講座 心理学概論 5 学習心理学 6 モデリング

 小さい頃、テレビや映画の主人公の真似をして遊んだことのある人も少なからずいることだろう。  

 心理学では、これを「モデリング」と言う。常識的には昔からあることだが、これを学習心理学のテーマとして初めて取り上げたのが、アルバート・バンデューラである。  

 それまで、ミラーとダラードの見解のように学習は強化を受けないと、現象として現れないと考えられてきた。これに異を唱え、真正面から対峙する理論を展開したのがバンデューラである。  

 彼の理論の基礎となった実験の概要を以下に示しておこう。  

 平均4歳3ヶ月児の保育園の幼児をまず自分と等身大の人形の置いてある部屋に入れて、ベースラインの攻撃行動を測定した。次に、大人がその人形に攻撃を加えている5分間の映画を見せた。最後に、子どもを元の部屋に戻し、10分間人形への攻撃行動が測定された。幼児たちは映画の内容によって3つの群に分けられた。映画中、別の大人が攻撃行動をした大人を賞賛する群、叱る群、それに別の大人が登場せずほめも叱られもしない統制群、の3群である。  

 結果はドラスティックなものだった。3群とも攻撃行動はベースラインより高くなったが、賞賛群と統制群がほぼ同じ高さで攻撃行動の増加を示したが、叱責群は有意にそれより攻撃行動が抑制されていた。  

 このことから明らかになったことは2つあった。ひとつは子どもたちは、他者の行動を見ただけでモデリングが成立するという事実(無報酬の模倣)であり、いまひとつは別に自分が叱られた訳ではなく映画に登場する大人が叱られただけなのに、攻撃行動は抑制されたという事実(代理強化)である。  

 この理論からすると、模倣と「見せしめ」は、一定は有効であることが理解されよう。  

 特に暴力映像は、登場人物が自分に似ているか魅力的で、暴力が正当化され賞賛の対象になっているようなとき、模倣されやすい。そこで、いくつかの対策が考えられているが、決定打になるようなものは見出されていないのが現状である。法で縛れば「表現の自由」が侵害されかねないし、配信元が暴力映像は深夜に配信する、事前にその事実を告知した上でレンタルをする(これを「レイティング」と言う)、などの自主的対策では業界主導となって守られるか疑わしく、たとい守られてもインターネットがこれだけ普及した社会では、どこまで徹底されるか疑問である。他に暴力映像に適切に接触し、影響を受けないようにする教育のことを「メディア・リテラシーの教育」と呼ぶが、体制を築き上げることは容易でなく、意識の低い家庭をどこまで動かせるかについては、見込みが薄い。当面は各自のモラルの問題として、啓発を行ってゆくのが最も現実的だと言える。

講座 心理学概論 5 学習心理学 5 学習性無力感

 試験にすべって、ショックから立ち直れない子もままいるようである。長引けば、「うつ」にもなりかねない。  

 M.E.P.セリグマンは、イヌを対象とした実験で、次のような事実を報告した。  

 イヌに回避不能な電撃を数試行与えると、たとい電撃を回避できる状況にイヌを置いたとしても、イヌは回避行動を取らない、と言う事実である。  

 この事実をセリグマンはこう解釈した。すなわち、イヌは電撃の回避不可能性を学習したか、反応-電撃の無関係性を学習したのである、と。  

 さらに興味深いこととして、イヌの示す症状が、ヒトの反応性うつ病に酷似していることが明らかとなった。  

 セリグマンはヒトを対象とした実験も行い、大騒音に暴露された大学生は簡単なアナグラム課題も解けなくなることを実証した。  

 これらのことからセリグマンは、学習性無力感には、動機づけ的・認知的・情動的の3つの側面があることを述べている。すなわち課題解決への意欲が低下し(動機づけ的)、簡単な課題も解けなくなり(認知的)、食欲不振・潰瘍発生・免疫低下(情動的)をもたらすと言うことである。この理論はラザラスのストレス理論に似ていることに注意して欲しい。  

 しかし、ヒトを対象とした実験では、学習性無力感に陥らないひともいたことも事実で、セリグマンはロッターの「ローカス・オブ・コントロール理論(統制の座理論)」を援用して、失敗の原因を我が身に帰属するひとは、失敗の原因を環境に帰属するひとと比べて悲観的で、学習性無力感に陥りやすいことも見出している。  

 失恋したり、会社で降格させられたりする体験は誰でも持っているだろうが、悲観的にならないことが学習性無力感に陥ることを防ぐ大きな要因であることは、常識的に考えても納得のゆくところだろう。  

 しかし、学習性無力感と言う現象が「惰性」なのか「学習能力の喪失」なのか、それとも「機能的固定性」のような認知的要因によるものなのかは明らかでない。

講座 心理学概論 5 学習心理学 4 道具的条件付け タイプと説明理論

 子どもの頃、何かいたずらをして親に例えばおやつを「お預け」にされた体験をお持ちの方も少なくないであろう。  

 強化理論では以下の4つの強化事態を区別する。  

 正の強化・・・強化子が与えられる 例 反応するとお菓子がもらえる  

 負の強化・・・罰子がお預けにされる 例 反応すると電撃を回避できる  

 正の罰・・・・罰が与えられる 例 反応するとげんこつを食らう  

 負の罰・・・・強化子がお預けにされる 例 反応すると休みがもらえない  

 さて、言葉の上では明快に見える強化と罰であるが、マゾヒストにとっては「げんこつを食らう」ことが常人と違って「正の強化子」であるような場合があるように、それが罰か強化子かを定義することは難しい。  

 スキナーは、反応を増やすものが強化子であり、反応を減らすものが罰子であると考えた。しかしこれでは、「やってみて、どうか」になり、予めそれが強化子か罰子かを知ることは、原理上不可能になってしまう。  

 ハルは、彼の「動因低減説」にしたがって動因を低減するものが強化子だと考えた。  

 メールは、場面を越えて随伴した強化子は強化子として有効である、という「場面間転移性の原理」を唱えた。しかしいずれにも、そうだとすると例外が生じてしまう。ハルに関してはマゾヒストの例が該当するだろうし、メールに関しては夏の25℃と冬の25℃では報酬価が変わるだろうと指摘してしまえばたちまち意味を失ってしまう。このように、それが報酬か罰かは相対的なものである。  

 この点にいち早く着目したのはD.プレマックである(この名前は覚えておいて欲しい。発達心理学「心の理論」のところで再びお目にかかる名前だからである)。彼は報酬と罰を次のように定義した。「自由に反応できる場合、より生起確率の高い反応は、より生起確率の低い反応を強化する」「同様に、より生起確率の低い反応は、より生起確率の高い反応を罰することができる」。  

 これが反応相対性の観点からより洗練されたのがアリソンとティンバーレイクの「反応制限説」である。この説では「生起確率」に代わって「反応制限」と言う概念が中核にあって「自由反応事態よりより反応制限された反応はより反応制限されていない反応を強化することができる」「より反応制限されていない反応は反応制限された反応を罰することができる」と言う表現に変わっている。たとえば、普段2時間勉強して2時間スマホゲームをするのが、勉強を3時間しないとスマホゲームを30分できないと言うルールの導入によって、スマホゲームは高価値化していっそう熱心に勉強するだろうと言うような理解ができるだろう。

 ただ、この「反応制限説」にも理論上最低3つの問題点がある。一つ目に、「学習の形式で学習のモチベーションは完全に理解できるのか」、二つ目に、「学習は必ずこのような対比状況的に存立しうるのか」、最後に「学習には“絶対的な第三者”がいると言う理論的な仮定に問題はないのか」である。読者諸氏は、ことの外常に学習のような微視的現象のパラダイムには敏感かつ慎重であることに留意願いたい。

講座 心理学概論 5 学習心理学 3 道具的条件付け その発祥と流れ

 我々は常々、何かを得るために行動し、その行動をルーティーン化して何かを得ることを日常とすることも多い。今節ではそのようなタイプの学習、すなわち「道具的条件付け」について述べる。    

 1898年、エドワード・ソーンダイクはその学位論文の中で「問題箱」を使った実験を報告した。「問題箱」とは、牢獄のような箱の中に一本のプランジャーが吊ってあり、これを何かの拍子で引くと箱の出口が開き、箱から脱出できる装置のことである。彼はその中に空腹のネコを入れ、箱から出られると餌を与えられるようにしてこの学習の進展を箱に入れてから出られるようになるまでの時間(これを「反応潜時」という)的変化を記録した。はじめのうちはネコは脱出までにかなりの時間を要していたが、試行を重ねるうちに徐々に潜時は小さくなっていくことが確認された。彼はそこから学習には発見とか洞察と言ったものは不要であって、ただ学習は機械的に進むのだ、と結論づけた。  

 1930年頃、「問題箱」が一回一回の離散試行だったのに対して、連続試行可能な装置、すなわち「スキナー箱」をバラス・スキナーが考案し、その装置は瞬く間に世界中の心理学実験室に配備されるようになった。この場合の被験体はハト、ラットである。装置の中のレバーを押すかペッキングするかによって、餌が箱の中に出てくる装置である。スキナーは様々な強化刺激の呈示法を考案した。ひたすら反応があるごとに強化(餌の呈示)を与えるスケジュールを「連続強化スケジュール」、一部の反応、時間ごとに強化を与えるスケジュールを「間歇強化スケジュール」と呼ぶ。後者にはいろいろな種類のスケジュールが考案されている。まず、報酬の与え方が一定数の反応後にある固定比率強化(Fixed Ratio Schedule:以下FRと略)、一定の時間後にある固定間隔強化(Fixed Interval Schedulu:以下FIと略)、様々な回数後に強化が行われ、総体としてみれば強化率の平均値が一定の変動比率強化(Variable Ratio Schedule:以下VRと略)、様々な間隔ごとに強化が行われ、総体としてみれば強化間隔の平均値は一定であるような変動間隔強化(Variable Interval Schedule:以下VIと略)、などがある。それぞれのスケジュールが考案された背景には、行動は強化されないほど消去しにくい(これを「部分強化効果」と言う)ということが分かっているためである。一般にVR、FR、VI、FIの順に強化されやすい。強化スケジュールは複合して用いられることも多い。スケジュールのあとに報酬の代わりにスケジュールを呈示し、前後のスケジュール間で弁別刺激が異なるものを連鎖スケジュール、同一なものを結合スケジュールと呼び、2つのスケジュールを交代で用いる場合に弁別刺激が異なるものを多元強化スケジュール、同一な場合を混合強化スケジュールと呼ぶ。また2つの操作体を同時に呈示し、操作体ごとに異なるスケジュールで強化することを並立強化スケジュール、このようなスケジュールを適用する際に強化刺激の代わりに強化スケジュールを呈示するスケジュールのことを並立連鎖スケジュールと言う。  

 道具的条件付けとは「報酬を得るために特定の方法(オペラント)を使って、これを満足させる学習」と言うことができるが、「潜在学習」等の事実から古典的条件付けと同じく、表面上反応が見られなくなったからと言って学習自体が消えてなくなる訳ではないことが明らかにされている。

講座 心理学概論 5 学習心理学 2 古典的条件付け

 我々は、梅干しを食べずとも見ただけで、唾液を分泌するなどの日常体験を持っていることだろう。このような現象のことを「条件反射」と呼び、視覚上の梅干しのことを条件刺激(Conditioned Stimulus:以下CSと略)、味覚上の梅干しのことを無条件刺激(Unconditioned Stimulus:以下USと略)、味覚から唾液分泌することを無条件反応(Unconditioned Response:以下URと略)、視覚から唾液分泌することを条件反応(Conditioned Response:以下CRと略)と呼んで区別する。このような日常の出来事は誰にでも観察されるが、それを世界で初めて心理学のテーマにしたのはサンクトペテルブルクの医師イワン・パブロフであった。ロシアに梅干しはないから、彼は実験中のイヌの観察を通してこの現象を発見した。  

 パブロフはイヌが餌皿を見ただけで消化液の分泌が増加することを発見した。そこで彼は、次のような実験を考え、実行に移した。手術が得意だった彼は、まずイヌの胃を手術で外界に露出させ、直接観察できるようにした。そしてメトロノームの音を聞かせた直後にイヌの口に肉粉を吹き付けるという手続を繰り返した。そして実験試行ではメトロノームの音だけを聞かせた。するとイヌはメトロノームの音を聞いただけで消化液を分泌することを実証した。  

 彼の研究はそれで満足しなかった。彼は条件を変えてさまざまな実験をした。まず時間的近接性を、同時条件付け(CSとUSを同時に呈示)、延滞条件付け(CSを先行呈示した上でUSを重ねて呈示)、痕跡条件付け(CS終了後にUSを呈示)、逆行条件付け(US終了後にCSを呈示)の4つのタイプに分け、遅延の短い延滞条件付けが最も効果的であることを見出した。続いてCSとUSの対呈示直前に新奇刺激を呈示するとCRが生じなくなることがあることを発見した。これを「外制止」という。そして4つの「内制止」、すなわち実験的消去、延滞制止、分化制止、条件性制止があることを突き止めた。これらの事実は一度学習された条件反射は、表面上反応が見られなくなったからと言って学習自体が消えてなくなるのではないことを示している。  

 他にも彼は、円と楕円を呈示後、円にはUSを伴い、楕円には何も伴わせないという手続で分化条件付けを行うと、はじめのうちは円にも楕円にも反応(これを「刺激般化」と言う)していたのが、次第に円だけに反応するようになり、さらに楕円を円に近づけていくと(すなわち弁別を難しくすると)、イヌは突然暴れ出し、簡単な課題もこなせなくなることを発見した。これは「実験神経症」と呼ばれる。  

 パブロフ自身は、脳のCSセンターと反応センターが連合するために条件反射が生じると考えていたようであるが、先にCS1-CS2の対呈示を行った場合CS1-USの対呈示を行っただけでCS2もCRを引き起こすこと(感性予備条件付け)、CS-USの対呈示を十分に行ったあとでラットを満腹にして刺激の価値を減ずると、CRは目に見えて減ることから、CSセンターとUSセンターの連合と見た方が正しいらしいことが分かっている。  

 その他にもパブロフ以降分かったこととして、「ブロッキング」「隠蔽」「過剰予期効果」などがある。はじめにCS1とUSの対呈示をすると、その後にCS1-CS2とUSの対呈示をしても、CS2はCRを惹起しないという知見が「ブロッキング」であり、CS1-CS2とUSの対呈示をしても刺激の弱い方にはCRが惹起されないという知見が「隠蔽」であり、CS1とUS、CS2とUSの対呈示後CS1-CS2の複合刺激には、CS1、CS2単独で惹起するCRよりも弱いCRしか得られないと言う知見が「過剰予期効果」である。これらは、刺激の大きさの意外性が条件反応を規定するというレスコーラ-ワグナーモデルでうまく説明できるが、ルボウの示した条件付け前にCSの単独呈示を繰り返しておくとCRの形成に遅れを生ずる「潜在抑制」が説明できないために、マッキントッシュの情報説、すなわちCSに情報としての価値がないと注意が向けられない、と言う説が取って代わっている。

 パブロフのこの業績に対しては、1904年に「ノーベル生理・医学賞」が与えられているが、筆者の素朴な疑問を最後に記す。

 なぜパブロフはわざわざ難しい手術を要する消化液で「条件反射」を主張したかったのか?なぜ犬の唾液で検証しようとしなかったのか、このような研究そのものにおける近視眼は、現在の多くの科学に積み残された課題だと言えよう。

講座 心理学概論 5 学習心理学 1 定義と概説

 我々は、意図的にも無意図的にも絶えず何かを学習しながら生きている。もし我々が何も学習しないとするならば、我々は赤ちゃんと大差ないであろう。  

 学習とは何だろうか。多くの心理学者は「経験を通しての比較的永続的な行動の変容」だと答えるだろう。このため、「今日は疲れている」などの一時的状態は学習に含まれない。我々のほとんどの行動は学習によって成立したものである。  

 多くの学習実験が人間を被験体としてではなくハトやラットを使って行われてきた。それはパブロフ以来何ら変わっていないが、より低次の動物の示す学習は、人間の学習の基礎過程を表していると学習研究者らが信じて止まないためである。事実、実験神経症や学習性無力感などは人間でも見られる現象である。  

 I.P.パブロフが学習心理学の基礎である条件反射学説を発表したのは、1902年のことであった。次いでパブロフの論文の英訳を読んだJ.B.ワトソンが1908年にこの学説を基に自らを「行動主義者」だとする講演をジョン・ホプキンズ大学で行い、エール大学に移った1912年の講演が「サイコロジカル・レビュー(Psychological Review)」誌に掲載されるに至って、彼の名は一躍有名になった。  

 1930年前後にスキナーはソーンダイクの「問題箱」に似た「スキナー箱」を考案し、パブロフやワトソンが問題にしたのとは機構の異なる条件付け、すなわち「オペラント学習」の研究を始めた。  

 1971年にはバンデューラが「観察学習」にかんする著書を発表し、それまでの学習心理学の常識を打ち破った。  

 それまでにも、パブロフやワトソン、スキナーの提唱した理論は、次々とそのままでは維持できないことが明らかにされ、学習の大前提だと考えられていた近接性の原理や頻回性の原理が学習にとって必須ではないことなどが明らかにされ、それまで学習は意外性の程度に左右されると言うレスコーラ=ワグナーモデルの着想も誤りであることが明らかにされ、学習という現象が当初想定されていたよりは遙かに複雑なことが分かってきた。  

 現在の学習心理学は、すべての学習現象を説明できる理論を求めて、日々研究が行われている。より普遍的な学習の理論を目指して、緻密な実験を繰り返し、説明理論の追求に余念がない。応用的観点からは「どうやったら学習成績は上がるの?」というような素朴な質問に正確に答えることが可能になりつつある。

講座 心理学概論 4 感覚心理学 7 信号検出の理論

 我々は、何らかの色覚異常を持っていない限り、交通信号機の色を正しく認識し、交差点での安全を確保している。これは、我々が色の弁別を問題なく行っているからである。  

 しかし、現代という時代は、弁別閾、わけても絶対閾の問題を我々に突きつける。例えば、あなたが医者で、レントゲン写真から腫瘍の存在を判断しなくてはならない立場にあるとしよう。レントゲン写真はぼやけていて、そこに写っているものが腫瘍か否かを判断することは難しい。  

 仮に本当に腫瘍があって、手術の必要がある人のレントゲン写真をあなたが判断する場合を想定しよう。レントゲン写真はぼやけているが、なんとなく影のようなものが写っている。もしこれをぼやけているせいで「何もない」と判断したならば、手術で助かる見込みのある人を見殺しにすることになるだろう。あなたの医者としての評判は落ち、患者はあなたの診察を信じないようになるだろう。しかし、あなたは、「レントゲン写真がぼやけていたもので、仕方がなかった」と釈明するだろう。しかし、本来「腫瘍がある」と判断、すなわち「ヒット」すべき事例で、「腫瘍はない」と判断、すなわち「ミス」したことは、あなたが勤務医だったとしたら昇格を見送られたとしても、弁明の余地はない。このような判断の結果の利害を「ペイオフ」と言う。  

 もし仮に逆に本当は腫瘍がなくて、手術の必要のない人のレントゲン写真が上述のようであって、あなたが同様に「腫瘍がある」と判断、すなわち「フォールス・アラーム」したとしよう。手術の必要のない人を手術台に載せることになるだろう。最悪のペイオフは、必要のない手術を受けて死亡することである。あなたがその写真を正しく「腫瘍がない」と判断、すなわち「コレクト・レジェクション」できたならば、何の問題も生じないだろう。  

 様々な事態で、ペイオフは変わるだろう。避難すべきなのに津波警報を出さなかった場合と、避難しなくても良いのに津波警報を出した場合、前者のペイオフの方がはるかに大きいと思われる。  

 では、ヒット、ミス、フォールス・アラーム、コレクト・レジェクションは何が原因で分かれるのだろうか。一般的な説明は、刺激すなわち信号と雑刺激すなわちノイズの比がそれらを決定づけるだろうというものである。他にも要因はある。社会的条件や動機づけ、ペイオフに対する考え方などである。権威者の監視のもとでと、そうでない場合は判断が変化する。熱心に任務を遂行しようとしているのとそうでない場合でも同様に判断は変化する。無難をどれほど重要と考えるか否かによっても判断は変化する。  

 この理論は、気になる異性のそぶりの判断にも適用可能である。まず両思いか片思いかが決まっていて、愛の告白をすべきか否かという問題で、ヒット、ミス、フォールス・アラーム、コレクト・レジェクションは何かを考えると良い。もちろんペイオフも。

講座 心理学概論 4 感覚心理学 6 感覚の仕組み 体表と体感覚

 情熱的な恋をしている異性と抱き合うと、身も心も温まるだろう。我々の体表は、およそ1.8㎡の面積を持ち、32℃以上の対象と触れ合うと「温もり」を感じる。ヒトの体温は36℃あるから、恋人の温もりを感じることができる。それ以下だと、逆に「冷たさ」を感じる。32℃ちょうどだと温もりも冷たさも感じないため、この温度は「生理的零度」と呼ばれる。  

 温もりを感じる受容器も冷たさを感じる受容器も、皮膚の自由神経終末にあるが、冷たさを感じる受容器の方が、温もりを感じる受容器よりも5倍ほど多い。このため、熱い刺激に触れても冷たさを感じることがある。これを「矛盾冷覚」と言う。  

 皮膚は圧も感じるが、軽く押され続けると順応を生じる。変化に敏感である。このため着ている服やかけている眼鏡を感じるのは、それらを着脱するときに限られる。メルケル触覚盤、マイスナー小体、パチニ小体の順に触2点閾(どこまで近傍の刺激を弁別できるかの値)は小さくて済み、メルケル触覚盤は舌先と指先に多く分布しているため、19世紀初頭にパリ盲学校の生徒で後に教師となったブライユによって最小弁別閾の文字、すなわち点字が考案され、それ以来長くに渡って視覚障害者のメディアとして定着しているが、近年、老化に伴って目が見えなくなる人が増え、識字はできるが見えない人たちのために、浮き出し文字の必要性も再認識され始めている。  

 皮膚および体躯は痛みの感覚も生ずる。痛みには一般に順応という現象は見られない。これは命にかかわる刺激であるためと考えられている。  

 いわゆる「三半規管」と言うものがその中にある「有毛細胞」を介して平衡感覚を司っている。視覚や筋運動感覚と連携していて、スケートで急速にスピンすると眼球の往復運動が生じる。これを「前庭性眼球振盪」と言う。これは、リンパ液の流動による。  

 前述の筋運動感覚は関節や筋肉の中の自由神経終末が受容器であり、運動を感知するとともに脳に絶えずフィードバックして、姿勢の制御にかかわっている。  

 視覚・平衡感覚・筋運動感覚は互いに連携して働き、運動の制御をする。それぞれが単一で働くことは希である。  

 以上、感覚のそれぞれについて概説した。次節では基本的にも応用的にも重要であると思われる感覚の「信号検出」について触れておきたい。

講座 心理学概論 4 感覚心理学 5 感覚の仕組み 嗅覚と味覚

 我々は、食べることをやめてしまったら、死に至るだろう。この「食べる」と言う行動は視覚、嗅覚、味覚の総合からなっている。視覚が食に深く関わっていることは、否定しようもないが、既に述べたのでここでは残る嗅覚・味覚について食行動を中心に述べることにする。  

 嗅覚・味覚のモダリティは化学物質、わけても有機化合物である。嗅覚は揮発性の有機化合物の気体化したものの感覚、味覚は唾液という液体中の有機化合物の感覚である。なぜ嗅覚や味覚に感知される物質と感知されない物質があるのかは、まだよくわかっていない。  

 神経機構としては、嗅覚が「嗅覚上皮」、味覚が「味蕾」によって化学物質を神経インパルスに変えている。特殊なにおい・味に応答するニューロンもあるが、広い範囲の刺激を伝えるニューロンも多いことから、ニューロン応答のパターンがにおい・味を決定づけていると考えられる。鼻孔は2つあるが、極めて近傍にあるため、視覚や聴覚のように両鼻孔間刺激差を感知できるのかは疑わしいし、またそのような機構も見出されていない。味覚に関しても、ヘーニッヒの舌の「味覚地図(舌先は甘いものを、舌の両翼は酸っぱいものを感じるというような説)」が一時脚光を浴びたが、その後の研究で、この考えは誤りであることが明らかにされている。嗅覚的空間定位は鼻の位置を継次的に動かすことでにおいの濃度勾配を知り、においの発生源を特定しているのが、我々の生活上の現実である。そして、嗅覚は味覚を装飾する。もしも味覚に嗅覚が伴わないならば、我々の味覚は極めて貧弱なものになってしまうだろう。かくして食行動は更なる動機づけをフィードバックしている訳である。  

 昔から盛んに、においや味の特質を「基本嗅・基本味」に要約して表そうとする学者は絶えないが、その中でも最も代表的なモデルは、ヘニングの「においのプリズム」、「味の四面体」説で、比較的少数のにおい・味で、すべてのにおい・味を表そうとするものである。すなわち、においにあっては「花・薬味・果実・樹脂・腐敗・焦げ」の6要素、味にあっては「甘い・酸っぱい・塩味・苦み」の4要素(近年では「旨味」を加えた5要素)がにおい・味の基本要素だとするのである。  

 これに対し、におい・味は基本要素に分解できないとするにおい・味の「総合的性質」を強調する考えもある。におい・味は視聴覚のように客観的な振幅を持たないのでこのような議論が出てくるものと思われるが、基本嗅・基本味の提唱者らは、化学物質の構造的特質に注目することによって、この問題をクリアしようとしているように見受けられる。いずれが正しいかの決着は、もつれ込む様相を呈している。

講座 心理学概論 4 感覚心理学 4 感覚の仕組み 聴覚

 視覚に次いで我々にとって重要な感覚は聴覚であろう。我々は声を聴いただけである程度人物情報を類推するし、救急車、警察車両のサイレンを聴かないならば重大な過失を犯すことにもなりかねない。加えて音楽を聴けないとすると、我々の生活から潤いが失われてしまうだろう。  

 聴覚のモダリティーは空間物質の粗密である。 

 我々人間はせいぜい20Hzから20kHzの粗密すなわち振動の感覚しか感じないけれども、ゾウやクジラはもっと低い振動を感じられるし、コウモリはもっと高い振動を感じることができる。しかし、ここでは人間の聴覚のみを扱うこととする。  

 視覚における電磁波と同様、音には高さと大きさという属性がある。前者を「ピッチ」、後者を「ラウドネス」と呼ぶ。  

 2つ耳があることは、我々にとって重要な意味を持っている。右耳と左耳の間はおよそ17センチ離れていて、音の到達測度の時間差が、その音はどこから来たかの手がかりになっている。これを「音源定位」と言う。だが不幸にして真正面、真後ろ、真上、真下から来る音には原理的に音源定位できない。しかし我々はそうだからといってそう言った方向から来る音の音源定位に困っている訳ではない。我々は頭を回転させることでこの問題に解決を与えているのが現実である。  

 次に「音が聴こえる」仕組みについて説明する。  

 耳の構造は鼓膜までの外耳道-(あぶみ、つち、きぬたの3種の)耳小骨がある中耳-蝸牛がある内耳というふうになっていて中耳と内耳の境目のところに前庭窓という器官があり、まず空気の粗密波である音が鼓膜を振動させ、それが耳小骨に伝えられる。振動した耳小骨は内耳の蝸牛に振動を伝え、その中にある基底膜と言う非常に敏感な器官に伝わる。このとき、前庭窓にかかる圧力は基底膜の反対にある鼓室窓がクッションとなって和らげられる。

 音を神経エネルギーに変えるのは、その中にある蓋膜と基底膜の運動が若干異なることによって折れ曲がったり伸びたりする有毛細胞の先端である線毛がある「コルチ器」である。高い音ほど前庭窓に近い領域を変位させ、低い音ほど蝸牛頂側を変位させることが分かっている。コルチ器の線毛が振動を神経インパルスに変えている訳である。  

 音の聞こえるメカニズムには既に触れた場所説と音波の刺激中の音圧の時間的増減によって聴神経の活動が増減するという斉射説の対立が見られるが、低い音では斉射説が、それ以外では場所説が説明原理たり得る、とする折衷派の立場もある。