「学習」再考

 
 一般に心理学では学習は「経験による比較的永続的な行動の変容」だと定義される。
 
 これに影響を与えた思想は「モーガンの公準」だと思われる。そこでは、「その行動が低次に解釈できるのならば、高次に解釈してはならない」とされた。例えばラットの学習データが機械的に説明できるのであれば、心理的に説明してはならない、となる。

 筆者はこの考えに反対である。それで失うものがないのならば、できるだけ高次なものと仮定して良いと考える。

 人間はある程度場面場面で必要な行動のレパートリーが変わる。その意味では学習が「比較的永続的なもの」だと言うには弱い。また、赤ん坊が発達の過程でしたい行動を禁止されるようなことでは、確かに矯正された行動が選択されるかも知れないが、それ以前の学習が消えてなくなるわけでもないし、それは欲求によって依然維持されているかも知れない。

 そのように学習と言うものが必ず行動に表れるものではないことを我々は強く認識すべきである。

 そこで筆者は学習の定義を「経験による行動の変容」ではなく、「経験による事象の見通し方の変容」と考えるべきである、と提起したい。

 こう再定義してみると、学習心理学者自身がする学習も良く理解することができる。

 だって、心理学は「心の学問」なのだから。

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