講座 心理学概論 4 感覚心理学 2 感覚の定義

 「感覚」と言う言葉の意味はとても広い。「洗練されたセンス」とか「生の感覚」など、いわゆる「五感」に限定されてはいない。しかし、心理学における「感覚」はいわゆる「五感」のことを表す場合が多い。  

 感覚には心理学的には視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の五感の他に温度感覚、痛覚、痒覚、臓器感覚、平衡感覚、運動感覚などが挙げられている。催幻覚剤(メスカリン、LSDなど)を服用すると、そこにないものが知覚されることがある。これを幻覚(hallcination)と言う。また、まぶたを強く押すと光を感じる。目のモダリティー(感覚適性)は光であって、圧力ではない。この場合の圧力を「不適刺激」と言う。  

 ところで、諸感覚に共通のモダリティーはないのであろうか。我々は「ある」と考える。どの感覚も「コントラスト」から成り立っている。感覚共通のモダリティーとして「コントラスト」を挙げておきたい。  

 感覚を扱った有名な哲学的著作にマッハの「感覚の分析」、ライルの「心の概念」などがある。いずれもすぐれた著作であるので、是非一度ご一読願いたい。  

 我々は感覚を外界・内界と心の接点だと定義する。我々の研究(2011)では意識を「経験を感覚すること」と定義していることから分かるように、内界内の感覚も含めて考えると言う立場である。こう定義することによって、心理学で扱える感覚を広げる狙いがある。  

 ところで果たして、ジェームズが主張するような「生の感覚」というのは実在するのであろうか。というのも、たとえば視覚において網膜像は反立しているのに我々は決して世界を逆さまに見ることはない。「知覚心理学」の章で取り上げるように、仮に「生の感覚」が実在するとしたら、ゲシュタルト心理学者たちが指摘したように、映画は細切れに見えるだろうし、音楽は知覚されないはずである。そのほか感覚は様々に修飾されている事実もこの仮定に疑問を投げかけている。哲学で言えば、カントの「物自体」という仮定が抱えているパラドックスと同じパラドックスに陥っているのではないか。   

 我々はこのような事態を受けて、心身二元論に代わる枠組みとして「態主義」と言う考え方をアンチテーゼとして提案したい。心理学的にバランスの取れた見方だと思うが故にである。「状態・事態」など、世界は態としてのみ知覚しうるのだと主張したいのである。

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