認識

 
 我々は常に推測しながら生きている。「覚」とは「心が触れること」の謂いである。

 したがって、「認識」とは「収まり(対象意味)に触れること」の謂いである。

 対象意味は、いつもそれ単体では存在し得ない。

 それにはいつもタテとヨコの関係があって、タテを「抽象」、ヨコを「類推」と言う。

 「連合」とか「連想」に人間の本質を見た哲学者や心理学者たちは了見が狭すぎる。

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