知っていることだろう。

 今日はその研究がなぜ行き詰まっているのかについてお話したい。

 親子が筆者の場合のように、幼い頃「あれができたから褒美をあげる」と言うような「条件付きの承認」であった場合、筆者がまずそうなのだが、学校に行ってひどいいじめを受けても、「親に話す」と言う発想自体が浮かばない。

 筆者は中学2年生の1年間、ある同級生の奴隷にさせられ、1年間眠りにつく度に布団の中で泣き通したが、ついぞ親に話したことは一度もなかった。

 結論から述べて恐縮ではあるが、筆者のようにスキンシップなどから始まる親の情愛を知らない人間は、その心が打たれ弱く、副交感神経系失調に陥るのである。

 エインズワースの「ストレンジ・シチュエーション法」がその真価を発揮するのは、この人間の「打たれ弱さ」に焦点を当てたときに他ならないことに大方の心理学者は気付いていない。

 「条件付きの承認」と言う言葉を聞いて、心理学を知るものであれば、まず先にロジャースの「来談者中心療法」を思い浮かべるであろう。そこでは「条件付きの承認」が最も忌み嫌われている。

 この「条件付きの承認」をやめて、本当の親子の情愛が成り立っていたならば、子は学校もろもろで味わうネガティヴな経験を親に話すはずである。そして、打たれ弱い子にはならないであろう。

 親の情愛に恵まれなかった子は、ひとの心に気付かせるのに懲罰以外の方法を知らないまま大人になるのである。

 筆者が行動主義を嫌うのは、まずもってこの理由による。そして、「来談者中心療法」の限界が、育まれるべきものが情愛である、と言うところにある。と言うのは、カウンセラーが異性であった場合、そこに情愛が生じることは厳しく戒められているからである。

 心理学で錯綜していてその本質を見定められてはいない大問題について、今日は交通整理をしてお話させて頂いた。

 以上が被験体を僕とした神様の実験のレポートである。

「卵が先か鶏が先か」~精神疾患の本質について~

 
 大方の精神疾患では、「随伴症状」として「不眠」が生ずる。

 このことが意味するところは、大方の精神疾患では副交感神経の失調が生じる、と言うことである。

 したがって、不眠を解消するためには、メラトニン製剤なりレプチン製剤なりオレキシン抑制製剤なりの投与が必要だと言うことになる。

 しかし、それ以上の問題として、果たして「不眠」が本当に「精神疾患の随伴症状」と言えるのか、と言うことを考えてみなくてはいけない。

 もしかしたら、大方の精神疾患の「主症状」が「不眠」で、個々の精神疾患の症状は「不眠」の「随伴症状」なのかも知れない。

 その解明は、そのような問題意識から精神疾患を捉え直すことから始まるのだろう。

 この問題に決着をつけるのは、僕ではなくて読者のみなさんであってほしい。

マズロー理論の読み方

 「マズロー理論」、すなわち「生理」・「安全」・「所属と愛」・「承認と尊敬」・「自己実現」のいわゆる「欲求5段階説」は果たして何のために考えられたのであろうか、と言う疑問に筆者長年思いあぐねていた。

 エビデンスがあってそう言ったのではないとか、あまりにも芸術的だとかの批判も耳を傾けるべきところは多かった。

 もしこれが「人間の心理的成長」にかんする理論だと言われれば、やはり僕の中には強い反発がある。

 しかし、最近気づいたのは、この「マズロー理論」は本来のターゲットが健常者だと考えられてきたのが過ちで、マズローの臨床活動から得られた洞察だと言われれば、ある程度腑に落ちる、と言うことだった。

 そうなのだ。この理論は「成長理論」などではなく、「精神疾病の心理的病因論」だと考えれば良いのである。

 生理的欲求が満たされないならば、人間はただの獣になる。

 安全欲求が満たされないならば、反社会的人格になる。

 所属と愛の欲求が満たされないならば、うつその他や人格障害になる。

 承認と尊敬の欲求が満たされなければ、モンスター人格になる。

 自己実現の欲求が満たされないならば、適応障害になる。

 筆者なりのマズローのリーディングは、かくして精神障害論へと様相を変える。

神経症と自己認識

 神経症(ヒステリー)の最も大きなファクターは、「自分が所定の心理的位置にいない」と言う自己認識と大きくかかわっている。

 したがってその治療原則は、「彼がどの心理的位置にいると感じるとコンフォタブルなのか」を同定するとともに、その心理的位置に再定位させることが基本となる。

 ただ、現実上それが無理な場合は多く、その場合どれだけの「心のコンフォタブル・リスト」が彼にヒットするのかを探ることになる。

 もちろん、「治療場面」に限って「治療」しようとするのには無理がある。制度や人間関係など社会資源を絡めて解決するなり、人生の困難を味わわせて自己認識を変容させるなりのいくつもの選択肢がある。

 ただ、基本は「フィールドワークでの解決」と言うことになる。

ちょっとした洞察

 ふとした直観を申し上げることをお許しいただきたい。

 ヒトの「噛む力」の弱さと認知症には一定の相関関係があるような気がしている。

 また、「肝機能」と頭髪にも関係がある気がしている。

 僕は身の丈がショボい原始人なので、それを確かめるつもりはないが、そんな気がしている。

精神疾患に通底する本質的な問題性

 ひとくちに「精神疾患」と言っても、うつ病、統合失調症、PTSD、パーソナリティ障害、自閉症…と枚挙にいとまがない。

 これらを俯瞰しうる精神疾患の本質についての筆者の見解は、「精神疾患とは、“追い詰められシンドローム”である」というものである。

 そのような認識ができるのだとするならば、精神疾患に通底する大脳生理学的所見もいつか見つけられるのかも知れない。

 つまり、「精神が追い詰められる」と言うゲートウェイのところで何らかの根本的な予防措置が取り得るのではないか、と思うのである。

統合失調症根治薬の展望

 

 今日お話させていただきたいのは、「統合失調症になぜ根治薬がないのか」についてです。  

 心理学におきましても精神医学におきましても、統合失調症の本質的病態は「ドーパミン系の障害」だと見られるのが一般的です。  

 しかし、僕が雪隠詰めで考え詰めた結果、統合失調症の本質的病態は、一般的に遊びにかかわる脳機能の不全(腹側淡蒼球の代謝異常)ではないかというのが僕の結論です。つまり、この意味において統合失調症はヤスパースの言うような「了解不能の精神疾患」ではなくなった、と言うことです。  

 ユングの「夢」論などにもあるように、統合失調症の病態的本質は「意識閾の低さ」、つまり「覚醒水準の高まり過ぎ」にあると思います。大きなところで原因を考えると、副交感神経系の失調がそれに当たると思います。不眠などの症状が随伴するのはこのためでしょう。これらの病態の表現は、違法薬物を摂取したときに現れる症状と同様であり、ただ薬理的に作り出されるか以下に述べるような病理的機序なのかだけの違いだと思います。  

 そのひとつのヒントとして我々は、統合失調症患者における視床網様核におけるPPI(プレパルス・インヒビション=信号前抑制)の低下を挙げることができます。そこから考えると、PPIの低下を腹側淡蒼球の機能不全によってもたらされるものと予測できます。 

 それが本当だとして、暇な読者のみなさんにはこの観点から統合失調症の根治薬の可能性についてお考えいただきたく望む所存です。

 これは特に妄想型の統合失調症に言えるかも知れないことですが、あるいは、脳内の現実認識と目標の統合を担う腹側淡蒼球にGABAの抑制入力とグルタミン酸出力のバランスを回復する薬物を投与すると良いのかも知れません。

 純心理学なアプローチも見えてきました。統合失調症の精神性の本質をひと言で言えば、「アナザーパイロット症候群(Another Pilot Syndrome:APS/人格内異操縦士症候群)」、言い換えれば「精神の二重性」であり、この二重性の主との内面的関係性をクラッシュさせてしまえば統合失調症は治ります。もし大胆な仮説を許されるならば、「大腸-心相関」の失調(たとえば批判耐性の弱さ)、つまり特定の自律神経系(大腸水分調節系)の失調も考えられます。その失調を回復できるのなら、統合失調症治療につながるものと期待します。

 実を申しますと、僕の親戚には札幌で医者をしておられる2名の女医さんがおります。  

 そして僕の姪がいま大学の薬学部の5年生をしておりまして、時折会いますが、僕から見ると「まだまだだなぁ」と感じることがあります。僕もいくつかの学会所属の心理士なので、生理学的に考えないことがないわけではありません。  

 彼女の薬剤師としての成長を切に望んでいます。

筆者の考える「うつ病」治療

 皆さんもご存知の通り「うつ」は我が国の5人に1人は罹患するいわば「国民病」です。たぶん精神的な背景として、「努力への(あらゆる人間的意味での)報酬の割の合わなさ」の問題が潜んでいるように思います。  

 西洋医学での治療が主流の現在、セロトニン系賦活物質を投与することが「うつ」の治療の基本的なスタンスなのですが、筆者少し疑問を持っております。

 「うつ」の初期症状として見落とせないのは、「寝覚めの悪さ」です。  

 ではなぜ「寝覚めの悪さ」が起きるのか、と考えると、「うつ」はたぶん「全般性活動障害」と見ることができるでしょう。「うつ」の罹患率は寒冷地ほど高くなる傾向が認められます。  

 人間の活動の基本的な生理は「クエン酸回路」で維持されています。この活動が弱まると神経信号として活動エネルギーを抑制するホルモンのような物質が分泌されて脳幹および全身にその情報がフィードバックされ、「うつ」になるのではないか?、と筆者は問題を思い直しました。具体的に言うと、5HT1Aレセプターの異常です。

 セロトニン系の賦活と言うのはそのひとつのゲートウェイに過ぎず、根本的な対策にならないばかりでなく、疲労をなくすために無理矢理この生理を利用して一時の活動の亢進をもたらすものが「覚醒剤」で、そこの誤解が蔓延していることが我が国の「シャブ中」患者の増加に拍車をかけているようにも思います。  

 これでは社会疫学的に非常によろしくない。  

 「うつ」のこの初期症状に適応できる知恵が漢方にあることを西洋文明崇拝が強すぎる我が国のひとびとに再認識して欲しい、と思い筆者はこの「クエン酸回路」の賦活にとって非常に重要な薬味があることを思い出して欲しいと思っています。  

 それは「しそ」です。  

 古来より漢方では「しそ」は理気薬(気が停滞している状態を改善し、精神を安定させる薬)として用いられてきました。たぶん僕は上記のようなメカニズムにおいて「しそ」は「うつ」に効く薬たり得ると思っています。  

 東洋の知恵を「端的性がない」と我々は笑うことが果たして正しいのでしょうか?  

 従来の「うつ」の治療原則は「正しい服薬と休息」と言うことになっていますが、僕は少し違って「しそを食べて横になって忘れること」だと思います。

 それと、近年「加味帰脾湯」と言う漢方薬で「うつ」が高い確率で治療できることが分かってきました。これは、睡眠障害をも改善することも分かっています。

 話は「てんかん」になります。本質は神経系を司る神経、つまりいわば「メタ神経」の障害でしょうが、最近の医学研究によると、ヒストン脱アセチル化酵素ノックアウトマウスにペンチレンテトラゾールを投与したところ、てんかんは抑制されるという知見も報告されており、ヒストン脱アセチル化酵素のはたらきを弱めた上でペンチレンテトラゾールを投与することにより、治療に曙光が差してきました。