講座 心理学概論 3 心理学史 2 批判精神の発生~ギリシア(前編)~

 心理学の長い過去という意味で、その始まりはギリシアのホメロスの「イリアッド」と「オデッセイ」にそれを予想するような人間についての記述が見られる。その中では「プシケ(=生命の息)」は人間が死ねば体から離れてゆくものとして、「ティモス」は動機付けとして、「ヌース」は理性として表現されている。紀元前6世紀、ミレトスのタレスは「これは私の見方です。諸君は私の教えをもとにして、それを改善しなさい」と言った最初の教師であった。これは、学問が批判精神によって進歩するというギリシアの哲学者の、現代でも通用する正しい常識を端的に示している。このようなギリシア的伝統の下、タレスの弟子アナクシマンドロスは普通の要素がどうして他のものに変化するのかを問題にして、目で見ることのできない限定されないもの(アペイロン)の存在をピュシス(もの)とした。そして、後にポルトマンが主張した骨絡に同じく、大昔の人間の赤ん坊は今より頑丈で早く独り立ちできたに違いないと主張し、後にダーウィンが唱えたような進化説を説き、動物の化石をその証拠とした。これに対しアナクシメネスはピュシスは空気であると反論した。  

 紀元前6世紀の後半には、数を使って物理法則を説明した最初のひとであるピタゴラスがサモスに現れた。彼は数に奉仕する秘密の宗教を作り、弦の長さが音の高さに比例することを発見した。彼にとって肉体は魂の牢獄だと考えられた。6世紀末になるとクロトンにアルクマイオンが現れ、感覚や思考の座が脳にあるという仮説を持ち、視神経を解剖によって脳までたどった。  

 5世紀に入るとエペソスのヘラクレイトスが生成説を唱え、たとい石のようなものでも微粒子のような火の塊からなっており、ピュシスは火であるとし、変化には法則があると唱えた。これに対しエレアのパルメニデスは真理は永久不変のものであり、変化は不完全な感覚に基づいた幻覚だと主張した。紀元前5世紀の半ばになるとアクラガスのエンペドクレスがパルメニデスに反対して物体はそれ自身に特有な写しに相当する放出物を発し、そのために感覚が生じるのであり、そんなに感覚が信頼できないものではないことを示そうとした。  

 ソクラテスと同時代の哲学者にミレトスのレウキッポスとその弟子のアブデラのデモクリトスがいる。2人はともに原子論者であり、一般にデモクリトスの考えはレウキッポスの焼き直しだと言われる。デモクリトスは神や霊魂の存在を否定し、快楽説を説いたが、彼によれば哲学こそ他にあり得ない快楽だとし、哲学的生活を送ることを推奨した。  

 一方で哲学の中心問題をピュシスから人間に変える働きをしたのはソフィストである。その祖プロタゴラスは、端的に「人間は万物の尺度である」との有名な言を残している。ソフィストたちは報酬を得て弁論術の教師として活躍した人たちである。そのため、後世に残るような業績を残さなかった。ピタゴラス・パルメニデスを尊敬した人物はプラトンで、アルクマイオン・エンペドクレスの伝統を踏襲したのはアリストテレスである。次節においてこれら2人の対照的な哲学に触れることにする。

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