平和国家としての我が国は、そもそも国際秩序の防衛のために、どのような立ち位置をとるべきなのか?
答えはそれほど難しくはない。「力による現状変更」を許さないと言う観点から、軍事力ではなく、警察力によって「力による現状変更罪」をひとつの犯罪として立件し、これを犯した者は監獄に放り込めば良い。これは我々のような名もなき百姓衆の末裔の日常の常識と言うべき考えではなかろうか。
そしてこれは国内外を問わない我が国の国是とすべきである。
小国が分立する現代には、これは殊の外重要な考え方である。
そして何よりも、このような政治的立場は、憲法第9条を理念とする我が国には、ことの必然と言うべきだろう。思い出して欲しい、現在の「自衛隊」は発足当初「警察予備隊」であったことを。
今叫ばれている「国連改革」も、そこを目標に掲げるべきである。
兵器を消耗して軍需産業を肥やし、犬死にする人間を増やすより、その方が遥かにローコストかつ人道的である。
要するに、これからの国際秩序は軍事的にではなく刑事的に守られるべきだ、と。
それは我が国憲法の前文にある「名誉ある地位を占めたいと思う」と言う一節とリンクしている。
日常の肌感覚(現実認識)から離れたとき、それは平和の終焉と戦の始まりを告げる。あなたとあなたの周囲のひとびとが権力者によってそれを忘れさせられ、騙されることがなければ、そう思っている圏内では超然と平和は守られる。学者か何か知らないが、ひとを虫けらだと思っているから大量殺戮の方法を臆面もなく思い付き披露するのである。この手の手合いには要注意せねばならない。
一考に供する次第である。