彼がそのミリオンセラー「ノストラダムスの予言」を書いてひとびとを自意識過剰にした事件(その好例はオウム真理教)は記憶に新しいが、そこには「救世主チランの後継はアグリッパ」と書いてあった。
ところが、そのアグリッパと言うのは、ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ(Heinrich Cornelius Agrippa, 1486年9月14日-1535年2月18日)のことを指すと思われる。
ノストラダムスは1503年の生まれなので、アグリッパとほぼ同時代人と言うことになる。
そうなると、「救世主チラン」なる者は、ノストラダムスより遙かに年上の人物と言うことになり、ノストラダムスの書き残したのは、予言集などではなく、回顧録だったと言うことになる。
ノストラダムスも、自分の著著に「諸世紀」と言うタイトルを与えたので、それを予言集と取ったひとびとは彼の言葉に人生を振り回されたことになる。
そもそも、これは筆者の信念であるが、良いことであれ悪いことであれ、人間は自分自身の運命をそれとして生きることそのものに神様の真意があると思っている。なので筆者バイクで転倒して骨折しても「先に教えて欲しかった」などとは微塵も思わず、その信念が揺らいだことはない。
そして、自分がつかむべき本当の知恵は、「先が見えない」と言うご馳走を心の芯が食べることなく出てくることはない、と。自分の信じる神様像(それはひとにより千差万別であろう)からは、それ以外の何も感じない。