講座 心理学概論 3 心理学史 14 精神分析学

 催眠療法を心理治療に本格的に導入したのはシャルコーであった。彼の弟子の中にはジャネ・ビネー・フロイトなど優秀な学者が多い。  

 パリのシャルコーが催眠によって心理的外傷となった出来事を神経症患者に再体験させると症状が消失することに感銘を受けたフロイトは、ブロイアーとともに「ヒステリーの研究」という書物を著し、同じ本の中でブロイアーとは違った見解を著して以来、彼と他の精神分析家の間には、常に対立があり、競合離散したことは以下に述べるとおりである。  

 その前に、彼の理論について述べておく必要があろう。彼は催眠を捨て、自由連想法という方法によって力動的無意識を明らかにしようとした。当初は前意識、意識、無意識という心の領域分けをし、神経系もそれに応じた3種類を仮定していたが、次第にイド・自我・超自我の葛藤・調整から心的生活は成るという、局所論から構造論へのシフトをした。彼の中心的仮定は幼児性欲説にあったが、それが発展して「エディプス・コンプレックス」説になった。乳幼児は異性の親とパートナーに成りたがるが、そこには同性の親という「障害物」がある。この障害物によって去勢されるのではないかという不安からイドを守るために同性の親に同化してその価値観を超自我として発達させることによって保身を図ることでその調整役としての自我が発達する、と言う説である(ヴィクトリア時代には女性にも精液の発射器官があると考えられていた)。フロイトはヴントと同じく心の予測は不可能で、心理学は考古学のようなものだと考えていた。  

 まず、劣等感の理論を唱えたアドラーが離れていった。フロイトはユダヤ人だったから、ユダヤ人ではないユングが仲間の一人になったことはフロイトにとってとりわけ嬉しいことだったが、当初から考えにずれがあり、ユングも分析心理学を唱えて袂を分かった。サリヴァンも有力な弟子の一人だったが、より社会的な理論を提唱し、袂を分かった。  フロイトにはアンナ・フロイトという娘がいた。彼女は現在の高校の教科書に出てくるようなフロイトの防衛機制の詳細な分類をしたことで有名である。それまでのフロイトは「抑圧」と「昇華」の概念を明らかにしていたに過ぎなかった。  

 精神分析のイギリス学派と呼ばれる対象関係論がイギリスでは活発化した。文字通り母親やその乳房、移行対象(忘れ形見)を重視する学派で、主要な人物にクライン・フェアバーン・ウィニコットなどがいる。中でもフェアバーンはフロイトに似た理論を展開し、注目を集めた。

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