講座 心理学概論 3 心理学史 17 行動主義の台頭

 19世紀末のロシアでは、胃酸の分泌の研究をしていた生理学者(彼は「心理学者」と呼ばれることを嫌った)パブロフが、イヌを被験体とした実験の中で、肉粉を盛った皿を皿だけ見せても顕著な胃酸・唾液の分泌が見られることを発見し、これを「精神的分泌」と名付けた。この研究は先述の通り、アメリカに紹介され、これを契機にアメリカでは実体の見えない「心」を研究するのではなくて、観察可能な「行動」を研究すべきだとする学者が1910年頃には多数存在した。  

 そんな中で1913年にワトソンは「行動主義者の見た心理学」と言う論文を発表し、それまでの主観的言語による心理学の追求を、科学の要求する客観性・公共性を損なうものだと厳しく非難し、科学的心理学が研究すべきものは目に見えぬ「心」ではなくて、観察可能な「行動」だけだと主張し、自らの立場を「行動主義」と呼んだ。  

 行動主義の濫觴はデューイやエンジェルのいたシカゴ大学にあった。ワトソンはロックと同じく極端な環境主義者であった。11ヶ月の「アルバート坊や」の実験ではシロネズミを見るたびに不快な金属音を鳴らすことを繰り返すと、アルバート坊やはシロネズミだけではなく白ウサギ、さらにはサンタクロースのひげを見ただけで恐怖から泣くようになることを示した。パブロフの実験も含めてこれらの現象は、後にヤーキスとヒルガードによって「古典的条件付け」と名付けられたものである。  

 1930年代になると、科学的概念はそれを測定する手続きによって定義されなければならない、という「操作主義」の考えが、古い行動主義では説明がつかなかった現象の説明のために導入されることとなった。その中でクラーク・ハルは習慣強度、反応ポテンシャル、動因といった仮説的構成概念を導入し、反応が強められるのは反応によって動因が弱められるためである、という「動因低減説」を唱えた。1943年の著書「行動の原理」は世界的に普及した本となったが、それからのハルはどんどん難解で実証不可能な理論の袋小路に入っていった。

 ハルと対照的なのが巨視的目的行動を研究したトールマンである。短い期間だったがケーラーのもとで過ごしたこともあるトールマンは、期待、仮説、信念、認知地図と言った概念をその理論の中核に置き、サイン-ゲシュタルト理論を構築した。  

 これらの理論を不要に複雑な理論だとして、「条件付けは1回の試行で接近していれば成立する」という接近説をブチ挙げたのはガスリーであった。彼の理論が誤りなのは明白だけれども、学習の進展を1試行ごとに考えるという点では学習心理学において強化の規定因を1試行ごとに考える「レスコーラ=ワグナー・モデル」の中にその着想は生きている。  

 今日の学習心理学を語る上で欠かせないのが、何らかの反応(オペラント)をすれば何らかの報酬が得られるようなタイプの学習、すなわち道具的条件付けの研究に生涯を捧げたスキナーの存在である。彼は道具的条件付けを研究するためにバーを押せば餌が出てくるような「スキナー・ボックス」を考案し、条件付けの技法を用いて臨床的問題を解決する「シェイピング」という方法を考案した。  

 しかし、1960年代になって学習理論の限界が徐々に明らかになるにつれて、トールマンのいう「認知」を旗印としてナイサー、アンダーソンらによって「認知心理学」が唱導されるようになり、以前ほどの勢いは今の心理学界では失われている。

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