講座 心理学概論 3 心理学史 10 現代心理学への伏線

 19世紀は、ロマン主義と新啓蒙思想、功利主義、連合主義、実証主義、マルクス主義が入り交じった大変複雑な思想状況を呈することになる。  

 ショーペンハウアーに代表されるロマン主義は、後述のダーウィン進化論の否定論者であって、意志や情念の価値を強調した。功利主義においては、J.ベンサムが「政府のすべき仕事は、個々人に快楽を追求させることであって、最大多数の最大幸福を目指すものでなくてはならない」と言い、功利主義の基礎を固めた。J.ミルは連合主義を究極まで推し進めて心を「巨大なあやつり人形」だとし、同時連合と連続連合を区別した。前者はプラトンが指摘したような「竪琴の音を聞くと弾き手の美しい女性が思い出される」ような場合であり、後者は端的に言って因果関係のことである。その息子J.S.ミルははじめベンサムを信奉していたが、やがて否定に回った。父親のJ.ミルほど過激な連合主義者にはならず、ある一定ロマン主義的な傾向も持っているが、主観的で神秘主義的なロマン主義を認めず、功利主義と経験論の改善に熱心であった。ニュートンの成功から、科学万能主義すら生まれ、それらは科学主義と呼ばれる。この傾向は宗教排除という方向に向かった。その第一人者がオーギュスト・コントであった。彼によれば神学の段階、形而上学の段階、科学の段階という風に社会は進歩すると信じられていた。コントは神を認めず、そのために彼の人間学的宗教は多くのものから嫌悪感を持って扱われ、結果、哲学的運動へと変転して行く。この後輩出したクロード・ベルナールとエルンスト・マッハのうちベルナールは客観的な仮説を客観的に厳密な方法でテストすることこそが、本当の知識に辿り着く道だと考えていたし、マッハに至っては科学的認識論を強固なものにするために「感覚の分析」という、心理学的な哲学書を書いた。科学の目的は感覚に経済的秩序を与えることだという(思惟経済説)。時空間の分析にも優れていた彼は、アインシュタインの相対性理論を予想するような物理学的分析までしている。あとマルクス主義が残っているが、マルクス主義からの心理学へのインパクトはほとんどなく(本当は一定あるが心理学の側が相手にしなかった)、ヴィゴツキーが登場するまでは、黙っておくこととしよう。  

 そして、生物にかんする革命的(これはひとりダーウィンが考えていたことではなく、ラマルクなども独自の進化論を提唱していた)見解として進化論が登場した。ダーウィンはイギリスのビーグル号に乗って南アメリカの動物たちを観察する機会に恵まれた。そこでは、共通祖先を持つと思われる種がそれぞれ独特の環境に適応しているという事実が、彼を印象づけた。イギリスに帰って彼は早速思索と観察、人為的な種の改良などの知識の集積を積極的に行い、1859年に「種の起源」を発表した。それにはマルサスの人口論やラマルクの進化論の助けが必要であったが、1859年に発表した内容は、既に1842年に完成をみた彼の観察と思索の結果であった。なお、「適者生存」と言う考えは1852年にスペンサーが先に唱えていた。このように、この時代、巷には進化論の着想を持つものが林立していた。  

 ダーウィンの友人で動物学者のロマーニズは、彼に刺激されて「(動物と人間の)比較心理学」の着想を持ったことは、心理学史的に注目されて良い。

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