講座 心理学概論 3 心理学史 1 我々の科学観と歴史観

 心理学史を読むに当たって注意を要する点について述べておく。  

 我々は常識的見解よりやや広い科学観を持っている。それは、「科学とはある側面から見た事象の合理性の証明作業および関連諸事象との無矛盾性の追究作業である」という科学の我々なりの定義に由来する。従来科学を説明しようとした心理学研究者の殆どが、科学を定義するさいにブリッジマンの科学哲学が想定しているように「物理学」を意識していたため科学が方法論の確立とともに生まれると確信してきた。我々の定義ではそれよりも広く「数学」および「天文学」を科学の範型と捉え、それを意識して科学を定義してみた。  

 たとえば犯罪心理学を例にしよう。犯行の動機、計画性を例証することは「非科学的」なことだろうか。ポリグラフが測っているものは何かについては現代でも明確になっているわけではない。だが経験的に我々は「ポリグラフで虚偽検出できる」ことを知っている。これらの場合、現場から採取された物証や証言をもとに捜査し、それに基づいてポリグラフにかける質問を決定する。この、事件を捜査する一連の手続きは法則を発見するためと言うよりは事件を解決するために求められる。これは非科学的なことであろうか。我々から見るとこれは「科学的な努力」に見える。  

 統計的手法を殆ど用いないフィールドワーク主体の文化人類学にしても然りである。何故その民族にその文化が根付いたのかの考察を「科学的に」行うことは可能である。それは「進化論」と言うパラダイムが科学規範として広く認められているためでもある。動物行動学でハイイロガンの初期学習(インプリンティング)のローレンツによる発見は統計的分析なしに行われた優れた洞察であった。彼は科学を実践していることを疑わなかった。  

 数式の証明にしてもまた然りである。「真理の探究」というよりは「遊び」に近い。我々は「科学」と言う対象があるわけではなくて「科学的」と言う態度が実在するに過ぎない、と考える。だから、科学は命題の産出と思弁的分析を本旨とする哲学とも異なっている。科学は命題の証明にかかわっているが、それは「合理性の証明」なのである。したがって「科学的」だからと言って「誤っていない」ことを意味しない。公理が誤っている場合があるからである。科学は哲学の末端である。哲学が誤っていれば、いかに科学的であろうとしても、結果は誤りである。ボトムアップに考えた場合でもそれは真理である。だが、こうしたことは今や少数例である。それは、科学的態度が「関連諸事象との無矛盾性の追究」を志向しているためである。  

 したがって、心理学史に出てくる「科学としての心理学」は、このような態度を持った者によってもたらされた心理学のことを言い、通説とは若干異なったものになるだろう。本章を読む者は上記の点に留意して読み進んで欲しい。  

 歴史、特に学史とは、あらゆるものが洗練されて行く過程である。心理学的思想や概念が如何にして何をきっかけに洗練されて行くのかを我々は検証したい。なお本章第11節までは「心理学検定」受検者にとっては不要なので、読み飛ばしていただいて差し支えない。

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