認知心理学は、コンピューター・サイエンスの影響を受けた分野だとはすでに記してある通りであるが、今回のトピックは、その最右翼とも言うべき知識の2大区分について説明していこうと思う。
人間の知識は、命題やルールなどの「宣言的知識」と、技能などの「手続き的知識」に分けて考えるのが古くからのコンピューター・サイエンスにおいてオーソドックスな考え方であった。
たとえば、テニスにはルールがあるが、どのようにプレーするかはプレーヤーに任されている。この場合、ルールは宣言的知識であるが、個々のプレーヤーのプレーの仕方は手続き的知識だと考えられる。
宣言的知識が言語的言明によって表現されるのに対し、手続き的知識は行動の変容から「身についた」ことが推察されるような、いわば「体で覚えた」知識のことである。
コンピューターにおいては、データや命題と処理をそれぞれ別々に考えていくというアイディアが昔から存在した。このような事情が知識の2大区分と言う考え方につながっている。
心理学的にこのようなアイディアが有意味だという証拠は、一部の健忘症の説明を除いては、得られていない。
にもかかわらず、心理学にこのような考え方が導入されたのは、知識の扱いについての包括的な理論が心理学になかったためである。もうひとつ、心理学と情報科学との接点・共通点を心理学が模索してきたという事情も絡んでいる。もし情報科学と共通の土俵で知識を考えることができれば、人工知能の研究や人間工学において、人間とは何かと言うことについて、その知的側面の解明と模倣が可能になるであろう。
繰り返すが、宣言的知識とは言明(ステートメント)であり、手続き的知識とは「やり方」についての知識である。
宣言的知識を説明する代表的理論は、意味ネットワーク仮説であり、すでに説明したように、概念がリンクで結び付き合っていることを仮定する。これに対し、手続き的知識の代表的理論は、パターン認識の理論であり、代表的なものがパンデモニアムモデルであり、これもすでに説明済みである。
この区分が心理学に貢献したところがあるとするならば、それは膨大な記憶区分の研究を刺激し、引き起こしたことであろう。たとえば、認知研究の権威タルヴィングの理論では、宣言的知識をエピソード記憶と意味記憶に分類すべきだと主張されている。
心理学において、宣言的知識と手続き的知識という区分は、ほとんど神経心理学に対して生産性の向上をもたらさなかったが、情報科学や日常生活の説明に対しては、何よりも「分かりやすい」説明であることが、世間受けをよくし、知識の説明に援用される機会の増大につながっている。