僕も関根豊松もそうだが、真心を失わない限り、神様は社会に相手にされない人物を可愛がってくださるようだ。ただし、それには人生で並大抵ではない苦労をしたのでなければならない(もちろん苦労は好んでするものではない)。
まさに僕は永久機関を考えたりして社会からひどく白眼視されているし、関根豊松は幼少期から社会に冷たくされることが多かった。
いま自分が神様に可愛がられていることは感性的に分かるし、それは何にましてもありがたい。真心を失わなければ、社会から冷たくされた方が神様の庇護の下で生きうるのである。
そのように、神様はひとをその頭ではなく、境遇を見てその目にかけるかどうかを決めていらっしゃるようだ。
夢のある話ではないか。
だからみなさん、どうか僕を相手にしないでください。
※関根豊松については熊田(くまた)先生のこちらをご覧ください。