講座 心理学概論 3 心理学史 12 体系的科学的心理学への道

 19世紀も半ばになると、生理学的心理学にかんする業績がちらほらと見られるようになる。G.A.ミュラーは、感覚ごとにそれを媒介する物質は異なる、とする「神経特殊エネルギー説」を唱えた。この追随者にヘルムホルツもいた。彼は1850年というきわめて早い年に、カエルの筋肉に刺激を与えて神経伝導速度を測定した。その結果、刺激の伝導は毎秒26メートルほどであることを突き止めた。これには先達がいた。L.ガルヴァーニ夫妻である。彼らはカエルの脚に雷の電流を流すと、あたかも生きているかのように収縮することを見いだしていた。この頃の計量心理学的研究として重要な発想は、単純な刺激とその反応と、単純な刺激と選択反応の差分が選択時間として測定できる、と言うドンデルスの研究に先駆的に見られるものである。  

 それと前後して、1834年にはウェーバーによって刺激の差分の検出限界、すなわち弁別閾にかんする法則が報告され、カントの「心は数学化できない故に科学の対象にはなり得ない」と言う考えが明白な誤りであることが実証された。そして1860年、テオドール・フェヒナーの「精神物理学要綱」が出版され、刺激の検出限界すなわち絶対閾、感覚量と刺激量の関係にかんする法則も提出された。一定の体系を備えた世界で最初の実証的著作の出版という意味で、1860年を体系的科学的心理学の始まりと見る心理学者も多い。  

 それにヴィルヘルム・ヴントが続く。ヴントはヘーゲルの哲学の発展的継承者だと自認していたが、はじめ(1879年)自分のポケットマネーで、1885年からはライプツィヒ大学の予算から世界最古の心理学実験室を運営したことで有名な人物である。ヴントの関心は「心的総合」にあった。たとえば「しょっぱい」と言う単語は「し」・「ょ」・「っ」・「ぱ」・「い」という5つの記号から成っているが、これらを「総合」することによって「塩辛い」と言う意味になる。このように、総合の働きから心的生活が成り立っているとヴントは見る。ヴントの力点は、このように後のティチナーが力点を置いた「構成」にはなく、「総合」にあった。ヴントの心理学がしばしばガンツハイト心理学と呼ばれるのは、このためである。彼は1870年に「生理学的心理学」と言うタイトルの本を出版しているが、特に有名なのが感情は「興奮-鎮静」・「緊張-弛緩」・「快-不快」の3方向で説明できるとする「感情の3要素説」であるが、最近の因子分析的研究で、その意義が再確認されたりして、古くて新しいヴントというイメージを再び植え付ける結果となっている。ヴントは実験的心理学を離れて、現実の人間を理解するためには、文化固有の物語・童話・神話などを分析して初めて明らかになると言う発想を持っており、それをできる学問を「民族心理学」だと考えていた。彼は彼が死んだ1920年に大著「民族心理学」を完成させており、それは今日の文化心理学の中に生きている。

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