講座 心理学概論 7 認知心理学 5 対象認知の2つの選択説

 

 我々は夜見る夢が想像もつかないほど創造的で、自分ながらに驚くことがある。こうしたことから精神分析の祖フロイトは我々には日常持っている意識の他に無意識があると断定した。こうした着想はフロイトの専売特許ではなく、ヴントも想定していたことである。  

 我々には「思い出している」という自覚を伴う顕在記憶と、それを伴わない潜在記憶がある。夢は、潜在記憶の代表例である。  

 対象認知にかんしても、高次意味処理がいつ行われているのかについての2つの説が唱えられている。  

 例えば、仕事中に流しているBGMが変わったときに、「曲が変わった」と認知するように、ボトムアップ的に対象認知がなされるという考え方を「後期選択説」と言い、どちらかと言えば常識的な説である。しかし、例えば他人と話しているときに自分の噂をしている他の人の話が気にかかるように、注意を向けていないのに高次意味処理まで処理が進んでいると見なせるようなこともある。このようなトップダウン的な対象認知が実は認知の本質なのだのだという「早期選択説」も唱えられるようになった。  

 後期選択説を支持する現象として、結合探索という対象の発見にかかわる実験がある。この実験では青い?マークと赤い!マークを格子状に無数に配列して、ひとつだけ赤い?マークを忍ばせておく。読者の方はこの課題は容易に遂行できると感じるだろうか。それとも、難しいと感じるだろうか。多くのひとの感想は後者になる。もし後期選択説が正しいならば、こうした現象はその証拠と見なせるだろう。  

 早期選択説を支持する現象は、特徴探索(1つだけの特徴をスキャンする課題)である。たくさんの黒い?マークの中にひとつだけ黒い!マークを忍ばせて格子状に並べる。この課題を難しいという読者の方はそういないであろう。この課題の遂行中被験者は明らかに全ての刺激を意識しているから、この課題は早期選択説を支持する証拠だと見なせるであろう。この事実から比較的単純なパターンを「早期選択説」で、比較的複雑なパターンを「後期選択説」で説明できると考えられる。  

 これらの実験は全て意味的に既知の情報にかんする処理過程を理論的具体化したものである。では一体未知の情報を処理するときにはどちらの説が正しいのであろうか。考えずとも読者の方々は「後期選択説に決まっている」とお答えになるであろう。  

 しかし、たとい未知の情報であっても、情報の受容のために高次処理過程が試行錯誤的に閾下で行われているらしいことが知られている。閾下知覚と呼ばれる現象がそれである。明確に刺激が示されているわけでもないのに何か「薄気味悪い」と感じるなどと言った経験は誰もがお持ちであろう。  

 夢と対象認知のメカニズムが同じものなのか、それともそれぞれ別々のものなのかについては、心理学者間でも議論のあるところである。機能的MRIすなわちfMRIなどの脳機能の調査法が発達した現在、近い将来にこの種の議論は決着がつくものと思われる。fMRIは庶民の想像を超える値段で売っているので、医学に携わるもの以外がそれを使って研究するなどはまだお伽話の世界だが、有り余るほど普及して、我々心理屋にも手にできる時代を待つほかないのが現状である。

講座 心理学概論 7 認知心理学 4 並列分散処理モデル

 我々の概念や意味は、脳内ではどのようにして維持されているのであろうか。概念が一脳内細胞の変化に負っているとすれば、その細胞死は概念や意味を消失させるはずである。現に毎日おびただしい数の脳内細胞が死に、新生している。  

 もし脳内の特定の細胞によってのみ任意の概念や意味が担われているとすると、我々の記憶・概念操作・思考は著しい制限を受けることになるだろう。  

 そこで、概念というのは一定の神経細胞ユニット群が相互結合を持ち、それらの結合と活性化のパターンによって維持されているという考え方がラメルハートとマクレランドによって提出された。これを「並列分散処理モデル」と言う。  

 神経細胞ユニット同士が正の重みづけを持つ場合には活性化を促進し、負の重みづけを持つ場合には活性化を抑制する。  

 このモデルでは学習メカニズムを次のように考える。正答と実際の答えに差があったとき、その差をフィードバックしてユニット間の結合パターン・強度を変えることで達成されるのが学習という現象だという。このような形態での学習法のことを「誤差逆伝播法」と呼ぶ。  

 このようなメカニズムで概念や意味が維持されていると考えれば、細胞死による概念や意味の消失は起こりにくく、実際、失認症や失行症のメカニズムを考える上で、示唆に富んでいる。失認症で言えば、相貌失認のなかに特定の顔だけが認識できない患者がいることが報告されている。脳内ユニットのネットワークの特定の部分だけの欠損だと考えれば、こうした患者の病態をうまく説明できる。そろうべき何かが欠けていると考えられるためである。  

 現在のノイマン型コンピュータにもこうした考え方が導入され始めている。音声認識、パターン認識のプログラムに使用されているが、それを知っているひとは意外と少ないのが実情である。  

 実用的には、単語認知の過程を考えたり、文の理解を考えたりする際に並列分散処理モデルは活躍する。  

 並列分散処理モデルは実際の脳内細胞の生理的知見に基づいているわけではなく、あくまでも仮想的なモデルである。ユニット間に相互結合を仮定する相互結合ネットワークモデルと、入力ユニット、中間ユニット、出力ユニットを仮定する階層ネットワークモデルなどが考え出されている。  

 ユニットの結合的活性化パターンとして概念や意味を定義することによって、関係性としての概念・意味という発想が可能になり、これまで考えられてきた記憶や学習のメカニズムをより具体的に検討することが可能になってきた。これからは、他の心理学分野やコンピューター・サイエンスに欠かせない理論になるだろうと言うことは、言えそうである。

講座 心理学概論 7 認知心理学 3 活性化拡散モデル

 我々は、ある言葉を与えられると、それに関連した概念を思い浮かべることが多いのではないだろうか。例えば「牛」と言われれば「肉」「草」「複数の胃」などを思い浮かべ易いであろう。  

 このような事象に着目して、キリアンは概念と概念の間にリンクが多いほど概念は意識からアクセスしやすくなると言う「意味ネットワークモデル」を提唱した。彼は主語と述語を被験者に見せ、それらからなる文の真偽判断をさせる実験をした。結果は、検索されるリンクの数が多いほど判断にかかる時間は短くなり、この説は正しいことが実証された。  

 しかし、これに対しリップスは、連想強度の高い文の真偽判断の方が、連想強度の低い文の真偽判断よりも判断にかかる時間は短いことを見出したのである。リンクの数よりも、意味的関連度が強い判断が時間的に短く判断されると言うことは、キリアンのモデルでは想定されていないことだった。  

 この事実に基づき、コリンズとロフタスは、キリアンのモデルに意味的関連度および処理過程の概念を導入して修正し、それを「活性化拡散モデル」と呼んだのである。ある意味が思い浮かんだとき、それと関連する諸概念が一時的に意識からアクセスしやすくなる。このことを「活性化拡散」と言うのである。  

 活性化拡散モデルで説明できる事象のひとつに、プライミング効果がある。プライミング効果とは、先行する刺激が後続の刺激を促進することであり、間接プライミング効果と直接プライミング効果の2種類が知られている。  

 間接プライミング効果の実験は、メイヤーとシュヴァネヴァルトの実験が有名である。彼らは語彙が単語か否かの判断を2つのプライム(先行刺激)とターゲット(後続刺激)について被験者に行ってもらった。すると、語彙間の意味的関連度が高いプライムとターゲットの方がターゲットの反応潜時(刺激の提示から反応までの時間)が短いことを確認した。  

 直接プライミング効果の実験は、「夏」という刺激の後に「せ□□うき」という文字列を提示し、□にどのような言葉が入るかを答えてもらう実験で行うことが出来る。もし先行刺激が「空」だった場合に比べ「夏」だった方が、つまり意味的関連度が高かった方が「せんぷうき」と正しく答えることが早く出来ることが確認できる。  

 プライミング効果は我々の思念について教えてくれるところも大きい一方、問題もないわけではない。たとえば「ど忘れ」や「喉まで言葉が出かかっているのに言えない」チップ・オブ・タン現象など、プライムとターゲットがいかに意味的関連度が強くても起こる心理現象があることなどが未だこの理論では説明できないという問題がある。考え方がコンピューター・サイエンスと密接に結びついているところに、限界がありそうである。この問題については「アクション・スリップ」の項で扱うこととする。

講座 心理学概論 7 認知心理学 2 グローバル優先仮説

 我々の認知は何を認知しやすいだろうか。誘目性の高いもの、興味のあるもの、必要性が高いもの・・・答えは様々あるであろう。  

 この我々の認知のしやすさと言うことにかんして、刺激の大きさという観点に着目した仮説が提出された。それを検証した実験を見てゆくことにしよう。  

 アルファベットの大文字1文字をひとつずつの要素としてさらに大きな大文字1文字を作る。そしてそれを被験者に提示する。小さな大文字、大きな大文字、どちらが速く認知されるであろうか。一般に、大きな大文字の方が速く認知されるという知見がナヴォンによって得られ、彼はこれを「グローバル優先仮説」と呼んだのである。  

 我々は新聞を読むとき、記事よりも大見出しの方を先に認知しているのではないだろうか。こうした日常的な体験を介して、この仮説を理解することが出来るだろう。  

 これを理論的に裏付ける神経心理学的知見が報告されている。我々の視覚には、低い空間周波数の刺激に対して、応答スピードが速くて周辺刺激にも良く反応する「一過性チャネル」と、高い空間周波数の刺激に対して、応答スピードが遅くて周辺刺激には反応しない「持続性チャネル」という2種類のチャネルがあることが明らかにされている。文字が大きいと言うことは空間周波数が低いことを意味するからその応答スピードが速く、文字が小さいと言うことは空間周波数が高いことを意味するからその応答スピードは遅い、と言う説明が可能であるから、グローバル優先仮説はこれらのチャネル特性から来る必然的な帰結だと言うことが出来るだろう。

 しかし、問題がないわけではない。クリスマスなどに高層ビルの窓を任意の図柄や文字になるように部屋の照明をつけたり消したりするのをテレビなどで見たことのある方も多いであろう。もし自分がこのビルの正面を歩いているとして、その図柄や文字を認知できるであろうか。恐らくそれは無理だろう。このことは刺激が大きさえすれば良いというものではなくて、グローバル優先仮説で考えられている刺激の大きさは程度問題だと言うことを押さえておかねばならないだろう。  

 この仮説は人間工学に対して重要な示唆を与えるものである。たとえば自動車・航空機の計器類はどのくらいの大きさが適切かだとか、看板の大きさがどの程度であれば集客効果があるかだとかの実用的な問題にかかわるものだからである。それだけではなくて、デザイン全般についてもこの仮説は考えさせるものを持っている。もちろん、適度な緊張とか考慮すべき他の条件を満たしていることが、たとえば自動車・航空機の計器類には求められる。その範囲の話であることは忘れないでいてもらいたい。

講座 心理学概論 7 認知心理学 1 認知とは

 近年、コンピューター・サイエンスの進展に伴って、心の内部と言うものを仮定した情報処理工学が発達し、従来の行動主義心理学が時代遅れの噴飯物に成り下がっている感が否めなくなってきた。その象徴である学習心理学でも心の内部を仮定しないで行動を説明することの限界が意識され、表象などといった心の内部を仮定した仮説が立てられるようになってきているのが現在のトレンドとなっている。  

 そんな中、多分に情報処理理論の影響を受けつつ心の内部をスキーマ(範型)と言う概念を中心とした心理学、すなわち認知心理学が心理学界において市民権を獲得するに至ったのである。  

 知覚とは「情報の受容」のことであるが、翻って「認知」とは何のことであろうか。  

 心理学においては、情報処理の過程のうち、最も低次なのは「感覚」であり、その上位過程に「知覚」があることは先の章で述べたとおりである。  

 「認知」は「知覚」の上位過程である。知覚においては、情報の受容が問題であったが、認知においては情報の同定が問題になるのである。つまり、「それが何かを知る」ことが認知である。  

 認知心理学の第1人者ナイサーは、情報の循環モデルを提示した。刺激-(修正)→スキーマ-(方向づけ)→探索-(情報収集)→刺激、というものである。  

 情報収集には2種類の方略がある。1つは「ボトムアップ処理」、もう1つは「トップダウン処理」である。ボトムアップ処理とは、コップが置いてあるのを見て、「これはコップだ」と認知するような刺激からスキーマへの認知過程のことであり、「トップダウン処理」とはそれが何かよく分からないものを見て「これは○×だろう」と認知するスキーマから刺激への過程のことである。  

 よく見かける誤りに、経験論から出てきた行動主義、合理論から出てきた認知心理学という誤解がある。合理論の本質はイデア論に見られるような「認識の先験性」なので、認知心理学がそれを問題にしているかと言えば、それは当たらないであろう。その基軸にあるコンピューター・サイエンスからしてプラグマティズムの影響から出てきているので、行動主義と認知心理学は共通祖先から生まれた2つの立場と解するのが妥当であろう。  

 コンピューターに知性を与えようとするコンピューター・サイエンスの基底にある発想は「もし○×ならば○×」という論理の組み立てを前提にしている。これが必ずしも合理的に機能していないのは、汎通性に支えられた「論理」というものをそこに充分に組み込めないことに原因がある。ただ漫然と組み合わせても何の意味か分からない命題の山ができる。たとえば「空は固い」とか、適当にランダムに主語と述語を組み合わせただけでは、意味不明の文章になってしまう。この汎通性というものを保証するルールがたとえば最小自乗法で実現できて初めてコンピューターに人間の論理を取り込むことが出来るのであろう。

講座 心理学概論 6 知覚心理学 16 人間工学

 人間の特性に合わせた環境の創造にかかわる分野のことを人間工学(ergoはたらきの+nomics法則、またはhuman engeneering)と言う。  

 たとえば、我々人間は20ヘルツ~20キロヘルツの音以外は聴くことができない。費用対効果の観点から見ると人間の可聴域だけに絞って音響装置を開発するのが合理的というものだろう。また、老人は目の黄化が進むため、黒地に青の看板は視認性が低くなるので、そう言った看板は老人には向いていない。このように、人間の諸特性を考慮した環境設計がきわめて重要である。クルマの計器類はできるだけ視認性が良く知覚を節約できるように設計するのが安全上大事である。  

 世界で初めて人間工学と言う言葉を公に使ったのは1922年、アメリカのボストンに「人間工学研究所」を設立したオコナーである。  

 なぜこの章で人間工学を取り上げたのかと言うと、ヴェルトハイマーの仮現運動などのメカニズムが現代のテレビ技術に活かされているように、知覚心理学と人間工学は切っても切れない縁にあるためである。  

 人間工学は客観的環境のみにとどまる学問ではなく、主観的環境の構成にもかかわる学問である。たとえば、視覚障害者に視覚的環境を与えようとするプロジェクトでは、健常者の視覚世界における後頭葉の血流を知ることによって、そのような血流を生じさせることによって視覚障害者にも視覚世界を体験してもらえるのではないかと、現在盛んに研究が行われている。  

 特に重要なのは、安全人間工学である。震災後の原発事故など「システム性災害」に見舞われている我が国において、災害の原因がヒューマン・エラーによっている部分も少なくなく、いかにヒューマン・エラーを前提としたインフラシステムの構築が重要であるかは、柳田邦男氏の著書などに触れられたことのある方は周知の事実であろう。狩野の指摘を俟つまでもなく、人間の不注意は自然現象であり、精神論で片付けるには稚拙に過ぎる。  

 そこで出てくるのが「フェイル・セーフ」の思想である。人間は誤る存在であるから、いかに誤っても大丈夫なシステムを安全人間工学は追究すべきだという思想である。たとえば、コックピット内で機長が心臓発作で急死しても副操縦士レベルで充分対応が可能なコックピット内の環境を整備しておくとか、リヴァースをかける条件を機械が自動で判断して、不自然なリヴァースを未然に防ぐ機構にしておくとか、航空機にかんするだけでも数百と「フェイル・セーフ」の機構を思いつくことができる。歯科医の施術、ホテルの防災機構、耐震住宅・・・いずれをとっても「フェイル・セーフ」を考えることができる。読者諸氏も身の回りで何が人間にしかできなくて、何がどこまでシステムの整備で解決できる問題かを考えてほしい。読者の中から「あれを思いついた人がいて良かった」と言われるひとが現れることを期待して、「知覚心理学」の章を締めくくりたいと思う。

講座 心理学概論 6 知覚心理学 15 奥行き知覚

 もし我々が視空間の奥行きを感じられなかったとすると、どうなるだろうか。100メートル先のものがそうは感じられないであろうし、常に「何かにぶつかるのではないか」と言う不安を抱えながら生きていくことだろう。  

 我々の網膜像は2次元的で、奥行き知覚は不可能なはずである。しかし、我々は奥行きを感じることができる。なぜなのであろうか。  

 ひとつには目が左右に離れているために微妙な左右の結像の差違が生じ、奥行きを知覚できると言う説明が可能である。このことを「両眼視差」と言う。  

 しかし、両眼視差だけで奥行き知覚を説明するのには難がある。対象が比較的近ければ、両眼視差だけで遠近の知覚が可能かも知れないが、対象が遠くにある場合、両眼視差は限りなくゼロに近づき、奥行きが感じられる可能性はきわめて低くなる。  

 では他に何が奥行き知覚を可能にしているのであろうか。列挙してみよう。  

 まず輻輳が挙げられる。輻輳とは両眼の視覚のなす角度のことで、外眼筋の司る眼球運動の情報から奥行きを推定できる。次に調節が挙げられる。目の毛様体筋による水晶体の調節情報から奥行きを感じることができる。また、輪郭も物体の表面曲率を推定するための重要な情報である。遮蔽も奥行き知覚に貢献する。何かが何かによって見えないとき、見えない側の対象の方が遠くにあると推定できる。また、現実の空間では線路の真ん中に立って線路を見るときのように、平行であるはずのものが放射状に見えることも奥行き知覚には貢献している。また、遠くの対象は光の散乱によってぼやけ、これも奥行きの手がかりとなる。前者を線遠近法、後者を大気遠近法という。肌理が均一な対象は近くになるにつれて肌理が粗くなるのでこれも奥行きの手がかりとなる。これを肌理の勾配と言う。また、大きさの恒常性で触れたとおり、対象は遠くにあるほど小さく見えると言う大きさも奥行き知覚を可能にする要因と考えられる。光源から対象に当たる光の陰影も、奥行き知覚に使われる。また、それによって作られる影も角度が変わるにつれ変化するので、これも奥行き知覚に使える。  

 以上、奥行き知覚に貢献する手がかりを列挙したが、対象が網膜像に投影されることを「順光学」、奥行き知覚のように網膜像から対象を推定することを「逆光学」と言う。  

 我々は、2次元的網膜像からいかにして正確な3次元空間を復元するか、と言う問題に脳内の計算を含めてきわめて多彩な方法で逆光学の問題を日々解きながら生活している。これに正面から挑んだ問題が錯視であり、脳内の計算法を逆手にとって我々の日常の知覚を明らかにしようとする試みであると言うことができる。

講座 心理学概論 6 知覚心理学 14 視野の安定

 我々の視線は常に動いている。起床と就寝、運動などの際には視線が大きく変化する。だが我々はそれは自分が動いたせいであって、世界が動いたせいではないことが分かる。視覚入力と脳内処理は一体どうなっているのであろうか。  

 もし仮に、我々の眼球入力信号だけで我々が世界を知覚しているのだとすれば、眼鏡にくくりつけたビデオカメラの映像に等しい世界を見ていることになる。それは目まぐるしく変化し続ける動揺を伴う世界であって、我々の日常の知覚印象とは大きく異なる世界を見ていることになる。我々の現実の知覚は、それより遙かに安定している。なぜであろうか。  

 ひとつには運動由来の視覚情報を運動を斟酌することによって世界の安定性を確保している、と言うことができる。運動情報と視覚情報の統合によって視野の安定を得ていると言うことができる。たとえば、関節角度の変化を視野の変化に対応させ、脳内で計算メカニズムが発動し、世界が動いたのは、関節が曲がったためであって、世界が動いたためではないと推論することができる。この処理は知覚の早い段階から始まっていて、背側路に運動を好む細胞の存在が知られている。  

 けれども、それだけでは充分ではない。もし上記のような処理しか働かないとすれば、我々の知覚はきわめてエゴセントリックなものになり、環境に適応することは難しいことだろう。  

 では、どんな処理が必要だろうか。  

 もし、頭部中心の座標系によって自己記述しているとするならば、我々は地図を見て目的地に到着することはできないだろう。現実の我々は、地誌的情報、すなわち東西南北や標高などの情報をもとに目的地までたどり着くことができる。それは我々が環境中心座標系を頭で計算して、その中に自己を位置づけることができるためである。これが可能となるためには、慣熟が必要である。以前も触れたことだが、初めて行った町並みを自由に往来する事は難しい。それは「勝手が分からない」ためである。そのため初めて行ったときと町並みに慣熟したときに見る風景はきわめて異質なものに我々の目には映る。  

 ラットの学習実験を通してトールマンはラットの頭脳に「認知地図」が試行を繰り返すうちにできてくると主張した。これは我々の町並み体験にも当てはまる考え方であるように思われる。すなわち、ラットもヒトも環境への慣熟を通して、エゴセントリックな座標系から環境中心座標系を学習し、その体験空間内に自己を確定することを覚えるのである。  

 我々はこのような慣熟処理によって、環境情報を学習し、環境への適応を図っていると考えると、はじめて視野の安定がいかにして可能になっているかを理解することができ、未知な場所の慣熟処理の具体的な分析が可能となるスタートラインに立つことができるのである。

講座 心理学概論 6 知覚心理学 13 知覚運動情報処理

 黒板に書かれた文字をノートにとると言う作業は、誰にでも経験があることだと思う。同様に、サッカーに興ずることや野球を楽しむことは、男性ならば一度は経験していることだろう。この「書写」、「遊興」の中身はどうなっているのだろうか。  

 筆者が述べたいのは、これらの「視覚-運動」関係のメカニズムについてである。一括して、「知覚運動情報処理」と呼ぶことにする。  

 つい最近、バッデリー(Baddeley,A.D.,1992)は、画期的な知覚運動情報処理のモデルを提出した。それは、「ワーキングメモリの理論」と呼ばれている。以下にその概要を示す。  

 それまでの理論(アトキンソンとシフリンの二重貯蔵モデル)では、短期記憶には情報保持の能力以外はないとされてきた。しかし、情報保持の能力しかないとすれば、本を読んだり音楽を鑑賞したりすることは、次を予期的に期待するとか、今見たり聴いたりしていることを意味的・対処的に認識することは事実上不可能だという結論になってしまう。  

 この困難を解消すべく、バッデリーとヒッチは単なる短期記憶と言う概念に代わって、短期記憶が長期記憶を参照するような情報処理機能も持っていると考えた。それが「ワーキングメモリ」と呼ばれるものである。  

 「ワーキングメモリ」の構造は、後にバッデリーが明らかにした。概要を示すと、中央実行系、すなわち反応系の配下に音を記憶的に対処的に処理する「音韻ループ」と視覚-運動を記憶的に対処的に処理する「視空間スケッチパッド」があって、中央実行系において両者は管理されている。これらはたとえば音楽を聴いたり、スポーツを楽しんだりするのに動員される。そして、これらは長期記憶と結びついている。中央実行系は、これらの結びつきを管理している。  

 コンピュータになぞらえて言えば、ハードである中央実行系は、ソフトである処理資源(心的能力)によって管理されている。処理資源には処理容量の限界があるので、中央実行系がうまく機能するか否かは、特定の認知活動が必要とする処理資源によって決まる。ここで言う処理資源とは、中央実行系を監視する心の働きのことである。  

 話を冒頭の黒板に書かれた板書をノートに取ると言う作業に立ち戻れば、いかにして、それが可能かということを、ワーキングメモリの概念を使って理解することが可能であろう。板書を視空間スケッチパッドが認知し、中央実行系が管理する長期記憶から板書の意味を一瞬にして検索し、ワーキングメモリにロードする。ロードされた情報は中央実行系を介して視空間スケッチパッドによって手の運動を引き起こし、ノートに書き付けていく。もしもアトキンソンとシフリンの二重貯蔵モデルが正しいとすると、このような行為は不可能である。  

 単純な行為に見えるこのような行為も、いざ理論的に説明せよと言われたら、大変な発想をしなくてはならないと言うことが理解できたであろうか。

講座 心理学概論 6 知覚心理学 12 側抑制

 上図は明るさの恒常性において最も有名な例である。黒地に灰色、白地に灰色の四角形を配すると、同じ明度の灰色の明るさが白地より黒地の方が明るく見える。  

 ハートライン(Hartline)は、カブトガニを使って興味深い実験をした。彼は、様々な強さ、様々な持続時間の光刺激をカブトガニに見えるようにして、反応を電気生理学的に記録した。   

 カブトガニの目というのは個眼が千個ほど集まってできている。個眼一つ一つについて電気生理学的な反応をとると言うことは、反応のグラデーションを知る上で必要不可欠なことである。  

 この実験の結果、様々な刺激で同じ明るさの刺激を見ているにもかかわらず、中央の視神経には6、側方の視神経には10の明るさがもたらされることが分かった。このため、側方の視神経の受容した明るさは、中央の視神経の受容する明るさを抑制すると考えられた。この現象のことを「側抑制」と呼ぶ。また、ある範囲では視神経反応の持続時間と強度の積は常に等しいことも分かった。これを「ブンセン・ロスコーの法則」と呼ぶ。  

 我々が同じ灰色を見ても、黒地の方が明るく感じられるのは、黒地の側抑制によって灰色の暗さが抑制されるためと考えられる。これは、ベツオルドの拡散効果と呼ばれている。