講座 心理学概論 3 心理学史 8 イギリス経験論の登場

 デカルトより2年先にイギリスに産まれたのはトマス・ホッブズという名の哲学者であった。デカルトが人間を「完全な機械」とは見なかったのとは対照的に、ホッブズは人間を「完全な機械」と見、すべての知覚は知性的知覚に基づくものだと考えた。彼は形而上学を否定し、神学を無視した。おそらく彼を最も良く特徴付けていることは、思考と言語の同一視であろう。この考え方は後に出てくるヴィゴツキーの考え方のパラダイムと言っていいだろう。ホッブズ自身の最大の関心は、「政治科学」にあった。人間が決定づけられた機械だとすれば、政治に象徴される人間の科学が成立するはずだ、と彼は信じていた。もし無政府状態になれば、彼の有名な格言「万人の万人に対する闘争」が起こるから、安全や産業の成果と言った便益を与えるような、国民にゆだねられた絶対専政政治家が全員の意志を1つに委ね、社会を統制し、保護を与えるような政府がよい、と言う。この自然という機械の中では自然法則が我々が意識しようとしまいと働くはずだが、ホッブズは理性がこの自然法則に同意している間は、と言う留保条件をつける。つまり安全が脅かされたり、飢餓が蔓延するなどした場合には、「万人の万人に対する闘争」が勃発することになる。この点が物理法則と人間法則の違いとなる。  

 ジョン・ロックは人間の実際の心がどのような働きをするかを問題にした。つまり、人間の心が何を知るかではなく、どのように知るかに関心があったと言える。ホッブズ同様ロックも形而上学を切り捨てた。ロックは「心は・・・観念以外に直接の対象を持たないから、我々の知識は観念に近いものに過ぎない」といい、観念は経験からしか湧いてこないと言う。そして、心の働きや知覚や思考や記憶は生得的なものだと指摘した上で、かの有名な「タブラ・ラサ(精神無刻説)」を主張した。ロックにとっての真実とは明白に経験された真理の上に築かれるものであり、それを知識と呼ぶ。ロックはしかし一般に信じられているよりは理性主義者だった。言葉にかんして言えば、ホッブズのように思考を言語と同一視しないで、まず理性が先行すると考えていた。ロックがその著「人間悟性論」を書いた動機の一つはひとが何を知ろうとすれば本当に実りのある疑問だけを追究できるか、にあったとされる。しかし、ロックは肝心なところになるといい加減にごまかすようなところがあり、ロックの言う「観念」というのもロック以降の哲学者たちの間で議論が起こり、現在でも決着はついてない。

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