講座 心理学概論 8 感情心理学 3 一次的欲求

 

 我々は眠り、食べ、飲み、異性を求め、体調を維持しながら生活している。このように、生理学的メカニズムに基づき生体維持のために必要不可欠な欲求のことを「一次的欲求」と言う。  

 一次的欲求には、生体を一定の生理学的状態に維持する力である「ホメオスタシス(生体の恒常性)」に基づくものと、そうでない生殖欲求などがある。  

 一次的欲求がいかにして生じ、いかにして終結するのかについて、この節では考えたい。ここでは、睡眠、水分調節、食欲について述べる。  

 実験で動物の睡眠を数日剥奪すると、動物は死んでしまうことが知られている。このことは、恐らく人間でも同じことだろうと考えられている。  

 睡眠にはレム睡眠とノンレム睡眠がある。その中にもステージがあるが、ノンレム睡眠の方がレム睡眠より深い。睡眠は夜レム睡眠-ノンレム睡眠のセットが5、6回繰り返され、起床する。そのため、夢を見ていることの多いレム睡眠が多い不眠症の患者などでは、熟眠感が得られにくい。ノンレム睡眠は視床下部の外側視索前野の活性化によって生じ、レム睡眠ではアセチルコリン作動性ニューロンの活性化によってそれが起こる。  

 次に水分調節である。人間の体の60パーセントは水分であることはご存知の方も多いであろう。人間の水分調節には2種類のものがある。  

 ひとつは、浸透圧性水分調節である。発汗によって水分が体から減少するときや、塩辛いものを食べたために細胞外液の浸透圧が高まり、細胞内から水分が失われる。これを終板器官およびその付近で検知し、視床下部前方にその情報が送られ、水分摂取の欲求が発する。もうひとつは、出血などによる体液量性調節であり、腎臓や心房で血流量低下が検知され、これも視床下部前方に情報が送られ、水分補給の欲求が始発する。  

 最後に、食欲について述べる。体内のブドウ糖や脂肪が不足すると、肝臓が利用可能なエネルギー量を検知し、不足が生じると迷走神経を経由して視床下部外側野にそれを伝える。ブドウ糖にかんしては、脳内にも検出器があり、同じく視床下部外側野に情報を伝達する。ここは、電気的または化学的に刺激すると食欲が生じるので、「摂食中枢」と呼ばれている。脂肪が過剰になると、脂肪細胞からレプチンが分泌され、胃や肝臓からの食物情報と総合されて視床下部外側野の活性化を抑制し、満腹感を生じさせるとともに、食欲を抑制する。  

 ところで、ストレスなどで胃をやられたという経験のある方も多いことであろう。このような場合には、グルココルチコイドが医師から投薬される。炎症を抑える働きがあるためである。  

 我々の文化の中に、「目で食べる」と言う表現があるように、ただ単に上記のメカニズムだけでは説明できない部分も多い。統覚のような知覚メカニズムや食生活習慣などの文化的要因も人間の欲求には深く関わっている。

講座 心理学概論 8 感情心理学 2 動機づけ 閑話休題

 前節でも述べたように、動機づけとは、行動を始発し、維持し、満足するまで継続させる心理的な力のことである。この動機づけの中には様々な情動が含まれることは、例えば怒れば相手が謝るまで怒り続けるとか、好きな人ができたら相手が交際を認めてくれるまで猛アタックするとかの事例を振り返れば、納得がいくであろう。  

 筆者、大学時代に、意外な視点から動機づけを考えるアメリカの研究者の論文を読んだことがある。  

 エイブラム・アムゼルとジャクリーン・ラッセルと言う研究者が書いた「フラストレーション(欲求不満)の動機づけ的性質」と題する実験論文がそれであった。  

 彼らは、フラストレーションには動機づけの機能があると、その論文の中でラットを被験体とする実験を行い、主張していた。  

 実験の概要は以下の通りであった。  

 出発箱と目的箱を直線走路で結んだ実験装置の中に、まずは出発箱に空腹のラットを入れ、ギロチンドアで何十秒か出発を遅らせる群と、すぐにドアが開く群を用意した。目的箱には任意のとき入れるようにスイングドアを箱の入り口に設けてあり、目的箱には餌が入っていた。それを10試行ほど繰り返した。それぞれの群で走路を走り抜けるタイムを測定した。  

 それぞれの群の走路を走り抜けるタイムの測定が行われた。  

 その結果、出発箱で待たされる群の方が有意に走路を走り抜けるタイムの平均が短いことを彼らは確認した。  

 出発箱で待たされることは、操作的にフラストレーションを引き起こす事態であると彼らは定義していたので、彼らの仮説は実験結果により支持されたことになる。  

 その後、この事実を確認するため、筆者らはこの実験を再現する形で追試を行った。結果はアムゼルらの報告通りであった。  

 一般にフラストレーションと言うと、欲求が満たされないために起こる結果的な感情ないし情動だと解される場合が多い。オモチャを買ってもらえない子どもがぐずるとか、ご褒美をお預けにされて怒るとか、日常的な例には、「結果としてのフラストレーション」と言うイメージを持ったものが多い。  

 一方、アムゼルらは、「褒美をお預けにされたので、お預けが解けるまで努力する」とか、アラビアンナイトの「千夜一夜物語」に出てくるシェヘラザード妃のように残忍な王シャリアールに殺されないようにシェヘラザード妃が「この物語の続きはまた明日」と言って王に殺すことを忘れさせ、ついには生きて帰ると言うエピソードにあるように、フラストレーションを一種の動機づけと見たのである。  

 この話は、昨今の「受験地獄」をどう乗り切るかのヒントを与えるものである。読者諸賢もフラストレーションを上手に動機づけに変え、心豊かな生活を送られることを願うものである。  

 なお、アムゼルらがアラビアンナイトの中のこの話を知っていたか否かは不明である。

(出典:Amsel, A. & Roussel, J. 1952 Motivational properties of frustration: I. Effect on a running response of the addition of frustration to the motivational complex. J. exp. Psychol. 43, 363-368)

講座 心理学概論 8 感情心理学 1 動機づけ

 我々は何らかの課題に取り組むとき、「やる気」が起こらなければ努力をしないであろう。希望の大学に入りたいと思えば思うほど勉強するだろうし、収入の大きな演奏会を主催する音楽団体は、ボランティアで開くコンサートよりも良い演奏をしようと努力するだろう。  

 このような、目標に向かって行動を始発し、満足されるまで行動を維持する心理的な力のことを心理学では「動機づけ」と呼ぶ。  

 心理学で本格的な動機づけの研究が始まったのは、アトキンソンによる「達成動機づけ」の研究によってである。アトキンソンは、成功する確率と失敗する確率が拮抗する状況で最も達成動機づけは高まるという理論を提出した。受験を例に取ると、受かるか受からないかが微妙な受験ほど受験勉強に身が入る、と言う説明になる。  

 そして、動機づけを左右する要因として、結果がどのような原因で生じたかについての推測のスタイル、すなわち「原因帰属」が挙げられるようになった。例えば、希望する大学に受かったとき、それが努力によるものか、問題の易しさによるものか、運によるものかの判断で、努力によると原因帰属するひとは、大学に入っても勤勉であろうと考えられるが、運によると原因帰属するひとにはそれほどの勤勉さは期待できないだろう。  

 ここから産まれた考え方に、「統制の座」と言う概念がある。自分の行為の原因を自分自身に、すなわち統制の座を内的要因に求めるひとは、結果に対して自分が有能か否かに関心が向きやすい。それに対して、自分の行為の原因を環境に、すなわち統制の座を外的要因に求めるひとは、無力感に苛まれ易いであろう。この概念は、例えば少年事件の鑑定などの説明にも用いることができる。ある非行を犯した少年がなぜ非行を犯したかについて、検察は「少年の残忍性」に答えを求め、弁護側は「少年の家庭環境」に原因を求めるケースが多いことは、日々のニュースでよく耳にすることだと思う。  

 さて、動機づけはなぜ起こるかについてここまでは述べたが、次に動機づけの種別について述べようと思う。  

 動機づけは、行動自体が目標であるような「内発的動機づけ」と、行動に伴う報酬が目的であるような「外発的動機づけ」がある。また、別の視点で捉えると、行為の習熟が目的である「マスタリー動機づけ」と行為の実行が目的である「遂行動機づけ」に大別できる。社会心理学者であるディシによると、遂行動機づけのうち目標志向の「接近遂行動機づけ」は、「有能さ」と「自己決定感」の両者が存在するとき、ひとは最も努力するという。これが例えば、受験勉強でやる気になっているときに親から「勉強しなさい」と言われるとたちどころにやる気がなくなってしまう「アンダーマイニング効果」が起こることを説明している。  

 しかし、近年の研究では、物理的報酬はアンダーマイニング効果を生むが、褒め言葉の場合にはこの現象は見られないという知見が明らかになっている。産業現場で、心理学的に何が生産性を高めるかについて頻繁に研究が行われてきたが、明確な処方箋は今日になっても得られていない。ディシの研究は、産業現場に示唆は与えるが、シャインが産業現場で働くひとびとを「複雑人」と捉えることを提唱していることに見ることができるように、単純な公式から生産性を語ることはできないのである。

講座 心理学概論 7 認知心理学 15 メタ認知

 我々は、自分の認知、たとえば「この項目はこうやって記憶しよう」とか、「この問題の解決は近い」とか、「単語の意味を知らないことが分かっているので、辞書で調べよう」などと認知を制御したり、モニターしたりすることも多いのではないだろうか。このように、自分の認知を認知することを「メタ認知」と言う。  

 認知心理学では一般にメタ認知を2種類に大別して考えることが多い。1つは「メタ認知的知識」であり、もう1つは「メタ認知的活動」である。  

 メタ認知的知識とは、自分や人間一般の認知の特性についての知識である。「自分は数学の証明問題が苦手だ」とか「自分は現代文の解釈が得意だ」とか「分からない問題があったら参考書を見る」とか「おそらく多くのひとは1度に2つのメッセージを理解するのは困難だろう」とか「歳を取れば物忘れが多くなるだろう」とか「受験に失敗したら予備校に通おう」など、自分や人間の認知の性質について持っている知識がメタ認知的知識である。  

 メタ認知的活動とは、自分がいま取り組んでいる認知的課題の実行にかんする認知の働きのことを言う。これはさらに2つに分けて考えるのが普通である。1つは「モニタリング」、もう1つは「コントロール」である。  

 モニタリングとは自分の認知的課題の遂行上の具体的状況をメタレベルの認知が受容することである。簡単に言えば、「認知の監視」である。冒頭に触れた「この問題の解決は近い」をはじめとして、「今自分は暗礁に乗り上げている」とか「この問題は分からない」とか「この課題はたやすく解けるだろう」など、まさにいま直面している課題についての自分の認知の適応性についての認知である。  

 コントロールとは、認知の仕方を意図的に決定していく働きのことを言う。具体的には、目標設定、計画、方略の修正などが挙げられる。目標設定とは、「今週中にこの課題を終わらせよう」とか「ピアノの譜面を見ないで弾けるようにしよう」などであり、計画とは、「たやすい問題から解いていこう」とか「配点の高い問題から解いていこう」などであり、計画の修正とは、「丸暗記は難しかったから語呂合わせで覚えるように変更しよう」とか、「まともな計算式からこの三角形の面積を出すことは困難だったのでヘロンの公式で面積を出そう」などである。  

 日本の教育は「知識偏重」だと教育評論家らによって指摘されることが多い。教育が担うべきひとつの役割は、自分の持っている情報をどの課題のどの段階でどのように活かすのか、その術を身につけさせることではないだろうか。柔軟な課題解決方略の教育は、いまの日本ではお世辞にも充実しているとは言えない。最適なメタ認知を常に活用できる人材が国際化の進む現状には最も必要なことではないだろうか。  

 最後に、近年の認知心理学ブームについて触れて、この章の締めくくりとしたい。  

 これまでの行動主義では、人間理解に限界があることを1960年代になって痛感する研究者が増えてきた。従来の心理学から見ても、動機づけ、記憶、思考、問題解決、パーソナリティなど様々な分野で人間の内部を仮定しないで説明できる行動現象は少ないことが指摘され始めていた。それを最も先鋭化させたのは、アメリカ心理学会会長アーネスト・ヒルガードの会長就任演説やナイサーの「認知心理学」の出版であった。特に認知心理学は行動主義の中のハルとトールマンの対立が元となってトールマンの主張をナイサーが発展させる形で生まれた。アメリカでナイサーの著書が広がりを見せ始め、それまでの行動主義者たちも人間の内部の仮定を徐々に認め始めた。その波は海外に及び、我が国でも「認知革命」と呼ばれる運動がたちどころに広がった。これは、心理学が公式に心の存在を認めたに等しい。極めて皮肉なことであるが、ワトソンが行動主義を宣言してから50年近くになって「心ある心理学(心なき心理学のことをドイツ人たちは”Psychologie ohne Seele”と言って嘆いていた)」が誕生したのである。

講座 心理学概論 7 認知心理学 14 認知バイアス

 我々の物事に対する認知は、あることを認知する前に何らかの情報を与えられていたならば、認知が情報を与えられなかった場合と比べて正確に認知されない場合がある。このような「認知のねじ曲がり」のことを総称して「認知バイアス」と言う。  

 まずは選挙にかんする認知バイアスから説明する。マスコミなどによって、選挙の優勢が伝えられた候補者は、有権者のさらなる票の上積みが起きることがある。また、劣勢が伝えられた候補者にも同様の票の上積みが見られることがある。前者を「バンドワゴン効果(勝ち馬効果)」、後者を「アンダードッグ効果(負け犬効果)」と言う。また、集団で判断を下す場合に、極端な判断が下されることが多い。より安全で無難な判断に傾く傾向のことを「コーシャスシフト」、よりギャンブル的で危険な判断に傾く傾向のことを「リスキーシフト」と呼ぶ。

  アッシュの印象形成の研究から、他の性格描写語は全く同じだが、一項目だけ「暖かい」「冷たい」と描写すると、好感度が真逆になることが確かめられた。このように、重要な人格手がかりを中心として例えば性格判断がなされるような効果のことを「ハロー効果」と言う。  

 1973年、電車の中で女子高生が「信用金庫は危ない」と言う噂をしたところ、その噂が瞬く間に広がり、豊川信用金庫で取り付け騒ぎが起き、実際に危なくなったことがある。このように、自分が持っている先入観などが実際に先入観のような事態を引き起こすことがある。これを「自己成就預言」と言う。  

 事前にあることの特徴などを与えられると、判断が特徴に引きずられ、より特徴と合致した判断をすることがある。これを「アンカリング」と言う。  

 P.C.ウェイソンが考えた「4枚カード問題」のように、「もし表に母音字が書いてあれば、裏は偶数である」と言うルールを使って、「E、K、4、7」と言うカードのうち、「ルールが守られていることを確かめるために最低でもめくってみるべきカードは何か?」と言う問題を大学生の被験者たちに解かせたところ、「E」ないし「Eと4」と答える者がほとんどで、「Eと7」と言う正解に達した者はごくわずかであった。本当は7の裏に母音字が書いてあればルール違反なので、「7」をめくってみるべきなのである。このように、自分にとって「分かりやすい」結論を前提から導き出してしまうバイアスのことを「確証バイアス」と言う。また、失敗の原因は環境に、成功の原因は自分に帰属させる傾向のことを「自己奉仕バイアス」と言う。  

 読者の中には占いを信じるという方も少なからずいるのではないだろうか。占いは誰にでも言えそうなことしか予言しないので、「当たっている」と感じやすい。これを「バーナム効果」と言う。  

 最後に、教師が「この子には才能がありそうだ」と暗示されると、実際にその生徒の成績が上がる。この土台となったのがローゼンソールによるネズミの学習についての実験だった。「実験者」に、実際はランダムに選ばれたネズミの二群を、「このネズミは学習能力に優れている」と言って「実験者」に渡した一群と、「このネズミはのろまで学習能力も低い」と言って「実験者」に渡した一群との間でネズミの学習にどんな影響があるかを検討した研究で、優秀群の方がのろま群よりも高い学習成績を残すことが検証された。人間、潜在的にある人物の能力についての認識を持っていると、その認識が実際にある人物の能力に影響するのである。「私ができが悪かったから、子どももできが悪い」などと心のどこかで思っていると、本当にできの悪い子どもに育ってしまう可能性がある。注意したいことではないだろうか。

講座 心理学概論 7 認知心理学 13 認知症

 読者諸氏の身の回りに、極端な記憶力の低下を来しているひとはいないだろうか。数分前にしたことを覚えていないようなひとはいないだろうか。  

 記憶の三要素は「記銘、保持、再生」である。このうちいずれに障害が生じても、記憶力の急激あるいは緩徐進行な低下は起こりうる。これを「記憶障害」と呼ぶ。もしこれに臨床心理学の章で触れる「失語、失認、失行、実行機能障害」のうち何れかが認められ、それらにより職業的・社会的生活が営めなくなってしまっている場合に、そのひとは「認知症(dementia;2004年までは痴呆症と呼ばれており、心理学関係のひとで認知症という用語を認めないひともいる)」と診断される。  

 認知症の原因は様々であるが、一昔前の日本においては脳血管性認知症、すなわち脳の血管に梗塞などが生じることが原因で起きる認知症が多いことが欧米と比べての特徴であった。しかし、生活の欧米化に伴い欧米で多発していたβアミロイドタンパクの蓄積による神経細胞死が原因のアルツハイマー型認知症が近年顕著に増加した。そのほかにも、レビー小体型認知症、前頭側頭型認知症などがあり、これまで挙げた認知症が「四大認知症」と呼ばれている。他にも認知症の原因として、アルコール依存症、エイズ、正常圧水頭症、低栄養、脳腫瘍などが挙げられている。  

 認知症には、中核症状と周辺症状がある。中核症状は上記の通りであるので割愛するとして、周辺症状には徘徊、暴力、幻覚、妄想、異食、抑うつ、不潔などがあり、これらの症状のことを行動心理徴候(BPSD)と言うこともある。  

 認知症は全人口の6~7パーセントを占めると言われており、65歳以降に発症するひとがほとんどである。65歳人口ではその全体の1パーセント程度の罹患率でしかないが、80歳以上になるとその全体の20~30パーセントが罹患している。  

 認知症に罹患しているひとに、その異常行為を叱ることは治療上むしろ逆効果であり、無意味である。現在進行形で様々な薬が開発途上であるが、心理学的援助としては、支持的心理療法、回想法、記憶リハビリテーション、見当識訓練、芸術療法などで進行の予防・改善をはかるなどの方法がある。  

 認知症は広くは、これまで問題にしてきた記憶障害の他に、言語能力障害、思考障害なども指して考えられることも多い。しかし、ひとの成長途上の知的、社会的、コミュニケーション的側面の障害である知的障害や発達障害(自閉症、アスペルガー症候群、ダウン症など)とは明確に区別される。  

  認知症の診断学で分かっていることは、記憶を司ると考えられている海馬の萎縮が報告され、脳血管性認知症においては、初期には梗塞を起こした脳部位が担っていると考えられる機能だけが低下し、「まだら呆け」、「ザルの目認知症」等と呼ばれることもあるが、病状が進行するにつれて、他の認知症と区別することが難しくなる。このことは、あらゆる認知症にも言えることである。

講座 心理学概論 7 認知心理学 12 認知の残存の規定因

 我々の認知が残存、すなわち記憶として残るのには、「処理水準説」と言う考え方が有力な仮説として提起されていることは既に述べたとおりである。  

 しかし、心理学を勉強中の大学生諸氏は、心理学基礎実験ですでに実験済みかも知れないが、他にも様々な要因があることを指摘することができるものと思う。ここでは、それらについてまとめてみる。  

 そんな大学生諸氏がまず指摘するであろう現象が、「初頭効果」と「新近効果」だと思う。有意味語のリストを作る。そしてそれを一定の順番で被験者群に提示し、全有意味語提示後に「順番を問わず思い出せるだけ思い出してください」とお願いする。すると、再生率を被験者群内で出してグラフにすると、縦軸に再生率、横軸に提示順序とした場合、グラフがU字型になることが分かるであろう。このように、有意味語の提示順序によって再生率が変化する現象のことを「系列位置効果」と言い、最初の刺激の再生率が高くなる現象のことを「初頭効果」、最後の刺激の再生率が高くなる現象のことを「新近効果」と呼ぶのである。  

 なぜこのような現象が生ずるのかについて、アトキンソンとシフリンは既に触れた「記憶の二重貯蔵説」の立場から説明を試みている。記憶には「短期記憶」と「長期記憶」があると言う考え方である。「初頭効果」は「長期記憶」に定着したばかりの刺激が思い出されやすいため生じ、「新近効果」は「短期記憶」にまだ残存している刺激の痕跡が再生率を高めるため生じるという説明が可能だという。  

 だが、「16,29,87,サクラ、64、10、53・・・」と言う記憶リストが提示されたと仮定すれば、「サクラ」だけが極端に記憶されやすくなるという現象もある。これを「孤立効果」と言う。  

 他にも、「5103」を「ゴトウさん」と覚えると覚えやすくなる「語呂合わせ」とか、英単語の記憶の際に単語が無意味綴りの時よりも有意味綴りの時の方が単語に含まれる文字を正確に覚えているという「単語優位性効果」、体験の出来事は記憶されやすいという「エピソード記憶」などがある。   

 我々の記憶が時とともに薄れてゆくことは、人間誰しも体験があることであろう。この現象の説明には2つの仮説が提起された。1つは、記憶そのものが弱まっていくという「衰弱説」であり、もう1つは、記憶が弱まるからではなく、記憶に干渉する刺激が次々に与えられるからだとする「干渉説」である。この仮説のうちいずれが正しいのかについての実験が行われた。もし衰弱説が正しいとするならば、後に晒された刺激の有無にかかわらず一定の時間経過とともに記憶成績が低下して行くであろう。そこで、2群に分けられた被験者群を用いて、一群では記憶材料を記憶してもらってからどれだけかの時間を起きて過ごしてもらい再生をしてもらい、もう一群の被験者群には記憶直後に眠ってもらって起きた時に再生してもらうという手続きで実験を行い、再生率に差があるかを検討した。結果は、眠った群の被験者の方が起きていた群の被験者より顕著に再生率が高くなると言うものだった。従って、干渉説が正しいことが実証された。

 ただ、筆者の見識を述べると、やみくもに記憶が一意に規定されると言う上記の実験の前提自体が少々視野の狭いものになっていないか、と言う疑念が残る。たとえば、興味が記憶に影響していたり、カテゴリーの明確さもそうだったり、社会的インパクトのあることとないこと、身近なこととそうでないことはやはり記憶に影響しているだろう、と思わないわけにはいかない。  

 話を冒頭に戻すと、たとえば結婚式のスピーチで、出席者の記憶に残したい話題は、スピーチの冒頭と末尾に話すと効果的なことが分かるであろう。ただし新近効果はやがて忘却されるので、末尾に話した話題は即時に出席者たちの話題になったりしなければ効果的ではないことを付言しておく。

講座 心理学概論 7 認知心理学 11 回想的記憶と展望的記憶

 我々は「記憶」と言うと、過去の出来事を思い出すことだと考えがちであるが、これは心理学において記憶の研究がそのような研究を行ってきたことも一因である。加えて、何よりも日常生活における記憶と言うものも、過去のことの想起だと考えられがちであることが多いことが一番の要因ではなかろうか。  

 上記のような、日常我々が記憶と聞いて考える記憶のことを「回想的記憶」と言う。  

 しかし我々は、約束など未来のことを記憶することも少なくないのではあるまいか。約束やスケジュール、未来に行う行為などにかんする記憶などがそれである。そのような記憶のことを「展望的記憶」と言う。  

 回想的記憶も展望的記憶も記憶であることに変わりはないが、展望的記憶には回想的記憶にはない重要な要素が含まれている。以下説明する。  

 回想的記憶では、何らかの手がかりから、あるいは場面や状況において想起を行うのが普通である。これに対して、展望的記憶では手がかりは自分の記憶の中にあり、場面や状況は問われない。展望的記憶においては思い出すべきことを事前に思い出すことを覚えなくてはならないのである。このとき、思い出すべきことのことの想起のことを「内容想起」と言い、思い出すことを覚えていたことを想起することのことを「存在想起」と言う。まさに、この点が展望的記憶が回想的記憶と異なる点である。  

 また、結果の重大性と言う観点から見れば、回想的記憶ができないからと言って対人関係に亀裂が入ると言うことは滅多になく、記憶力の低下が疑われるのに止まるのに対して、展望的記憶ができなくなってしまえばたちまち人間関係において信頼を失い、叱責されることになるだろう。たとえば、町で知人に会ったとして、名前を忘れてしまっても、「失礼ですが名前を失念してしまいました」と聴けばそれで解決するが、待ち合わせの時間に待ち合わせ場所に着けないことは人間関係を悪くするであろう。  

 しかし、人間の記憶には限界があり、回想的記憶にしても展望的記憶にしても動機づけが異なれば、記憶成績には差が見られるであろう。また、記憶の重要度や年齢などによっても差が見られるであろう。  

 展望的記憶においては、いかにタイミングよく存在想起ができるか、と言うことがとりわけ重要である。ことが終わってから思い出したのでは何にもならない。これはある程度訓練し、想起スキルを高めることによって防ぐことができる。また、メモやスケジュール帳のような記憶補助媒体を使うことによっても防ぐことができるが、その場合はタイミングよく記憶補助媒体の存在想起することが求められる。展望的記憶に見られるこのような特質を一言で言うならば、「想起の自発性」と言うことになると思う。  

 中には、歳を重ねるに従って想起スキルが向上する老人もいる。思い出すための手がかりを環境中に沢山作り、覚え方に工夫をすることによって、加齢に伴う記憶の低下を補っていると考えられる。我々も、そのような老人の知恵を時には見習うことが必要なのではあるまいか。

講座 心理学概論 7 認知心理学 10 宣言的知識と手続き的知識

 認知心理学は、コンピューター・サイエンスの影響を受けた分野だとはすでに記してある通りであるが、今回のトピックは、その最右翼とも言うべき知識の2大区分について説明していこうと思う。  

 人間の知識は、命題やルールなどの「宣言的知識」と、技能などの「手続き的知識」に分けて考えるのが古くからのコンピューター・サイエンスにおいてオーソドックスな考え方であった。  

 たとえば、テニスにはルールがあるが、どのようにプレーするかはプレーヤーに任されている。この場合、ルールは宣言的知識であるが、個々のプレーヤーのプレーの仕方は手続き的知識だと考えられる。  

 宣言的知識が言語的言明によって表現されるのに対し、手続き的知識は行動の変容から「身についた」ことが推察されるような、いわば「体で覚えた」知識のことである。  

 コンピューターにおいては、データや命題と処理をそれぞれ別々に考えていくというアイディアが昔から存在した。このような事情が知識の2大区分と言う考え方につながっている。  

 心理学的にこのようなアイディアが有意味だという証拠は、一部の健忘症の説明を除いては、得られていない。  

 にもかかわらず、心理学にこのような考え方が導入されたのは、知識の扱いについての包括的な理論が心理学になかったためである。もうひとつ、心理学と情報科学との接点・共通点を心理学が模索してきたという事情も絡んでいる。もし情報科学と共通の土俵で知識を考えることができれば、人工知能の研究や人間工学において、人間とは何かと言うことについて、その知的側面の解明と模倣が可能になるであろう。  

 繰り返すが、宣言的知識とは言明(ステートメント)であり、手続き的知識とは「やり方」についての知識である。  

 宣言的知識を説明する代表的理論は、意味ネットワーク仮説であり、すでに説明したように、概念がリンクで結び付き合っていることを仮定する。これに対し、手続き的知識の代表的理論は、パターン認識の理論であり、代表的なものがパンデモニアムモデルであり、これもすでに説明済みである。  

 この区分が心理学に貢献したところがあるとするならば、それは膨大な記憶区分の研究を刺激し、引き起こしたことであろう。たとえば、認知研究の権威タルヴィングの理論では、宣言的知識をエピソード記憶と意味記憶に分類すべきだと主張されている。  

 心理学において、宣言的知識と手続き的知識という区分は、ほとんど神経心理学に対して生産性の向上をもたらさなかったが、情報科学や日常生活の説明に対しては、何よりも「分かりやすい」説明であることが、世間受けをよくし、知識の説明に援用される機会の増大につながっている。

講座 心理学概論 7 認知心理学 9 目撃証言の信憑性

 

 我々が事件に巻き込まれた時、その記憶は正確に残存するのであろうか。そのような情動的出来事の記憶には信憑性があるのだろうか。  

 ヤーキーズ・ドットソンの法則によれば、覚醒水準が適度な時、最も記憶が促進されることが示されている。覚醒水準が高すぎても低すぎても記憶の正確性は損なわれるのである。そのため、事件などで過度の覚醒水準にあるひとびとは、正確な証言をすることが困難となる。  

 しかし、そうだからと言って、何も記憶されない訳ではなく、事件の中心的情報については覚醒水準にかかわりなく正確に記憶されることが知られている。たとえば、犯人の顔や服装は記憶されなくとも、犯人の持っていた凶器の情報は正確に記憶されることが示されている。これを「凶器注目効果」と言う。  

 しかし、目撃証言というものは時間が経過したり、後に情報が与えられた場合には、変容してしまうことが最近の研究で分かってきた。  

 記憶の心理学者であるロフタスは、目撃した状況に対して誤った情報を与えられた時、状況の記憶が変容してしまうことを発見した。これを「事後情報効果」と言う。彼女は、被験者たちに停止標識で車が止まっている一連のスライドを見せた後、「車が徐行標識で止まっている間、他の車は通りましたか」と質問し、最後に「写っていた標識は停止でしたか、徐行でしたか」と訊く。すると、「車が徐行標識で止まっている間、他の車は通りましたか」と言う誤った事後情報を与えられた被験者たちは、高い割合で「徐行」と答えることが分かったのである。  

 なぜこのような現象が起こるのかについて、ロフタス自身は先行の刺激が後続の事後情報によって塗り替えられるのだという「変容説」を主張した。すると次々にこの現象の解釈をめぐって異なる説明がいくつも提出された。バウアーズとベケリアンは、記憶の塗り替えがこの現象の原因ではなく、事後情報を与えられることによって、最初の覚えているべき状況への接触可能性が下がるだけだとする「接触可能性説」を唱えた。一方、リンゼイとジョンソンは、事後情報がもともとの状況に誤って帰属されるとする「情報源誤帰属説」を提出した。  

 これらにかんして、最も分かりやすい説明を行ったのが、ザラゴザとマックロスキーである。標識を覚えていない被験者が「停止か徐行か」と訊かれれば、2分の1の確率でどちらかを答えるだろう。さらに、標識を記憶せず事後情報を与えられれば、事後情報にひきずら(アンカリングさ)れて事後情報の方を答える確率はかなりの確率になるのは当然のことである。この説明を「反応バイアス説」と言う。  

 このように、同じ現象でも様々な違った説が出てくるのは心理学の常套で、どの説が正しいのかを知るためには、かなり洗練された実験を考案する必要が出てくる。