廣松「物象化」論へのたったひとつの反論

 

哲学を知っている方ならご存知の方も多いかとは思うが、彼の「物象化」論にただひとつだけ反論を加えておく。

彼はひとは世界事象を「もの化」して理解するのは誤りで、「こと」として理解すべきだと主張している。

彼は人間のひとつの誤謬的端的性を、「こと」を「もの」のように理解することに求めている。

しかし、そこには人間的な世界理解が言語的ないし知覚的であること、つまり、「形媒介的」であることへの言及が一切ない。「もの化」とも映る我々の認識世界が、それ以前的に「形態的」かつ「対象的」であるので「もの」的事象理解が常識的になっている事実を忘れている。そしてこの常識は、知覚形式が命名的な言語環境下で顕著になることは、自然なことだと言わざるを得ない。

したがって、この認識論の本当のプロブレマティックは、「ものVSこと」なのではない。現実、「もの的理解」で成功した化学、「こと的理解」で成功した宇宙論など、いわゆるところの学問的理解にはさまざまなものがある。ある意味、それを「もの」と言おうが「こと」と言おうが同値な場合はあまりにもありふれている。日常ではTPOに応じた言い回しをするのが賢明だろう。

「もの」云々より、我々の認識が「形媒介的」なことが背景にあるので、我々が常識上「もの」と言う言葉をよく使うことを分析なり批判なりするのは自由であるが、我々が「もの」と言う言葉に慣れ親しんでいる背景にそう言う事情があること、また、それゆえ不自然に思わないことを考量していないのは、我々に些か「学問バカ」と言う使い古された言葉を思い出させるのを禁じ得ない。

なお、筆者の独断で言わせてもらえば、世界事象を「もの」として理解しようが、「こと」として理解しようが、上述の理由で我々の世界理解の豊穣性に大差は出ないように思われる。

夜夢の本質

 我々が夜見る夢については、さまざまに考えられてきたが、筆者なりの見解が固まったのでここに開陳しておく。

 エプスタイン氏(Epstein,S.,2014)によると、夜夢と言うのは「睡眠によって意識が変調した状態において生起する経験処理の堕落した働き」だと言う。

 少し具体性に欠ける表現であるので、僕なりに気付いたところを言うと、夜夢と言うのは心に「斜め対して」現れるものであり、自分の事象コントロール能についてのものだと見ることができる。これは現在の社会の一般的な価値観であり、ある意味夜夢と言うのは「呑まれた価値観の反映」なのであり、そうでない社会でも夜夢の特質がそうなるのかについては確言できない。では、そのような大脳生理が働いているのは一体どこなのか。

 もちろんそれは、フロイトが言っていたような「妄想」なのではない。

 

 臨床心理学では夜夢と言うのは必ず「隠れた欲求の表れ」とか「インプレスされた(強く印象に残った)経験の象徴」だと考えられ、大学院の試験に出るほどであるが、これはまったくのデタラメで、頭学問がいかにいい加減なものかを物語る好例と言えよう。

 長年良く分からなかった夜夢の本質について、ようやく見解を持つことができた。

「卒業」の日米比較に異議あり

 日本では、「入学してしまえばふつうは4年で卒業できる」と言い、アメリカでは「入学は簡単だが卒業は難しい」と言う。

 これを単に「子を送り出す親の立場」で考えてみると、やはり日本の方が親切なように思える。

 「卒業が難しい」と言うことは、卒業のための年数が増えると言うことなので、それだけ学費をたくさん取られることになる。

 アメリカでは、「大学もビジネス」のようである。

2018年式ツーリングセロー

 これが僕の愛車です。

 いわゆる「ファイナルエディション」も考えましたが、特にスペックが変わったのはフレーム塗装とエンブレムだけだったので、こちらを選びました。

 型式が以前乗っていた「DG17J」から「DG31J」になって大幅にサスペンションの反応が向上し、同じ83㎝のシート高ながら足つきが格段に良くなりました。

日本心理学会心理調査士取得!!

 4年前に中京大学心理学部に(科目等履修生として)52歳の学生として通って、ようやく日本心理学会心理調査士(正式名称:日本心理学会認定心理士(心理調査))資格を取得できました。

 心理調査士の活動領域は広いです。心理検査から意識調査、実験結果の分析検討まで、と。