講座 心理学概論 1 神経心理学 4 脳の各部の名称

 ヒトの大脳両半球の表面積は新聞紙1ページ分(2200㎝2)ほどの広さがある。その大部分は大脳であり、個体発生のときの発達順にしたがって終脳、間脳、中脳に上から順に分けられ、終脳は大脳皮質・髄質・大脳核へと発達する。その表面は灰白質に縁取られた多くの溝と回を持ち、大脳皮質と呼ばれる。その内側の白質は髄質と呼ばれる。表面に近い髄質、側脳室周辺髄質に埋まった灰白質群が大脳核であり、そこには尾状核、レンズ核、前障、扁桃核などがある。間脳は、終脳下第3脳室を囲む灰白質群の部位であり、視床、視床上部、視床後部、視床下部といった視床核群がある。さらにその下には中脳があり、黒質や毛様体を含む被蓋、四丘体上丘・下丘を含む中脳蓋、そして大脳脚からなる。そしてそれはさらに下位の橋・延髄(これらを脳幹と呼ぶ)、脊髄などに大脳皮質と連絡する視覚路・錐体路・聴覚路の中継核を含む。  

 大脳辺縁系は、発生学的頭端移動の順に古皮質系、原皮質系、新皮質系に分けられ、古・原皮質はそれぞれ独自の皮質、中間皮質、皮質下核を有し、新皮質の発達後はそれらと密室な相互関係を持っている。古皮質系には梨状皮質・島・後眼窩回・扁桃核が、原皮質系には海馬体・海馬旁回・帯状回・帯状回峡・側頭極・中隔が、その他としては視床下部・乳頭体・視床の一部・手綱核・側坐核・脚間核・嗅球・中脳被蓋・中脳網様体が、連絡線維群として内側前脳束・髄条・分界条・脳弓・背側縦束が含まれる。  

 大脳皮質は、前頭葉、頭頂葉、側頭葉、後頭葉の4つの部位に大きく分けられるが、その目安は大脳皮質を正中で左右に分ける溝を大脳縦裂、側頭の後方上部から前方下部に見られる溝をシルビウス溝、頭頂から左右に走る溝である中心溝(ローランド溝)である。

講座 心理学概論 1 神経心理学 3 味覚と嗅覚の神経生理

 味覚は舌に広範に分布する味蕾の中にある味細胞の先端が細くなる絨毛となっている味蕾の開口部にある味孔に化学物質が絨毛の分子受容体と結合し、味細胞に電位変化を引き起こすことで成り立っている。味覚細胞の基底部が味覚繊維週末部が存在するため味覚繊維はインパルスを発し、舌先3分の2の味覚神経は鼓索神経に、残りの3分の1は舌咽神経に合流し延髄に達し孤束核のニューロンにシナプス連絡を持つ。さらに、鼓束核にある2次味覚ニューロンの軸索は内側毛帯に入り視床の後内腹側核の内側部にまで達する。後内腹側核小細胞部にある3次味覚ニューロンはそれを受け、大脳皮質味覚野へと軸索を続けている。  

 嗅覚は、空気とともに飛来したにおい分子が鼻腔上部の嗅上皮に届くことによって嗅小胞および嗅小毛にある嗅受容体と結合することによって嗅細胞に嗅受容器電位が現れ、嗅神経にインパルスが生じ、嗅球にある僧帽細胞と房飾細胞を興奮させ、それらの軸索が外側球索となり側頭葉下面の梨状皮質にインパルスを送り、そこから視床背内側核を通って大脳前頭葉下面に信号が送られる。嗅上皮は鼻中隔の後上部と上鼻甲介に被さっており、その中にある嗅細胞は嗅上皮の表面へとその樹状突起は嗅上皮の表面に行くほど細くなり、嗅上皮表面で再び膨らんで嗅小胞を作り粘膜中に嗅小毛を出している。嗅細胞下端から出た軸索は嗅神経になって嗅球に達している。

講座 心理学概論 1 神経心理学 2 聴覚の神経生理

 人間の耳には外耳・中耳・内耳がある。中耳には鼓膜・耳小骨(つち骨・あぶみ骨・きぬた骨)があり、内耳には蝸牛がある。外耳の耳介では音のスペクトルを変形し音源特定に重要な働きをする。蝸牛に伝わった振動は蝸牛内のリンパ液を振動させ。蝸牛内の中央階・鼓室階の基底膜にはリンパ液の振動に合わせて膨らみができ、蝸牛の起始点に近い方は高い周波数の音に、蝸牛先端に近い方は低い周波数で膨らみが大きい。基底膜のコルチ器にはその先端に硬い毛の生えた有毛細胞があり、その中心から1列の内有毛細胞。外側3列が外有毛細胞であり、主に内有毛細胞が聴神経につながっている。基底膜の振動によって有毛細胞が折れ曲がり電位変化が生じ、聴神経にインパルスを生じる。聴神経の周波数選択・感度は非常に鋭く、聴神経の外有毛細胞は肯定的フィードバックをするので、相対的に小さな音ほど大きく感じる。蝸牛の内有毛細胞に由来する信号は、聴神経を通って脳幹に入り、側頭葉の蝸牛神経核に投射する。蝸牛神経核の前腹側核ニューロンは聴神経に近い反応をする。背側核のニューロンは隣接周波数の抑制など、機能はより複雑である。そこには周波数が変化する音や広帯域の音に反応するニューロンなどもみられ、すでにこの段階で音のスペクトルの分析が始まっていることになる。蝸牛神経核の前・後腹側膜は外側毛様体に連絡しつつ下丘に投射し、外・内側オリーブ核を経由して下丘に投射する経路もある。外側上オリーブ核のニューロンは高周波音の両耳間時間差と強度差に応答する。内側オリーブ核では低周波音の両耳間時間差に応答し、すでにこの段階で音の空間位置にかんする情報を処理していることになる。下丘には上記の他に内・外側オリーブ核からの信号も投射し、下丘では蝸牛神経核背側核からのスペクトル特徴と外・内側オリーブ核からの空間情報が統合するといわれている。それは視床にある内側膝状体を経て、聴覚領へと投射する。特に腹側部は聴覚皮質の第一次聴覚領に投射する。背側部と内側部では視覚や体性感覚の入力も受け第一次視覚領を中心とする聴覚皮質の帯状領域に投射する。第一次聴覚領を含む聴覚皮質は注意・短期記憶・作業記憶に関係する。外側膝状体の内側部は扁桃体とも連絡があり、情動と音を関係づけると考えられている。また、内外上オリーブから両側蝸牛へはオリーブ蝸牛束が連絡していて、カクテルパーティー効果・蝸牛の自動的制御・選択的注意などに関係しているのではないか、とも言われている。

講座 心理学概論 1 神経心理学 1 視覚の神経生理

 人間の眼には、約1億個の視神経細胞が網膜上に存在する。網膜の中心渦には色受容を担うS・M・L錐体が密に存在しており、視野中心から約5度のところには明暗を受容する桿体が密生している。レンズに当たる水晶体は虹彩および毛様体筋によってその厚みを変え、網膜に適度の反射率で環境像を結像する。水晶体より表面には角膜・結膜が存在し水晶体と角膜の間には前眼房・後眼房があり光を通過させる。視神経は約100~120万本眼の後ろ側から出ており、1億個の視細胞の情報を100分の1に圧縮する。そしてその情報は視神経半交差(耳側の視神経は同側に、鼻側の視神経は反側に向かう)を経て視索に到達し視床-外側膝状体に投射する。ここから後頭葉にある大脳皮質第一次視覚野に投射する視覚伝導路を膝状体-有線皮質投射系と言い、視蓋前域・上丘に投射するそれを膝状体外系という。前者は色覚・視力・運動視・形態視といった意識に上る視覚機能を担っており、後者は瞳孔反射・眼球運動調節など意識下の視覚調節機能に関係する。外側膝状体には大細胞層と小細胞層があり大細胞層が損傷を受けると運動視が障害を受け、小細胞層が損傷を受けると視力・色覚が障害を受けることが実証されている。これより先、第一次視覚野で局所運動を処理する最初の段階が、第二次視覚野背側部を経て第三次視覚野、MT(Middle Temporal Area)では局所運動を統合し、全体運動として知覚するという第二段階が存在する。その前段階であるMST(Middle Superior Temporal Area)では方向選択性の運動情報が処理されていると考えられている。なお、第一次視覚野からMT・MSTまでの細胞は規則正しく配列されいることが最近の研究から明らかになっている。これは視覚の背側経路であり、腹側経路においては第四次視覚野、下側頭葉視覚連合野へと投射しており、こちらでは物体の形態知覚がなされていると考えられている。また、奥行き知覚は第二次視覚野で成立すると考えられており、この部分に経頭蓋磁気刺激を与えると、実際に奥行き知覚が消失する。

講座 心理学概論 序

 心理学は人間の心的特性の研究からスタートした。心理学というと多くの人は「ひとの心を読む術」という意味をそこに与えがちではあるが、今の心理学は「ひとの心を理解する」ところまでは行っているが、残念ながら「ひとの心を読む」ところまでは発展していない。およその行動傾向を知ることまでのところで研究は自己満足している程度なのである。神経心理学、パーソナリティー心理学においてこれらの研究がなされてはいるものの、「ひとの心を読む」と言う課題には、様々な難題がつきまとう。  

 そもそも心理学(Psychology)と言う名を初めて使ったひとはマルコ・マルニで16世紀前半に世界で初めて「人間性的理性心理学」と言うタイトルの書物を公刊した。1世紀ほどおいてルドルフ・ゴクレニウスが1590年に「人間学的心理学」という題の著書を出版した。次いで「(理性的・経験的)心理学」と言う名のタイトルの本を書き、「心理学」という名をヨーロッパに普及させたのがヴォルフである。そしてかの有名なダーウィンの「種の起源(1859)」に感銘を受けた彼の友人ロマーニズが進化論をひとの心の研究の基盤としての比較心理学を唱えた。その頃ウェーバーやフェヒナーは人間の感覚の限界や特性を知る目的で物理量の変化と感覚量の変化の関係を研究し、「精神物理学」と言う学問領域を立ち上げた。  

 そんな中、ヴントはライプチヒ大学に心理学研究室を設けた(1879)のが近代心理学の社会的認知の対象として認められるにいたって、心理学を専門の職業とするひとたちが現れ始めた。ほとんどの初期の心理学者はヴントの下で学位を取り、ナチスドイツの台頭から逃れて数多くの心理学者がアメリカに亡命したこともあって特にアメリカで心理学が発展した。初期の心理学者の関心は、専ら感覚と知覚にかんするものであり、ティチナーの構成主義心理学に対抗する機能主義心理学が盛んとなり、心理学はオーストリアの精神分析学の創始者フロイトの創始した精神分析学、機能主義の総本山シカゴ大学学派から登場した行動主義心理学の提唱者ワトソン率いる行動主義心理学、それらへのアンチテーゼとしてドイツ(グラーツ~)ベルリン学派の唱えたゲシュタルト心理学の3大潮流に分かれた。  

 ざっと心理学の生い立ちを述べたが、この中で「ひとの心を読む」のにもっとも強い影響力を持ったのが精神分析学派である。フロイトは夢や自由連想などを通じて、人間の無意識を研究した。彼の漸成的性的発達論は、禁欲を美徳としたヴィクトリア王朝へのアンチテーゼとして登場したものであり、5段階の心理性的発達論を展開した。  

 冒頭で述べたように、心理学は人間の心的特性の研究から始まっている、というのは、ウェーバーやフェヒナーが感覚量と物理量の関係を研究しそこから要素還元的な研究が主流となり、それへのアンチテーゼとして刺激の全体性を強調するゲシュタルト心理学が現れた、と言う事実にそれが見て取れる、という意味である。  

 さて、ここまでざっと心理学の流れを書いてきたが、それが現在の心理学においてどう展開されていったのかを我々は各テーマに沿って見て行くこととしたい。

「講座 心理学概論」のあらまし

 

 心理学の初心者から概論教授者まで参考にしていただきたい僕のブログの書庫「講座 心理学概論」の大筋のあらましをお示しさせていただきます。 

第1章 神経心理学(全13節)

第2章 心理学研究法(全21節)

第3章 心理学史(全18節)  

第4章 感覚心理学(全7節)  

第5章 学習心理学(全11節)  

第6章 知覚心理学(全16節)  

第7章 認知心理学(全15節)  

第8章 感情心理学(全13節)  

第9章 発達心理学(全15節)  

第10章 社会心理学(全15節)  

第11章 人格心理学(全9節)  

第12章 臨床心理学(全10節)  

 

 400字詰め原稿用紙500枚を優に超える長大な内容になってしまいましたが、興味のある所だけをお読みいただけると良いかと思います。

「生産性の規定因研究」はなぜ不毛に終わったのか

今日は「生産性の規定因研究がなぜ不毛に終わったのか」についてお話させていただきます。

「生産性の規定因」を研究したアメリカのウェスタンエレクトリック社のホーソン工場で1924年から1932年までの8年間にわたって行われた「ホーソン研究」では、メイヨーやレスリスバーガーらの心理学者が労働環境における物理的条件とか人間関係的条件を生産の規定因として仮定してさまざまに条件を変えて生産性との関係を検討しましたが、明確な答えは得られませんでした。

その後、ハーズバーグの「動機付け-衛生要因」理論とかマクレガーの「X理論Y理論」説とかアージリスの「パーソナリティの成熟・未成熟」説が提唱されましたが、決定打にはなり得ませんでした。

それはなぜか、と言うことを僕なりに考えると、心理学者は「心理」に過剰に注目しすぎることが、「社会の中の企業」と言う視点を欠落させていることにつながってしまっているからではないか、と思うのです。

他にもシャインと言う社会心理学者は、人間を「複雑人」と捉えないとこの問題の答えは出ないだろう、と言っています。

しかし、本当にそうなのでしょうか。

環境要因に心理学者が注目するとき、物理的要因とか人間関係的な要因とか人格的要因とか課題達成的要因(課題の面白さなどの誘因はなぜかすっぽり心理学者の目算から抜け落ちている)とか、どうも是が非でも「企業内心理的要因」探しに陥りがちだとは皆さんはお感じにならないでしょうか。

それらは、きわめてミクロな視点に立って「ひとの心」を見ているだけでしょう。結局、「ホーソン研究」以降のハーズバーグにせよマクレガーにせよアージリスにせよ、「人間の心理的成長」と言うこれまた心理学者的な発想しか出てこなかったので、決定打になり得なかったのではないでしょうか。

常識的に考えたら、たとえばアマゾンのコマーシャルのような訴求力のあるコマーシャルの制作者とか、ヒット商品の開発者は、それが社会の財産になっていることを感じるのでますます頑張ろうと思うはずですよね。あるいは「ネームバリューのある企業の一員」であるとか、「良い仕事ができている」とかの理由にしても同じですね。もちろん「賃金」と言う意味も含めて、「何を背負って仕事しているか」の問題も大きいことでしょう。それは「社会の中の企業」と言う発想がありさえすれば誰にでも考えられることだと思うのです。

たとえばストレス研究にしてもそうですね。人間のそう言う面というのはストレス低減にも大きな役割を果たしているはずが、どうしても心理学者のスコープには映らないようです。

要するに、我々が「生産性の規定因研究の不毛性」について考えるとき、結論として「生産性」と言う非常に社会的な問題に対して、どうして心理学者たちは社会、もっと言うと「社会の中の企業」と言う視点を持ち得ないのかと言えば、そもそもの「ホーソン研究」自体からしてが我々の生きている現実社会と言う前提を排除していたからだ、と考えざるを得ません。

「ホーソン研究」の残像が心理学者たちの注目を一定の規定因の想定にしか導かないことが、心理学者たちの視野狭窄を招いているように僕には見えます。

それともうひとつ心理学者たちは見落としていることがあります。それはミクロからマクロに及ぶ責任の問題です。

どんなことでもそうですが、問題を考えるときには「無知は知の扉」であり、無前提の状態から問題を見ていかないことは、問題の本質から我々を遠ざけてしまいます。

我々はくれぐれも「学問馬鹿」にならないように広い了見を持ちたいものです。そして、この「生産性」研究に見るような課題について、本当にその「生産性」が上がることが善なのか、あるいはどのような「生産性」が上がることが善なのか、ある身の丈の一人間としてのモラルの問題も含めて考えなくてはならないことに思いをいたすべきでしょう。

本日は、「生産性研究における心理学者のピットフォール(落とし穴)」について考えてみました。

精神医学における「常識」の非常識

 精神疾患のそれたるゆえんを「了解不能性」に従来の西洋精神医学はヤスパース以来求めてきた。

 しかし、本当にそうなのであろうか?

 もしそれを真実としてみたならば、「うつ病」を精神科医は理解し得ないという理屈になる。

 そんな風に考えてゆくと、精神疾患が「了解不能」とした「本丸」は統合失調症だと言うお話になるであろう。

 では、統合失調症は本当に「了解不可能」なのであろうか?

 筆者ベイトソンの理論はほとんど妄想レベルで、それこそ「了解不能」であると思うが、心理学的な実務のなかで筆者が万に一つ統合失調症の病態の説明仮説があるとしたら、以下のように「了解可能」だと思っている。

 「統合失調症とは、患者の所作振る舞いのタイミングの喪失を主症状とする精神疾患である」。

 なので、一般に統合失調症患者に不眠を併発するのは当然の道理だと思うのである。

 この「タイミングの喪失」からくる他者の無意識への依存が、統合失調症患者の奇妙な所作振る舞いを引き起こしている、と考えれば、言われているほど「了解不能」ではないのではないだろうか?

 それは、ソンディが指摘しているように「運命の狂い」的なものなのかも知れない。

 以上、精神疾患における「常識」の非常識を指摘しておく。