理を知ること

 多くのひとたちは、「理を知る」と言うことは「頭の善し悪しの問題」だと勘違いしているように思う。  

 しかし、僕の人生経験では、「理を知る」と言うことは「頭」や「知能」の問題などではなく、「表情を読み取る力」のように感じている。  

 もちろん、「表情を読み取る力」は、程度の問題はあれど、対人関係や社会関係の豊かさによって涵養されてゆくものだと思う。  

 理を用いて何かを「創造」すると言うのは言うまでもなく「建て付け」の才覚であろう。しかし、その本質は「直観」であり、結局「表情を読み取る力」に帰さしめられるように思う。  

 では、「頭」とか「知能」と言ったものの正体は何なのか。  

 それはたぶん、「まったくの傍観者として諸事象を整合性を持って理解する力」のことを言うのであろう。  

 こころと言うものは、我々の見当違いがとても多く含まれているという気がする。

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