講座 心理学概論 3 心理学史 4 西欧中世

 

 西欧中世は「暗黒の時代」と呼ばれるようにイタリア・ルネッサンスの始まる1400年頃までの時期を言う。ギリシアでの神々は「万物の起源」でもなければ「聖なるもの」でもなかった。それでも神への不敬罪が辛うじてあった。万物を神の所与とし、聖なるものに変えたのは、キリスト教という地方のローカルな宗教であった。それまではミトラ教がローマ公認の宗教であったが、徐々にキリスト教がローマ皇帝の信を得て勢力を拡大し、アウグスティヌスのキリスト教哲学が成立し、その影響は中世を通じて一貫していた。オリジナルなことと言えば、神は聖なるものであって万物の創造主だという考え方であった。彼は霊魂が内省によって知られるものであり、内省は神の照明に等しいから、それによって神を知ることができると考えた。このような考えのもとでは科学はおろか哲学もできなくなってしまう。それらを和解させたのがトマス・アクィナスであった。彼は哲学と信仰をはっきりと区別した。理性は自然の本質を理解することができ、神はその仕業によって間接的に理解できるに過ぎない、とアクィナスは主張した。肉体は魂の牢獄ではなく、魂と肉体の完全な統合態が人間であると考えた。またアクィナスは完全な経験論を主張した。これをさらに進めたのはオッカムであった。オッカムはアクィナスなどとは違って、魂をその能力と区別して考えることはできないと考えた。オッカムの精神観では、概念は学習された習慣であり、彼は形相を否定するから、習慣的概念こそが人間と動物を区別する示差だという。直感的認識によって人間は対象とその性質を知ることができる。彼は信仰と理性ををはっきりと区別した点でアクィナスとは違っている。このようなオッカムの考えは教会がそれを抑えようと躍起になったにもかかわらず、広く教えられ、強い影響力を持った。この頃はじめてヨーロッパ的伝統として個人主義の考え方が現れた。アベラールの倫理学では罪の基準を行為そのものではなく意図に帰す考えが現れた。1348年にヨーロッパで黒死病が流行し、ヨーロッパ人口の3分の1がそれで命を落とした。オッカムも例外ではなかった。しかしオッカムは、人間の知識は現世だけのこととし、神学と分離すると言う態度を取ったため、神学は崩壊した。ニコラウスにしても神の心を知ることよりも、現象を研究することを推奨したという意味で、関心の神から人間への転回点を与え、再び哲学と科学の登場の機会を与えたという意味で、彼らの業績はギリシアと中世と近代をつなぐ役割を果たしたのである。このような雰囲気の中、12~13世紀にかけて、グロッステスト、ロジャー・ベーコン、オレーム、ビュリダンといった神学的科学者が光や錬金術(化学)や物理学といった学問の礎を築いた。ここでもう一つ指摘しておきたいのは、中世がロマンスを生んだということである。それは古い昔にできたものではないのである。中世中期まで女性は欠陥出産の結果産み落とされたものである、という男尊女卑の思想が蔓延していたけれども、地方の女性聖職者の活躍によって、次第にそうした偏見はなくなっていった。  

 以上が概論レベルの中世の概観である。西欧では思想史的に停滞した1000年もの期間ができてしまったがこれと同時期にアラビア・イスラムには西欧に先駆けて科学が発達した。次節では西欧とアラビア・イスラムがイスパニアやシシリーでつながって、一足先にアラビア・イスラムの科学の発生史がもたらされる様を検証することとする。

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