講座 心理学概論 3 心理学史 13 ヴント以降

 ヴントのもとで学位を得た心理学者たちは数多いが、ヴントの理論を継承する心理学者は一人もいなかったと言って良い。その中でも優れた心理学者にキュルペがいる。彼は、ヴントとは異なって、高次精神機能である思考を実験的に研究することができると考えた。そして、さらに「心像のない思考」がある、と指摘した。彼はまた「思考制限法」によって連合主義の弱点が突けるとした。彼の「心像のない思考」にかんしては、1901年にマイヤーとオルトが「非常にしばしば、はっきりした心像とも意志活動とも言えない意識過程を、被験者たちは追想実験において報告したことを述べておかねばならない」と報告している。  

 ミル父子のようなイギリス経験論とヴントのような大陸観念論を折衷させ、アメリカに心理学をもたらした人物がティチェナーである。彼は心はそれ以上には解析できない「要素」が組み合わさってユニークな感覚が生じると唱えた。しかし、晩年の彼は科学の仕事を「相関の記述」だと完全に限定し、こと心に至っては、完全な記述主義者になった。このような極端な心観・科学観が災いして、彼の「構成主義」は、一代で滅びる運命となった。     

 1890年、キュルペのいたヴュルツブルグ大学のエーレンフェルスが「ゲシュタルト質について」と言う論文で、個々の要素である音の物理的性質は異なるのに移調しても同じメロディーが認識される事実を指摘して「部分の総和は全体とは異なる」というゲシュタルト心理学を宣言する。その師マイノングもこれを支持した。マイノングの師は作用心理学で有名なブレンターノであった。ブレンターノの影響を受けたエーレンフェルスは、ゲシュタルト質は「志向的」すなわち能動的な意識の働きによると考えたが、ベルリン学派のヴェルトハイマーやコフカ、ケーラー達はそうは考えなかった。  

 彼らによれば、ゲシュタルトは受動的に認識されるものであると言い、それは脳の電場であたかも「認識の写し」が生じるために認識が生起するという「心理-物理同型説」を唱えた。彼らは、そのような立場から音楽・錯視・洞察などの現象を説明しようとした。  

 しかし、同じゲシュタルト心理学であっても、「場の理論」を脳内過程に還元せず、あくまでも心理的なそれに限定するレヴィンのような立場も現れた。

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