講座 心理学概論 12 臨床心理学 7 フロイトとユング

 フロイトははじめのうち、自分の神経症(ヒステリー)の患者を催眠によって研究していたが、その限界を痛感していわゆる「自由連想法」と言う患者が思ったままのことを次々に口に出す方法で患者に見られる普遍性を追求した。これについて筆者は方法論的な疑問を感じている。と言うのは、人間には社会規範と言うものがあって、いかに親しいひとにでも口に出すのが憚られるようなことが無数にあるわけで、それを連想中に口に出しづらいのを見て「このひとはこのことに対して無意識の抵抗が見られる」と言うのもおかしな話に感じられるためである。  

 彼は当初人間の心と言うのは、「無意識」、「前意識」、「意識」から成ると考えていた。しかし、後々になるにつれて彼は人間の心は「イド」、「自我」、「超自我」から成るダイナミックなものだと言う考え方に変わっていった。これを「局所論から構造論へのシフト」と呼ぶ。  

 彼の理論は、子どもと言うのは自分の異性の親を自分のものにしたいと思っており、しかしそうすると自分の同性の親から責められると感じるため、それを押し殺して自分の同性の親の考え方を内面化すると言う。これを「エディプスコンプレックス(ユングの用語では女の子のそれを「エレクトラコンプレックス」)」と言い、イドの盲目の衝動を抑えるとともに自我の発達を促すと言う。  

 彼の心理性的発達理論は既に述べたので割愛する。  

 フロイトは1907年から1913年までユングと親しくしており、ユングはフロイトのようにユダヤ人ではなかったため大変可愛がっていたが、ユングがあまりにもフロイトが性的な考えを押し出し過ぎていると感じたため、彼らの親交は断絶した。  

 ユングは、フロイトが個人的な無意識を仮定していたのに対して、もっと万民や民族に共有されている「集合的無意識」と言うものが存在すると主張した。  

 そして、フロイトの言うところの「イド(リビドー)」と言うものは性的なものに限定されない心的エネルギーであると考えた。意識と無意識は相補的な関係にあって、それらが統合されてゆく過程を「個性化」と呼んだ。集合的無意識からのメッセージは適切に意識に取り込まれることによって個性化が進むと考え、この無意識からのメッセージのことを「元型(アーキタイプ)」と呼んだ。  

 ユングにおいては、フロイトのエディプスコンプレックスと言う考え方に代わって、「アニマ」と「アニムス」と言う概念で男性性と女性性は特徴づけられると考えた。「アニマ」と言うのは男性の中にある女性像のことであり、「アニムス」と言うのは女性の中にある男性像のことであり、その起源は自分の両親にあると言った。  

 人間にとっての母親と言うものは、子どもを育てる中で子どもの自立性を促進する面と、過保護にしてそれを遅滞させる面があり、この両面のことを彼は「グレートマザー」と表現している。  

 また、人間と言うのは社会に適応するための仮面(ペルソナ)と社会には受け入れられない影(シャドウ)の両面を併せ持つ存在であり、いずれを押し殺しても精神病理に陥る危険性があるとユングは言っている。彼の理論ではその過程の中心に位置するのが「自己」である。  

 ユングはフロイトのように神経症の患者より統合失調症の患者を多く見てきたので、それが彼の理論の独創性となって表れているように見受けられる。  

 我が国でフロイト研究の有名な学者に故・宮城音弥がおり、ユング研究で有名な学者に日本学術会議の会長を務めたこともある故・河合隼雄がいる。  

 現在の日本の精神科医にはフロイトを支持するひとが多いが、逆に心理学者にはユングを支持するひとが多い。だが、アカデミックな心理学において彼らの理論について言及されることは減少してきている。理由として、彼らの理論によって精神疾患から立ち直るひとびとがそれほど多くはないことや、DSMなどの臨床知見に基づく診断基準が作られ、DSMのような無理論的な立場に立つ精神科医や臨床心理学者が増えてきたことが考えられる。事実筆者は大学の心理学科でフロイトやユングの講義を受けたことはないと記憶している。  

 なお、ユングの理論のことを臨床心理学では「分析心理学」と呼ぶことが多い。

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