注目

日本の素朴でシンプルなプチ永久機関「巡りん(めぐりん)」

僕の一発芸「巡りん」では、以下のように「たらい」のように横(底)面積の広いものが確実に動作する。理由は、水圧を大きくできるからである。水圧(空気圧)は器の横(底)面積を限りなく大きく取れば取るほど無限に大きくできる。実際に動作確認もしている(たらいは任意の方法で水中に固定)。理の上では、ここで「平衡の原理」を持ち出して誤解するひとがいる。言うまでもなく、「巡りん」は「平衡の原理」によるのではなく、「力学(空気銃)の原理」によって動作するのである(この場合の流体(空気)は閉じていないのでパスカルの原理は働かない)。ここを見誤ってはならない(そのことに疑問を持つ方はこちらを参照のこと)。

また、これを本当に永久機関にしたければ、この周りをトウモロコシ製プラスチックで囲い込む必要がある。そうすれば、水の蒸発なく空気の水への溶融も飽和したところで止まるからである(水の腐敗防止対策として5パーセント程エチルアルコールを入れること)。

なお、念のため装置全体が水没するまで空気の吹き出し口は指または弁(キャップも可)で閉じておくこと。この知恵で「仕事」を取り出したいときは、空気の排出口の上にスクリューを配置するなりして力を取り出せば良い。船の航行などに応用できるだろう。

形は工夫次第。日本の知恵のシンプルさをご堪能ください。

※2015年6月30日早朝 着想

※空気の循環が可能な範囲でダウンサイジングが可能/挙動が分かりやすい透明な装置も可(シリカ製を推奨)/コピーライトフリー

※それでもまだ懐疑的な方は、こちらを閲覧のこと。僕のホームページはこちら

 

#輪廻

逆子数の法則を利用した素数判定

 
 100以下の素数については、暗記していただくとして、逆子数の法則を使った3桁以上の素数判定について言及する。

 素数の逆子数との差が3桁以上の奇数桁で99の倍数になり、偶数桁で18の倍数になることが判明した。

 取り急ぎご報告まで。

美しい石で説くマルクスの貨幣認識の誤ち

 
 マルクスによれば、貨幣は他者としてはたらき、ものの価値は生産にかかわる労働時間で決まると言う。

 これをひとがたまたま見つけた美しい石で反証しよう。

 まず、そこには「労働」がない。その上この美しい石には「財産価値(=交換価値…と呼べるのかにも疑念がある)」はあっても「使用価値」がない。

 仮に美しい石を見つけるのにどれだけの人間のはたらき(労働)があったにしても、さしあたりその石の貴重性(=価値)は変わらない。

 これはたまたまその石が見つかったままで貴重である場合はもちろんだが、これをより美しく加工したとしても、その価値を決めるのは加工にかかった労働時間ではなく、その石自体の美しさがそのままその石の価値になるだろう。

 さらに、この石を誰かに売ったとして、それにかかった貨幣量は不変であり、貨幣量が他者としてはたらいているわけでもない。良く言えて貨幣量は社会的測度なだけで、ひとによってその価値認識は変わるので、他者の価値認識が価格に反映されるに過ぎず、あくまで貨幣量は他者に依存する部分はあれど、貨幣量は他者の認識で決まるのであって、貨幣は修飾性(アーチ)ではあってもそれ自体が他者だとは言えない。それは、多くの場合ものの価格を決めるときに比較過程が介在すること一つ取っても、価格で判断する以上、どの他者性を選択するのかと言うブランド的な選好があったとしても、ブランド自体は他者ではなく、レッテルに過ぎないので、貨幣は「誰かの認識標識」なだけで他者がそこに込められているわけではなく、単なる約束事の一形態に過ぎない。

 言うまでもないが、誰かの支出はそのひとが持つ総貨幣量と余所様への負い目のバランスで決まる。マルクスはこの現実を直視できていない。それは資本家だろうが労働者だろうが変わるところはない。

 もうひとつマルクスが見落としていたのは、たとえばハイパーインフレのように札束がただの紙切れになるような事態をどう見るか、と言うことである。

 貨幣はそもそも権力(より正確には社会を眺望できる立場の者)にその起源を持つと言う意見がある。現在の我が国の貨幣の発行元は政府なので、そのことが信用創造につながっていると考えるのには確かにもっともらしい部分はあるが、それより貨幣の存立にとって基本的なことは、物質的ないし精神的な豊かさとそれらの多様性が社会的に確固と根付いているか、つまり経済的ファンダメンタルがしっかりとその社会にあるのかの問題だと言わねばならない。経済的ファンダメンタルが弱いと、貨幣は紙切れ同然になるわけである。

 筆者はマルクス主義を思想として否定しようと思っているわけではない。具体的に考えると経済はマルクス主義が説くほど抽象的なものではない、と言いたいだけである。

お金と「負い目」

 
 行動経済学では心理的痛みを経済の考察の主眼に置いていたが、経済現象に見るべきプロブレマティックは、当たらずとも遠からじであるとの感慨を持たざるを得ない。

 それについて簡単に考察する。

 いわゆる経済行動がどうして成り立つのかは、(物物交換も含めて)守銭奴的な心理的痛みによるのではなく、他人的な意味での「負い目」をその原点に見出さずにはおかない。

 したがって、経済行動を分析するのに必要なのは、他人的な「負い目」の社会的動向を見ることであり、そうして初めて正しい経済的分析が可能になるのである。

 しかし、社会には僕のように他人的な「負い目」を作ったり「負い目」があっても先立つものがなく、そのような才覚のない人間の方が過半のように見受けられる。そのうちのどれだけかの人間は「就職」によってそれを「克服」しているのが現状であり、起業の才覚のある人間はごく一握りである。

 これは、資本主義をと共産主義をと問わず我々に突きつけられた金銭経済の人間的矛盾だと言える。そのような世界なり時代なりでは、ごく一握りの才覚ある人間、あるいは創業家の跡継ぎがリーダーになり、尊敬と羨望を集めることになる。

 僕もホームレスを経験し、社会の冷たさを心底味わった人間なので、何とかしようとこれまで300ほどの生きてゆくための金要らずの知恵を案出したが、それもホームレスのときのように今日の食べ物にも困っているときにはそんなことを考える余裕はなく、何とかホームレスから脱却し、精神的に余裕ができてから捻り出した知恵に過ぎない。「貧すれば鈍す」とは良く言ったものである。

 「負い目」から現在の日本経済を見ると、「負い目>負い目のフォロワー」と言う現状が続いている。これは物価の高騰と貧富の格差(つまり、一握りの人間や企業への富の集中)と言う現実に影を落としている。

 我々は、この現実を直視し、社会のあり方の見直しや社会の制度設計、ないし現状の範囲での手の差し伸べ方(涙ぐましい努力としてはお金にするためのスレッショルド(支払いの難易度)を下げるなど)を真剣に考えるべき局面に直面している。

 いずれにせよ、我々はそのような大局観を持ってこの難局を打破せねばならない。

 それには、まず貧困の現場を見ることである。社会の大局観と貧困の現場は決してかけ離れた問題ではなく、不即不離の関係にある。

 我々は平和主義のもとで育った人間である。絶対的平和主義を貫きながら、すべての人間に対して良き隣人でありたい。

心理学における「認知」概念を巡って

 
 一般に心理学で言う認知とは、「それが何であるかを知ること」と定義されている。

 筆者はこの考え方に強い違和感を持っている。世間で言う認知についてもそうではないだろうか。

 筆者なりの認知概念は、「事象の受け止め方」ぐらいの意味になる。「事象の受け止め方の齟齬の認識」もこれに含まれる。

 だから認知と言うのは、ただ単独で使うべき概念ではなく、態度や学習に密接にかかわる概念のように思う。

 読者のみなさんも、単純な定義に振り回されることがないよう注意を促したい。

 

「学習」再考

 
 一般に心理学では学習は「経験による比較的永続的な行動の変容」だと定義される。
 
 これに影響を与えた思想は「モーガンの公準」だと思われる。そこでは、「その行動が低次に解釈できるのならば、高次に解釈してはならない」とされた。例えばラットの学習データが機械的に説明できるのであれば、心理的に説明してはならない、となる。

 筆者はこの考えに反対である。それで失うものがないのならば、できるだけ高次なものと仮定して良いと考える。

 人間はある程度場面場面で必要な行動のレパートリーが変わる。その意味では学習が「比較的永続的なもの」だと言うには弱い(その後学習が一度も行動に出ない特殊な場面があるかも知れない)。また、赤ん坊が発達の過程でしたい行動を禁止されるようなことでは、確かに矯正された行動が選択されるかも知れないが、それ以前の学習が消えてなくなるわけでもないし、それは欲求その他によって依然維持されているかも知れない。

 そのように学習と言うものが必ず行動に表れるものではないことを我々は強く認識すべきである。

 そこで筆者は学習の定義を「経験による行動の変容」ではなく、「経験・問いかけによる事象の見通し方の変容」と考えるべきである、と提起したい。

 こう再定義してみると、学習心理学者自身がする学習も良く理解することができる。

 だって、心理学は「心の学問」なのだから。

逆子数の法則

 
 例として9731を取ってみよう。

 9731の逆子数は1379である。その差は8352。これを9で割ると928。

 15031を取ってみよう。

 15031の逆子数は13051である。その差は1980。これを9で割ると220。

 862313を取ってみよう。

 862313の逆子数は313268である。その差は549045。これを9で割ると61005。

 こんな風にある大きな整数から小さなその逆子数を引くとそれは必ず9の倍数になる。

 では、左右対称数、たとえば1111とか11211はどう考えれば良いかと言うと、差は0なので9×0の結果だと解すれば良い。

 10のように逆子数が1桁になる場合は、01と2桁に読み替えて計算すると良い。

 奇数桁のときだけ大きな整数-その逆子数は99の倍数になる。

 それだけではない。桁にある数字をどう入れ替えて差を取ってもその差は9の倍数になる(0を先頭に持ってきて0を抜かすものは除く/数の入れ替えにかんしては、99の倍数則は成り立たない)。

 最後に、任意の整数+その逆子数を計算すると11の倍数になることを付け加えておく(こちらは偶数桁に限る…偶数桁同士の演算である限りは、繰り上がって奇数桁になる場合も可)。

盲聾唖同時障害者のための言語(案)

 
 盲聾唖同時障害者のための言語(案)を考えましたので、それを記しておきたいと思います。形としては掌にてコミュニケーションを取ることを想定しています。触覚を使ってのコミュニケーションと言うことになります。

 まず、3×3の格子(グリッド)を考えます。これに点押さえ、短線、長線、斜線を引く線分の組み合わせ(パターン)を考えます。そうすると、ざっと1000パターン超くらいの点と線分のパターンができます。

 このパターンを、確認語、進行語、対象語、動作語、補助語の順に並べます。意味はそれぞれの順で違うので、それぞれについて単語をパターンごとに決めます。確認語と進行語はせいぜい20パターンくらい、補助語は100パターンぐらいしかないので、それほど記憶にかかる負荷は大きくありません。対象語と動作語はそれぞれMAX1000パターンずつくらいあれば、コミュニケーションに支障は出ないはずです。

 これを、母親が乳児に言葉を教える要領で「行為の同期性」を用いて盲聾唖同時障害者に学習していただきます。困難はありますが、乗り越えられるはずです。

 このような骨絡で、あとは単語帳を整備します。ある程度自由度を高くしておくと、盲聾唖同時障害者の方々の文化としての文字体系にできるだろうと思います。

 こうすることで盲聾唖同時障害者の方々とのコミュニケーションが図れるかと思います。

 あくまで骨絡ですが、こうすると盲聾唖同時障害者の方々の不自由をある程度取り除くことができようかと思います。

 展開としてこれをユニバーサル言語にしても、言葉としては恥じないものになろうかと思います。

素数以外の求め方(末尾に素数の作り方を収録)

 
abc… × xyz…
(桁を保ったままにするため)桁数計算に注意
10000ax+1000ay+100az…+1000bx+100by+10bz…
+100cx+10cy+cz…=r
と書ける
123×456の場合
40000+5000+600+8000+1000+120+1200+150+18
=56088
…どこに注目すれば良いだろうか

素数とはこのような式が全く成り立たない数のことである

具体的には…

各桁が1や0並びの倍数を除くとやはり7の数論的性格が分かると素数問題は解決する

7にまつわる素数積は7×7の他3×7、3×9、1×7、9×9しかない
下一桁に見事に1、3、7、9が登場するが、この場合以外は考慮する必要がない
下一桁が7の場合は構わず7が下階にくる上桁の積だけを考えれば良い…
(下2桁目が0か7以外の積数値はない)
下一桁が1の場合は2が繰り上がる下二桁から2を引くと上階の二桁目が分かるか、8が繰り上がる下2桁から8を引く
下一桁が3の場合は6が繰り上がる下二桁から6を引くと上階の二桁目が分かる
下一桁が9の場合は4が繰り上がる下二桁から4を引くと上階の二桁目が分かる

上階の二桁目の積はabc… × xyz…のbz+cy+繰り上がり数と定まる…あとはab×xyが(bz+cy+繰り上がり数)の繰り上がり数を上階の積から引いてそれが10未満の整数になる7を最下階とする素数の積pq…7になっていないかを確認すれば良い(その上桁が10を超えるときは1を引いて下桁に10を加える)

同様にpq…1、pq…3、pq…9も計算する

非素数の数値に含まれているいかなる素数成分をその何倍数でもそれに足してもそれは非素数…地道に非素数を出してゆきたいならそれを考えれば良い

任意の自然数をnで割るとその余りはn進数になる。n進数を元に戻すには、桁が繰り上がるごとに10-nを加えれば良い…このようなアプローチで考えると、もっと素数の問題もスマートに考えられるのかも知れない。

 以上は素数の排除法である。

 総括として素数の定義を与えておく。

 すべての素数そのもの、またはすべての素数に同数素数をそれらに偶数回足してもつぶれない数の並びが素数(ただし、2以外の偶数もすべてつぶす)。

 ないし

 素数になる数の考えられるパターンは5x(奇数)+2、5(1を除く奇数)+2+2、5x(6の倍数を除く偶数)+3、5x(3の倍数を除く奇数)+3+3のみ、したがってそれらが他の素数の素数倍数でなければ素数。

 素数の素数倍数は素数の以下の特性を使って求めると良い。

 素数xにつき、x+10x+100x+1000x+…はxの倍数なので、そこから素数倍数回xを引けば良い。あるいはもっと単純にxの素数倍数積を求めれば良い。

 なお、これを素数の条件式24n+1、6m±1、各桁の和が3と9の倍数の数はそれぞれ3と9の倍数であることと併せて勘案すれば、千分の1以下の労力で素数を計算することができる。手計算では労力がいるが、コンピュータープログラムにすれば相当な早さで素数と非素数の区分けができるであろう。

素数の成り立ち(29以上の素数につき)

 すべての素数は素因数の完全に違う(重ならない、一方に素因数2を含む)数の和らしい(これでなぜ数の大きな素数が減っていくのかも理解できる)

 ある2を含む素因数を持つ数+ある素因数以外の素因数を持つ数(素因数はそれぞれ2つずつ選択)

 例)14+15、10+21、22+15、6+35、22+21、26+15、22+21、14+33、…

 2、3、5、7、11、13、17、19、23、29、31、37、41、43…(2は必須)
×
 上で選択した数字と1つも被らない
 3、5、7、11、13、17、19、23、29、31、37、41、43…

 上記条件を満たす任意の2つの素因数を持つ数の和=素数

 そこから分かる素数の定義は、したがって、ある数が別々のそれぞれ2つの素因数(一方には必ず素因数2がある)を持つ数の和に分解できるとき、それは素数である、となる。

 …まぁ、この素数のでき方が素数にはたらく法則と言えば法則なのだろう。

 …しかし、例外が多すぎる。

                     2025年12月28日 新訂

森羅万象の動物的認識および意識の正体

 
 19世紀の生理学は即物的過ぎた。

 17世紀、ライプニッツは「モナド論」により物質と精神の関係についての考察である「モナド」と言う中間項を立てることにより、精神と物質の統一を唱えた。

 「モナド」の実在性を巡っては現在でもさまざまな議論がある。

 だが、この「モナド論」は解釈を変えることで、我々の生活を激変させる可能性を秘めている。

 どう言うことかを説明しよう。

 我々の知覚や認識、意識、対象などを説明するのに「モナド」ではなく「イオン性状分布」によっていると考えると、ライプニッツのモナド論を現代的に修正することができる。この「イオン性状分布」自体は物ではなくて、単なる「状態」である。

 逆の言い方をすれば、我々が認識しているすべてのものは、イオン性状の受容に負い、認識の発送も同断のメカニズムによって行われている、と考えられるのである。かかる「イオン性状分布」は、電気ないし磁力を用いて検出できるらしきことも分かってきた。もし我々が狙い通りにイオン制御できるのなら、そこには大きな可能性はある。

 この知見は、我々の生活を安楽なものに変え、盲聾唖者にとって福音となるであろうが、悪しき精神によれば、人類を弄び、破滅させる原因にさえなり得る、と言うことは良心のある人間には容易に分かることであろう。

 かつてアインシュタインが物質に対して定式化したことが原水爆を産み出してしまった「学者を扮した犯罪者」に転落した苦い経験に鑑み、「科学者」そして一般の人間に強い警告を与え、知恵になり得る認識は慎重に検討する必要が必須であることに注意喚起し、この新しい「モナド論」を提起する次第である。

 意識現象も含めて、「森羅万象はイオン的である」と揚言することでこの拙文を締め括りたい。「認識はイオン分布の写りである」。

備忘録:BT-50LEのインストールにつまづいたら

 アイ・オー・データのBluetoothアダプタBT-50LEを買ったものの、うまくインストールできないひとのために、インストールのやり方を記録として残しておこうと思います。

 まず、単にパソコンにBT-50LEを挿しただけでうまくインストールできた方はこの記事は不要です。

 単にパソコンにBT-50LEを挿しただけではパソコンに認識されずに困っている方のために、取扱説明書には書いてないインストール手順を示します。

 まずパソコンのUSBポートにBT-50LEを挿します。ついでこちらのページからドライバをダウンロードし、パソコンにインストールしてください。

 このとき、「Realtek Bluetooth 5.0 Adapter はインストールされていません」と言うメッセージが出る方はそれは気にせず次の手順に進んでください。これでインストールがうまく行った方は最後の手順を実行してください。

 デバイスマネージャを開くと、Bluetoothのところに三角マークの付いた「Realteck Bluetooth 5.0 Adapter」があると思います。この三角マークの消し方は次の通りです。

 「Realtek Bluetooth 5.0 Adapter」を右クリックして「プロパティ」を表示します。そこにある「ドライバー」タグをクリックします。そして、「ドライバーの更新」をクリックし、「コンピューターを参照してドライバーを検索」をクリックします。先ほど「インストール」したドライバはコンピューターのどこかに既にあるからです。

 ここで「ドライバは既にインストールされています」と出た場合でもドライバのインストールはできています。不具合の修正はできているわけです。

 このプロセスが終わると「Realtek Bluetooth 5.0 Adapter」の三角マークは消えます。

 そして最後の手順に移ります。

 「インテル(R) ワイヤレス Bluetooth(R)」を右クリックして「デバイスを無効にする」をクリックします。

 これですべての手順は終わりです。再起動し、「Realtek Bluetooth 5.0 Adapter」が正常にインストールされたはずです。

 お疲れ様でした。