心理学が助長する世界の過ち

 
 いまはすでにこの世にはいないが、親しくしていたブロガーさんに僕の「講座 心理学概論」への感想として、「いまの社会は巨大なスキナー箱のようですね」、とご指摘いただいたことがあった。

 僕は人間の第一は愛、第二が人間性、第三が相互扶助、第四が知恵、…とそこに「科学」とか「学問」を挙げたりする人間ではない。

 なぜかと言うと、そう言う順番で大事なことが優先していたなら、いまのような世にはなっていなかっただろうからである。

 端的に言えば今の世の中は、「賞罰の社会だからお金の社会になった」と言うことである。この社会は人間的にかなり薄っぺらな社会であり、それによる精神の荒廃と人間関係問題がかなり進行している。

 言うまでもないが、賞罰をその思想の中心にしてきたのが「現代」の心理学である。ここでは「卵が先か鶏が先か」は論じないことにする。

 僕は人間にとって第四に大事な「知恵」、具体的には「因果(殺生)なき生活の知恵」を、ホームレスがお金なしに生活できる程度までは考えてきたし、これからも人生の課題として考えてゆくつもりである。

 このような世においては、効率と利便が何よりも重視されるので、我々の祖先である縄文人たちでさえなしはしなかったような実質的な奴隷主義が世のあらゆるところにはびこっている。

 「民主主義」と言う理念は良いものなのかも知れないが、いまの世では実質単なる「多数決主義」に陥っている。政治にせよ経済にせよ、その本来は「妥当主義(僕は合理的と言う言葉が嫌いなのでこう言う言い方になった)」と言うべきものではなかったか。

 いまの社会に妥協する言い方をすれば、本当に優秀な経営者と言うものは、首切り(リストラ)によって企業を維持するような経営者のことを言うのではなくて、誰も犠牲にすることなく企業を立て直せる経営者のことだと思っている。

 僕の社会理想は「相互扶助による重層的(全世代型)コミュニティ」であるが、あまりにも社会の現状とかけ離れ過ぎているため、どんなに頑張っても実現しそうにない。

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