普遍言語に必要な2つの要件

 筆者は身の丈がショボいなりに視聴覚同時障害者のための言語はできないだろうかと、自分なりに散策している。

 最近、その要諦が2つに絞れるのではないかと考え始めている。

 ことばを哲学してみると、まず何よりことばそのものの性質が「即性の表現」だと言うことを身に染みて感じる。

 ことばによる世界認識の本質は「有無」のような存在性の主張なのではなく、認識したありのままの何かの「即不即」、すなわち即性の表現であると言うことに気づかざるを得ない。

 で、言葉がややこしくなるのは何かと何かの関係性についても言及しようとするからで、これを一括りにすると「示置性」と言うことになるだろう。

 つまり、障害者言語を考えるときに必要なものと言うのは、「即性」と「示置性」の2項が最有力な候補ではないかと思う次第である。そして、言語の本質とは、「知覚・思いへのことばの該当への構成的処理」なのではないか、と。

 我々にとって「ことばを覚えることの先生」である子どもたちに、そのようなヒントを元にした「ことばづくり遊び」などをしてもらうと、存外我々も子どもたちから障害者言語についてのヒントをもらえるのかも知れない。

 無論それはそのままで良いというわけではなく、障害者の限定的な知覚特性を考慮して改良しなくてはならないであろうが。

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