講座 心理学概論 7 認知心理学 15 メタ認知

 我々は、自分の認知、たとえば「この項目はこうやって記憶しよう」とか、「この問題の解決は近い」とか、「単語の意味を知らないことが分かっているので、辞書で調べよう」などと認知を制御したり、モニターしたりすることも多いのではないだろうか。このように、自分の認知を認知することを「メタ認知」と言う。  

 認知心理学では一般にメタ認知を2種類に大別して考えることが多い。1つは「メタ認知的知識」であり、もう1つは「メタ認知的活動」である。  

 メタ認知的知識とは、自分や人間一般の認知の特性についての知識である。「自分は数学の証明問題が苦手だ」とか「自分は現代文の解釈が得意だ」とか「分からない問題があったら参考書を見る」とか「おそらく多くのひとは1度に2つのメッセージを理解するのは困難だろう」とか「歳を取れば物忘れが多くなるだろう」とか「受験に失敗したら予備校に通おう」など、自分や人間の認知の性質について持っている知識がメタ認知的知識である。  

 メタ認知的活動とは、自分がいま取り組んでいる認知的課題の実行にかんする認知の働きのことを言う。これはさらに2つに分けて考えるのが普通である。1つは「モニタリング」、もう1つは「コントロール」である。  

 モニタリングとは自分の認知的課題の遂行上の具体的状況をメタレベルの認知が受容することである。簡単に言えば、「認知の監視」である。冒頭に触れた「この問題の解決は近い」をはじめとして、「今自分は暗礁に乗り上げている」とか「この問題は分からない」とか「この課題はたやすく解けるだろう」など、まさにいま直面している課題についての自分の認知の適応性についての認知である。  

 コントロールとは、認知の仕方を意図的に決定していく働きのことを言う。具体的には、目標設定、計画、方略の修正などが挙げられる。目標設定とは、「今週中にこの課題を終わらせよう」とか「ピアノの譜面を見ないで弾けるようにしよう」などであり、計画とは、「たやすい問題から解いていこう」とか「配点の高い問題から解いていこう」などであり、計画の修正とは、「丸暗記は難しかったから語呂合わせで覚えるように変更しよう」とか、「まともな計算式からこの三角形の面積を出すことは困難だったのでヘロンの公式で面積を出そう」などである。  

 日本の教育は「知識偏重」だと教育評論家らによって指摘されることが多い。教育が担うべきひとつの役割は、自分の持っている情報をどの課題のどの段階でどのように活かすのか、その術を身につけさせることではないだろうか。柔軟な課題解決方略の教育は、いまの日本ではお世辞にも充実しているとは言えない。最適なメタ認知を常に活用できる人材が国際化の進む現状には最も必要なことではないだろうか。  

 最後に、近年の認知心理学ブームについて触れて、この章の締めくくりとしたい。  

 これまでの行動主義では、人間理解に限界があることを1960年代になって痛感する研究者が増えてきた。従来の心理学から見ても、動機づけ、記憶、思考、問題解決、パーソナリティなど様々な分野で人間の内部を仮定しないで説明できる行動現象は少ないことが指摘され始めていた。それを最も先鋭化させたのは、アメリカ心理学会会長アーネスト・ヒルガードの会長就任演説やナイサーの「認知心理学」の出版であった。特に認知心理学は行動主義の中のハルとトールマンの対立が元となってトールマンの主張をナイサーが発展させる形で生まれた。アメリカでナイサーの著書が広がりを見せ始め、それまでの行動主義者たちも人間の内部の仮定を徐々に認め始めた。その波は海外に及び、我が国でも「認知革命」と呼ばれる運動がたちどころに広がった。これは、心理学が公式に心の存在を認めたに等しい。極めて皮肉なことであるが、ワトソンが行動主義を宣言してから50年近くになって「心ある心理学(心なき心理学のことをドイツ人たちは”Psychologie ohne Seele”と言って嘆いていた)」が誕生したのである。

講座 心理学概論 7 認知心理学 14 認知バイアス

 我々の物事に対する認知は、あることを認知する前に何らかの情報を与えられていたならば、認知が情報を与えられなかった場合と比べて正確に認知されない場合がある。このような「認知のねじ曲がり」のことを総称して「認知バイアス」と言う。  

 まずは選挙にかんする認知バイアスから説明する。マスコミなどによって、選挙の優勢が伝えられた候補者は、有権者のさらなる票の上積みが起きることがある。また、劣勢が伝えられた候補者にも同様の票の上積みが見られることがある。前者を「バンドワゴン効果(勝ち馬効果)」、後者を「アンダードッグ効果(負け犬効果)」と言う。また、集団で判断を下す場合に、極端な判断が下されることが多い。より安全で無難な判断に傾く傾向のことを「コーシャスシフト」、よりギャンブル的で危険な判断に傾く傾向のことを「リスキーシフト」と呼ぶ。

  アッシュの印象形成の研究から、他の性格描写語は全く同じだが、一項目だけ「暖かい」「冷たい」と描写すると、好感度が真逆になることが確かめられた。このように、重要な人格手がかりを中心として例えば性格判断がなされるような効果のことを「ハロー効果」と言う。  

 1973年、電車の中で女子高生が「信用金庫は危ない」と言う噂をしたところ、その噂が瞬く間に広がり、豊川信用金庫で取り付け騒ぎが起き、実際に危なくなったことがある。このように、自分が持っている先入観などが実際に先入観のような事態を引き起こすことがある。これを「自己成就預言」と言う。  

 事前にあることの特徴などを与えられると、判断が特徴に引きずられ、より特徴と合致した判断をすることがある。これを「アンカリング」と言う。  

 P.C.ウェイソンが考えた「4枚カード問題」のように、「もし表に母音字が書いてあれば、裏は偶数である」と言うルールを使って、「E、K、4、7」と言うカードのうち、「ルールが守られていることを確かめるために最低でもめくってみるべきカードは何か?」と言う問題を大学生の被験者たちに解かせたところ、「E」ないし「Eと4」と答える者がほとんどで、「Eと7」と言う正解に達した者はごくわずかであった。本当は7の裏に母音字が書いてあればルール違反なので、「7」をめくってみるべきなのである。このように、自分にとって「分かりやすい」結論を前提から導き出してしまうバイアスのことを「確証バイアス」と言う。また、失敗の原因は環境に、成功の原因は自分に帰属させる傾向のことを「自己奉仕バイアス」と言う。  

 読者の中には占いを信じるという方も少なからずいるのではないだろうか。占いは誰にでも言えそうなことしか予言しないので、「当たっている」と感じやすい。これを「バーナム効果」と言う。  

 最後に、教師が「この子には才能がありそうだ」と暗示されると、実際にその生徒の成績が上がる。この土台となったのがローゼンソールによるネズミの学習についての実験だった。「実験者」に、実際はランダムに選ばれたネズミの二群を、「このネズミは学習能力に優れている」と言って「実験者」に渡した一群と、「このネズミはのろまで学習能力も低い」と言って「実験者」に渡した一群との間でネズミの学習にどんな影響があるかを検討した研究で、優秀群の方がのろま群よりも高い学習成績を残すことが検証された。人間、潜在的にある人物の能力についての認識を持っていると、その認識が実際にある人物の能力に影響するのである。「私ができが悪かったから、子どももできが悪い」などと心のどこかで思っていると、本当にできの悪い子どもに育ってしまう可能性がある。注意したいことではないだろうか。

講座 心理学概論 7 認知心理学 13 認知症

 読者諸氏の身の回りに、極端な記憶力の低下を来しているひとはいないだろうか。数分前にしたことを覚えていないようなひとはいないだろうか。  

 記憶の三要素は「記銘、保持、再生」である。このうちいずれに障害が生じても、記憶力の急激あるいは緩徐進行な低下は起こりうる。これを「記憶障害」と呼ぶ。もしこれに臨床心理学の章で触れる「失語、失認、失行、実行機能障害」のうち何れかが認められ、それらにより職業的・社会的生活が営めなくなってしまっている場合に、そのひとは「認知症(dementia;2004年までは痴呆症と呼ばれており、心理学関係のひとで認知症という用語を認めないひともいる)」と診断される。  

 認知症の原因は様々であるが、一昔前の日本においては脳血管性認知症、すなわち脳の血管に梗塞などが生じることが原因で起きる認知症が多いことが欧米と比べての特徴であった。しかし、生活の欧米化に伴い欧米で多発していたβアミロイドタンパクの蓄積による神経細胞死が原因のアルツハイマー型認知症が近年顕著に増加した。そのほかにも、レビー小体型認知症、前頭側頭型認知症などがあり、これまで挙げた認知症が「四大認知症」と呼ばれている。他にも認知症の原因として、アルコール依存症、エイズ、正常圧水頭症、低栄養、脳腫瘍などが挙げられている。  

 認知症には、中核症状と周辺症状がある。中核症状は上記の通りであるので割愛するとして、周辺症状には徘徊、暴力、幻覚、妄想、異食、抑うつ、不潔などがあり、これらの症状のことを行動心理徴候(BPSD)と言うこともある。  

 認知症は全人口の6~7パーセントを占めると言われており、65歳以降に発症するひとがほとんどである。65歳人口ではその全体の1パーセント程度の罹患率でしかないが、80歳以上になるとその全体の20~30パーセントが罹患している。  

 認知症に罹患しているひとに、その異常行為を叱ることは治療上むしろ逆効果であり、無意味である。現在進行形で様々な薬が開発途上であるが、心理学的援助としては、支持的心理療法、回想法、記憶リハビリテーション、見当識訓練、芸術療法などで進行の予防・改善をはかるなどの方法がある。  

 認知症は広くは、これまで問題にしてきた記憶障害の他に、言語能力障害、思考障害なども指して考えられることも多い。しかし、ひとの成長途上の知的、社会的、コミュニケーション的側面の障害である知的障害や発達障害(自閉症、アスペルガー症候群、ダウン症など)とは明確に区別される。  

  認知症の診断学で分かっていることは、記憶を司ると考えられている海馬の萎縮が報告され、脳血管性認知症においては、初期には梗塞を起こした脳部位が担っていると考えられる機能だけが低下し、「まだら呆け」、「ザルの目認知症」等と呼ばれることもあるが、病状が進行するにつれて、他の認知症と区別することが難しくなる。このことは、あらゆる認知症にも言えることである。

講座 心理学概論 7 認知心理学 12 認知の残存の規定因

 我々の認知が残存、すなわち記憶として残るのには、「処理水準説」と言う考え方が有力な仮説として提起されていることは既に述べたとおりである。  

 しかし、心理学を勉強中の大学生諸氏は、心理学基礎実験ですでに実験済みかも知れないが、他にも様々な要因があることを指摘することができるものと思う。ここでは、それらについてまとめてみる。  

 そんな大学生諸氏がまず指摘するであろう現象が、「初頭効果」と「新近効果」だと思う。有意味語のリストを作る。そしてそれを一定の順番で被験者群に提示し、全有意味語提示後に「順番を問わず思い出せるだけ思い出してください」とお願いする。すると、再生率を被験者群内で出してグラフにすると、縦軸に再生率、横軸に提示順序とした場合、グラフがU字型になることが分かるであろう。このように、有意味語の提示順序によって再生率が変化する現象のことを「系列位置効果」と言い、最初の刺激の再生率が高くなる現象のことを「初頭効果」、最後の刺激の再生率が高くなる現象のことを「新近効果」と呼ぶのである。  

 なぜこのような現象が生ずるのかについて、アトキンソンとシフリンは既に触れた「記憶の二重貯蔵説」の立場から説明を試みている。記憶には「短期記憶」と「長期記憶」があると言う考え方である。「初頭効果」は「長期記憶」に定着したばかりの刺激が思い出されやすいため生じ、「新近効果」は「短期記憶」にまだ残存している刺激の痕跡が再生率を高めるため生じるという説明が可能だという。  

 だが、「16,29,87,サクラ、64、10、53・・・」と言う記憶リストが提示されたと仮定すれば、「サクラ」だけが極端に記憶されやすくなるという現象もある。これを「孤立効果」と言う。  

 他にも、「5103」を「ゴトウさん」と覚えると覚えやすくなる「語呂合わせ」とか、英単語の記憶の際に単語が無意味綴りの時よりも有意味綴りの時の方が単語に含まれる文字を正確に覚えているという「単語優位性効果」、体験の出来事は記憶されやすいという「エピソード記憶」などがある。   

 我々の記憶が時とともに薄れてゆくことは、人間誰しも体験があることであろう。この現象の説明には2つの仮説が提起された。1つは、記憶そのものが弱まっていくという「衰弱説」であり、もう1つは、記憶が弱まるからではなく、記憶に干渉する刺激が次々に与えられるからだとする「干渉説」である。この仮説のうちいずれが正しいのかについての実験が行われた。もし衰弱説が正しいとするならば、後に晒された刺激の有無にかかわらず一定の時間経過とともに記憶成績が低下して行くであろう。そこで、2群に分けられた被験者群を用いて、一群では記憶材料を記憶してもらってからどれだけかの時間を起きて過ごしてもらい再生をしてもらい、もう一群の被験者群には記憶直後に眠ってもらって起きた時に再生してもらうという手続きで実験を行い、再生率に差があるかを検討した。結果は、眠った群の被験者の方が起きていた群の被験者より顕著に再生率が高くなると言うものだった。従って、干渉説が正しいことが実証された。

 ただ、筆者の見識を述べると、やみくもに記憶が一意に規定されると言う上記の実験の前提自体が少々視野の狭いものになっていないか、と言う疑念が残る。たとえば、興味が記憶に影響していたり、カテゴリーの明確さもそうだったり、社会的インパクトのあることとないこと、身近なこととそうでないことはやはり記憶に影響しているだろう、と思わないわけにはいかない。  

 話を冒頭に戻すと、たとえば結婚式のスピーチで、出席者の記憶に残したい話題は、スピーチの冒頭と末尾に話すと効果的なことが分かるであろう。ただし新近効果はやがて忘却されるので、末尾に話した話題は即時に出席者たちの話題になったりしなければ効果的ではないことを付言しておく。

講座 心理学概論 7 認知心理学 11 回想的記憶と展望的記憶

 我々は「記憶」と言うと、過去の出来事を思い出すことだと考えがちであるが、これは心理学において記憶の研究がそのような研究を行ってきたことも一因である。加えて、何よりも日常生活における記憶と言うものも、過去のことの想起だと考えられがちであることが多いことが一番の要因ではなかろうか。  

 上記のような、日常我々が記憶と聞いて考える記憶のことを「回想的記憶」と言う。  

 しかし我々は、約束など未来のことを記憶することも少なくないのではあるまいか。約束やスケジュール、未来に行う行為などにかんする記憶などがそれである。そのような記憶のことを「展望的記憶」と言う。  

 回想的記憶も展望的記憶も記憶であることに変わりはないが、展望的記憶には回想的記憶にはない重要な要素が含まれている。以下説明する。  

 回想的記憶では、何らかの手がかりから、あるいは場面や状況において想起を行うのが普通である。これに対して、展望的記憶では手がかりは自分の記憶の中にあり、場面や状況は問われない。展望的記憶においては思い出すべきことを事前に思い出すことを覚えなくてはならないのである。このとき、思い出すべきことのことの想起のことを「内容想起」と言い、思い出すことを覚えていたことを想起することのことを「存在想起」と言う。まさに、この点が展望的記憶が回想的記憶と異なる点である。  

 また、結果の重大性と言う観点から見れば、回想的記憶ができないからと言って対人関係に亀裂が入ると言うことは滅多になく、記憶力の低下が疑われるのに止まるのに対して、展望的記憶ができなくなってしまえばたちまち人間関係において信頼を失い、叱責されることになるだろう。たとえば、町で知人に会ったとして、名前を忘れてしまっても、「失礼ですが名前を失念してしまいました」と聴けばそれで解決するが、待ち合わせの時間に待ち合わせ場所に着けないことは人間関係を悪くするであろう。  

 しかし、人間の記憶には限界があり、回想的記憶にしても展望的記憶にしても動機づけが異なれば、記憶成績には差が見られるであろう。また、記憶の重要度や年齢などによっても差が見られるであろう。  

 展望的記憶においては、いかにタイミングよく存在想起ができるか、と言うことがとりわけ重要である。ことが終わってから思い出したのでは何にもならない。これはある程度訓練し、想起スキルを高めることによって防ぐことができる。また、メモやスケジュール帳のような記憶補助媒体を使うことによっても防ぐことができるが、その場合はタイミングよく記憶補助媒体の存在想起することが求められる。展望的記憶に見られるこのような特質を一言で言うならば、「想起の自発性」と言うことになると思う。  

 中には、歳を重ねるに従って想起スキルが向上する老人もいる。思い出すための手がかりを環境中に沢山作り、覚え方に工夫をすることによって、加齢に伴う記憶の低下を補っていると考えられる。我々も、そのような老人の知恵を時には見習うことが必要なのではあるまいか。

講座 心理学概論 7 認知心理学 10 宣言的知識と手続き的知識

 認知心理学は、コンピューター・サイエンスの影響を受けた分野だとはすでに記してある通りであるが、今回のトピックは、その最右翼とも言うべき知識の2大区分について説明していこうと思う。  

 人間の知識は、命題やルールなどの「宣言的知識」と、技能などの「手続き的知識」に分けて考えるのが古くからのコンピューター・サイエンスにおいてオーソドックスな考え方であった。  

 たとえば、テニスにはルールがあるが、どのようにプレーするかはプレーヤーに任されている。この場合、ルールは宣言的知識であるが、個々のプレーヤーのプレーの仕方は手続き的知識だと考えられる。  

 宣言的知識が言語的言明によって表現されるのに対し、手続き的知識は行動の変容から「身についた」ことが推察されるような、いわば「体で覚えた」知識のことである。  

 コンピューターにおいては、データや命題と処理をそれぞれ別々に考えていくというアイディアが昔から存在した。このような事情が知識の2大区分と言う考え方につながっている。  

 心理学的にこのようなアイディアが有意味だという証拠は、一部の健忘症の説明を除いては、得られていない。  

 にもかかわらず、心理学にこのような考え方が導入されたのは、知識の扱いについての包括的な理論が心理学になかったためである。もうひとつ、心理学と情報科学との接点・共通点を心理学が模索してきたという事情も絡んでいる。もし情報科学と共通の土俵で知識を考えることができれば、人工知能の研究や人間工学において、人間とは何かと言うことについて、その知的側面の解明と模倣が可能になるであろう。  

 繰り返すが、宣言的知識とは言明(ステートメント)であり、手続き的知識とは「やり方」についての知識である。  

 宣言的知識を説明する代表的理論は、意味ネットワーク仮説であり、すでに説明したように、概念がリンクで結び付き合っていることを仮定する。これに対し、手続き的知識の代表的理論は、パターン認識の理論であり、代表的なものがパンデモニアムモデルであり、これもすでに説明済みである。  

 この区分が心理学に貢献したところがあるとするならば、それは膨大な記憶区分の研究を刺激し、引き起こしたことであろう。たとえば、認知研究の権威タルヴィングの理論では、宣言的知識をエピソード記憶と意味記憶に分類すべきだと主張されている。  

 心理学において、宣言的知識と手続き的知識という区分は、ほとんど神経心理学に対して生産性の向上をもたらさなかったが、情報科学や日常生活の説明に対しては、何よりも「分かりやすい」説明であることが、世間受けをよくし、知識の説明に援用される機会の増大につながっている。

講座 心理学概論 7 認知心理学 9 目撃証言の信憑性

 

 我々が事件に巻き込まれた時、その記憶は正確に残存するのであろうか。そのような情動的出来事の記憶には信憑性があるのだろうか。  

 ヤーキーズ・ドットソンの法則によれば、覚醒水準が適度な時、最も記憶が促進されることが示されている。覚醒水準が高すぎても低すぎても記憶の正確性は損なわれるのである。そのため、事件などで過度の覚醒水準にあるひとびとは、正確な証言をすることが困難となる。  

 しかし、そうだからと言って、何も記憶されない訳ではなく、事件の中心的情報については覚醒水準にかかわりなく正確に記憶されることが知られている。たとえば、犯人の顔や服装は記憶されなくとも、犯人の持っていた凶器の情報は正確に記憶されることが示されている。これを「凶器注目効果」と言う。  

 しかし、目撃証言というものは時間が経過したり、後に情報が与えられた場合には、変容してしまうことが最近の研究で分かってきた。  

 記憶の心理学者であるロフタスは、目撃した状況に対して誤った情報を与えられた時、状況の記憶が変容してしまうことを発見した。これを「事後情報効果」と言う。彼女は、被験者たちに停止標識で車が止まっている一連のスライドを見せた後、「車が徐行標識で止まっている間、他の車は通りましたか」と質問し、最後に「写っていた標識は停止でしたか、徐行でしたか」と訊く。すると、「車が徐行標識で止まっている間、他の車は通りましたか」と言う誤った事後情報を与えられた被験者たちは、高い割合で「徐行」と答えることが分かったのである。  

 なぜこのような現象が起こるのかについて、ロフタス自身は先行の刺激が後続の事後情報によって塗り替えられるのだという「変容説」を主張した。すると次々にこの現象の解釈をめぐって異なる説明がいくつも提出された。バウアーズとベケリアンは、記憶の塗り替えがこの現象の原因ではなく、事後情報を与えられることによって、最初の覚えているべき状況への接触可能性が下がるだけだとする「接触可能性説」を唱えた。一方、リンゼイとジョンソンは、事後情報がもともとの状況に誤って帰属されるとする「情報源誤帰属説」を提出した。  

 これらにかんして、最も分かりやすい説明を行ったのが、ザラゴザとマックロスキーである。標識を覚えていない被験者が「停止か徐行か」と訊かれれば、2分の1の確率でどちらかを答えるだろう。さらに、標識を記憶せず事後情報を与えられれば、事後情報にひきずら(アンカリングさ)れて事後情報の方を答える確率はかなりの確率になるのは当然のことである。この説明を「反応バイアス説」と言う。  

 このように、同じ現象でも様々な違った説が出てくるのは心理学の常套で、どの説が正しいのかを知るためには、かなり洗練された実験を考案する必要が出てくる。

講座 心理学概論 7 認知心理学 8 記憶の変容

 我々は、子どもの頃の出来事を思い出すときに、その記憶が親の覚えているのと違っているなどと言うことはよくある話である。また、あまりにも突飛な出来事の記憶が正確に覚わっていないなどと言うことも、よくある話であろう。  

 我々は場面に一貫したスキーマを数多く持っている。たとえば、病室に飾られた花を見れば、「これはお見舞いの花だろう」と推測するし、海外でカメラを持って眼鏡をかけている人を見れば、「このひとは日本人だろう」と思うなどである。もしかしたら病室の主が無類の花好きでカタログ注文した花なのかも知れないし、欧米人にもカメラを持って眼鏡をかけたひとがいるかも知れないにもかかわらず、である。  

 一般に抱いているスキーマに合致する方向に記憶が変容することはよくある話である。  

 バートレットはイギリス人の被験者たちにインディアンに伝わる「幽霊たちの戦争」と言う物語を聞かせ、間を空けて思い出すように促した。この物語は死者が生き返るなどイギリス人の常識に反する内容の物語で、思い出すよう促されたイギリス人たちはその部分を欠落させるか自分の常識に合うようにアレンジして思い出した。この事実をバートレットは、物語の記憶の変容は、イギリス人の持っているスキーマに合うように引き起こされると解釈した。  

 スキーマに依存した記憶は、記銘時の諸条件によって左右される。劣悪な観察条件、認知的負荷の大きさ、長期にわたる記憶の保持などは記憶がスキーマに依存しやすい。つまり、記銘時の現実が記憶的に変容しやすい。  

 スキーマという概念は、日本語に訳すと「土台図式」くらいの意味になるが、研究者によってはスクリプト、フレームと呼ぶ場合もある。  

 クラシック・コンサートでのスキーマを一例に取ると、「楽団員が楽器を持ってそれぞれの席に着席する※」「楽器の音合わせが始まる」「指揮者がステージに現れる※」「客席が静まりかえる」「曲の演奏が始まる」「演奏が終わる※」「聴衆の拍手がやまない」「アンコールが演奏される※」「会場の客席灯がつく」「コンサートが終わる」と言う一連のスクリプトが進行する(※は拍手のしどころを示す)。我々はステージに楽器を持って現れたひとを見たならば「このひとは楽団員だろう」と認知するだろうし、交響曲の楽章間で拍手をする聴衆を認めたならば、「あの聴衆は初心者だろう」と認知する。もしあまりにも演奏が素晴らしくてなじみの客が交響曲の楽章間で拍手をしていたとしても、自分にそれと分かる名演奏でなければ、なじみ客は自分にとって初心者として片付けられるであろう。すなわち、自分がクラシック・コンサートに行くのがしょっちゅうで、あるときの演奏がよほどの名演奏で、考え込ませるものを持った演奏でない限り、「いつものクラシック・コンサート」として記憶の片隅にも残らないであろう。

講座 心理学概論 7 認知心理学 7 アクション・スリップ

 人間は様々な過ちを冒す存在である。「物忘れ」に始まってミスタイプにいたるまで、人間の過ちは実に多様である。ここでは「過ちの心理学」について「アクション・スリップ」という現象を中心に考えていくことにする。  

 人間の過ちは大きく分けて3つのタイプに分けることができる。1つは行動を適切に遂行できない「ミステイク」、1つは行動を忘れてしまう「ラップス」、そしてもう1つが行動を取り違える「アクション・スリップ」である。ミスタイプはミステイクであり、物忘れ、特に計画された行動を忘れてしまうのがラップスである。  

 では、「アクション・スリップ」とはどのようなタイプの過ちであろうか。それは一言で言えば「スキーマの過ち」のことである。コーエンによると、この種の過ちは4種類に大別できるという。その4つとは、Ⅰ.反復エラー、Ⅱ.目標の切り替え、Ⅲ.脱落と転換、Ⅳ.混同ないし混合、である。  

 反復エラーとは、一度家の鍵を施錠したにもかかわらず何度も何度も鍵をしたかを確かめるなど、特定のスキーマが延々と活性化した状態にあることである。  

 目標の切り替えとは、歯磨きをしに洗面所に行ったときに歯磨きを忘れて顔を洗ってしまった、と言うように類似のスキーマが本来のスキーマに取って代わってしまうような場合である。  

 脱落と転換とは、茶を入れるために水を入れたまではいいものの、沸かすのを忘れて水を入れてしまう(脱落)、紙に鉛筆で字を書こうとして紙と鉛筆を用意して下書きから始めるべきところをいきなり清書してしまう(転換)、と言ったように、スキーマが欠けるかスキーマ内の順序が変わってしまう様な場合である。  

 混同ないし混合とは、起床して冬なのに夏用の服を着てしまうと言ったように目標に対して違ったスキーマが活性化してしまうような場合である。  

 アクション・スリップの理論的検討の中で、有名なのがノーマンが提唱した「スキーマ引き金活性化理論」である。例えば我々が文章を書くとき、大テーマ、構成部、シーン、事例と言ったように、親スキーマには子スキーマがあり、子スキーマには孫スキーマがあると言った具合に全体をスキーマの階層構造にして考えることがよくある。日常行動を例に取ると、「学校に行く」と言う親スキーマには「教科書や筆記用具を用意する」とか「弁当を鞄に入れる」とかの子スキーマがあり、「教科書や筆記用具を用意する」と言う子スキーマには「今日習う授業で使用する教科書を選ぶ」とか「鉛筆を削っておく」などの孫スキーマ、「弁当を鞄に入れる」と言う子スキーマには「母親に弁当を作ってもらう」などの孫スキーマがあり、例えば「教科書と筆記用具を鞄に入れる」ことや「弁当を鞄に入れる」ことが「学校に行く」に行くことの引き金スキーマになっていることが分かるであろう。  

 会社員ならば、朝になると「会社に行く」と言うスキーマが活性化するだろうし、恋愛中の男女ならロマンチックな場面になることが「キスをする」と言うスキーマが活性化することになるであろう。  

 このような観点からノーマンはアクション・スリップを説明しようとしているのである。

講座 心理学概論 7 認知心理学 6 再生と再認

 我々は過去に覚えた記憶を思い出すことがままある。また、過去にそれを記憶していたか否かを問われることもある。前者を再生、後者を再認という。経験上、我々は一般に再生よりも再認の方が容易だと感じているのではないだろうか。  

 この事実を説明する理論として、「閾値説(認知できるギリギリの刺激強度を閾値という)」と言う考え方がまず最初に提唱された。「再生閾」と「再認閾」と言うものがあって、再認閾の方が再生閾よりも低いために、再認の成績が再生の成績を上回るのだ、と説明される。  

 しかし、キンチュは記憶リストの連想強度が強い高構造リストとそれの低い低構造リストの再生率と再認率を比較したところ、再生では高構造リストの成績が良くなったのに、再認では高構造リスト・低構造リストの成績の間に差が見られないという現象を報告した。この知見は閾値説では説明できない。そこで考えられたのが記憶の2過程説である。記憶には「探索」と「照合」と言う2つの過程があって、再生には両方の過程が、再認には「照合」のみが必要とされるという説である。この説であれば、なぜ再認の方が再生よりも成績が良いのかをよく説明できる。  

 ところが、タルヴィングとトムソンは再生よりも再認の方が容易なこともあることを、以下の実験で確認している。  

 まず被験者に覚えるべきターゲットを手がかり語とともに提示した。そしてターゲットが提示され、それがあったかなかったかを報告させた。それが終わってから、手がかり語が提示され、ターゲットを再生するように求められた。この実験の結果、再認率は24パーセントだったのに対し、再生率は63パーセントと再生が再認を大きく上回った。この結果から彼らは、再生の成績が上がるのは、記憶したときの文脈と再生するときの文脈が一致している程度により再生率は高くなると言う「符号化特定性の原理」を提唱した。  

 クレイクとロックハートは、全く別の角度から記憶を捉えた。それが有名な「処理水準説」である。記憶は形態、音韻、意味の順に処理が「深く」なるという説である。クレイクとタルヴィングは、形態、音韻、意味について被験者に記憶してもらい、それを覚えているかを「はい」「いいえ」で答えさせた。結果は、意味、音韻、形態の順に成績が良いことを表していた。また、「はい」と答えた方が一貫して「いいえ」と答えた項目よりも記憶成績が良いことが見出された。これを「適合性効果」と言う。さらに、処理水準が同等の単語であっても成績にはばらつきがあることが分かった。これらの事実から彼らは、記憶成績が良くなるか否かは、その記憶すべき単語に情報がどれだけ付加されているかが重要だと言う「精緻化」と言う概念を導入した。しかし、筆者は記憶を考えるときに「色」や「規則性」も考えのうちに入れておくべきだと考えており、さらにそれらの要因間に交互作用が見られないかまで検討すべきであると考えている。  

 記憶は、人間の行為にとってなくてはならない必須の心の働きである。日常的に我々が駆使している記憶というものも、研究が進むにつれそう単純なものではないことが分かったと言うことを覚えておいていただきたい。