講座 心理学概論 3 心理学史 9 啓蒙主義の時代

 啓蒙思想の原点に位置する学者はニュートンとロックであった。ロックに賛同しながらも信仰を捨てきれなかったバークリーだが、彼の有名な言葉に「存在すると言うことは知覚すると言うことだ」というのがある。バークリーの議論では、カントのように「物自体」を仮定するのではなく、知覚と存在は同一だと見なしていた。バークリーは網膜像が2次元的なものなのに何故3次元的知覚が起こるのかを「学習」によって説明した。その後カントは奥行き知覚が先天的なものであると反論したが、カントの正しさが証明されたのは1960年代であった。そのカントを「独断の眠り」から覚ましたのはヒュームであった。ヒュームは、いかなる科学も人間性と関係していると考えた。彼は形而上学の代わりに心理学をあらゆる学問の基礎としてニュートン的で経験論的な哲学を展開した。彼の心理学においてはロックとは異なり頂点に知覚を位置づけその下に観念と印象を置いた。観念は誤っていることもあるから、彼は観念よりも印象を重視した。そして、複雑な印象は、より単純な印象が複合して成立するという心理的原子論(後にティチェナーが提唱する「構成主義」の先駆け)を展開した。真理は経験的内容を持たないような観念を排除して観察可能な観念にしなければならないと言う。そしてロックが主唱した「観念連合」についてヒュームはその著「人間悟性論」のなかで「その原理には類似、時間的・空間的接近、因果の3種しかないと思われる」と書いている(我々に言わせれば上位・下位概念とか感情媒介的連合とか自問自答における該当とかエピソード記憶の場合に時折見られる突拍子もなく思うとか、他に幾種類もの“原理”を見出せるはずなのだが)。そして「原因から結果を推論し、結果から原因を推論する“自然の知恵”は間違いなしに働く本能あるいは機械的メカニズムとして我々のうちに植え込まれている」と言っている。そして人間の知識は、根本において習慣であるという、現代風に言えばハルのような理論を唱えている。  

 そのヒュームの著作を読んで「独断の眠り」から覚まされたカントは、ヒュームとは違ってあらゆる学問の基礎をなすべきものを哲学だと考え、我々が持っている知識は「現象」だと言った。カントは、心は能動的に経験を体制化して我々が知ることのできる形に構造化する働きがあり、それは産まれ持ってのものだと言った。カントは、科学は数学化できるものに限られるべきだと考え、彼の考えでは心は数学化できないので、心理学は科学にはなりえないと考えていた。ただ、人間性にかんする科学が成立しえないと考えていた訳ではなく、“人間学”がそれに当たると考えていたことを付言しておく必要があるだろう。カントはまた後のヴントと同じような考え方をした部分もあったし、行動主義者のような部分もあった。意識について、意識化できる部分とできない部分があると言う考えはヴントと同じだったし、心を内観によって研究しようとする際には心は特殊な形でしか観察しえないというのは行動主義者と同じだった。カントの考えは20世紀になって量子力学や非ユークリッド幾何学の発展によって、再び危機を迎えている。カントは「心理学」と言う言葉を普及させたヴォルフ、心の働きを「知・情・意」に分けて考えたテーテンスと同時代人である。  

 もう一人カントの心を揺さぶった人物がいる。その著書「エミール」を読みふけるうちにカントの定刻の散歩を遅らせたと言われるルソーである。ルソーの考え方は現代風に言うとロジャーズの考え方に非常に似ている。彼は教育の営みを、子どもに内在する能力の開花を手助けすることだと言い切っている。彼は言う、「子どもが何を学ぶべきかを示唆することはあなたの仕事ではない。大切なのは、子どもが自分で学ぼうと思うようになることなのである」と。  

 後に賢哲の時代がやってくるが、心理学にかんする歴史的地図は以上のような形で19世紀まで維持されることとなる。

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