講座 心理学概論 7 認知心理学 9 目撃証言の信憑性

 

 我々が事件に巻き込まれた時、その記憶は正確に残存するのであろうか。そのような情動的出来事の記憶には信憑性があるのだろうか。  

 ヤーキーズ・ドットソンの法則によれば、覚醒水準が適度な時、最も記憶が促進されることが示されている。覚醒水準が高すぎても低すぎても記憶の正確性は損なわれるのである。そのため、事件などで過度の覚醒水準にあるひとびとは、正確な証言をすることが困難となる。  

 しかし、そうだからと言って、何も記憶されない訳ではなく、事件の中心的情報については覚醒水準にかかわりなく正確に記憶されることが知られている。たとえば、犯人の顔や服装は記憶されなくとも、犯人の持っていた凶器の情報は正確に記憶されることが示されている。これを「凶器注目効果」と言う。  

 しかし、目撃証言というものは時間が経過したり、後に情報が与えられた場合には、変容してしまうことが最近の研究で分かってきた。  

 記憶の心理学者であるロフタスは、目撃した状況に対して誤った情報を与えられた時、状況の記憶が変容してしまうことを発見した。これを「事後情報効果」と言う。彼女は、被験者たちに停止標識で車が止まっている一連のスライドを見せた後、「車が徐行標識で止まっている間、他の車は通りましたか」と質問し、最後に「写っていた標識は停止でしたか、徐行でしたか」と訊く。すると、「車が徐行標識で止まっている間、他の車は通りましたか」と言う誤った事後情報を与えられた被験者たちは、高い割合で「徐行」と答えることが分かったのである。  

 なぜこのような現象が起こるのかについて、ロフタス自身は先行の刺激が後続の事後情報によって塗り替えられるのだという「変容説」を主張した。すると次々にこの現象の解釈をめぐって異なる説明がいくつも提出された。バウアーズとベケリアンは、記憶の塗り替えがこの現象の原因ではなく、事後情報を与えられることによって、最初の覚えているべき状況への接触可能性が下がるだけだとする「接触可能性説」を唱えた。一方、リンゼイとジョンソンは、事後情報がもともとの状況に誤って帰属されるとする「情報源誤帰属説」を提出した。  

 これらにかんして、最も分かりやすい説明を行ったのが、ザラゴザとマックロスキーである。標識を覚えていない被験者が「停止か徐行か」と訊かれれば、2分の1の確率でどちらかを答えるだろう。さらに、標識を記憶せず事後情報を与えられれば、事後情報にひきずら(アンカリングさ)れて事後情報の方を答える確率はかなりの確率になるのは当然のことである。この説明を「反応バイアス説」と言う。  

 このように、同じ現象でも様々な違った説が出てくるのは心理学の常套で、どの説が正しいのかを知るためには、かなり洗練された実験を考案する必要が出てくる。

講座 心理学概論 7 認知心理学 8 記憶の変容

 我々は、子どもの頃の出来事を思い出すときに、その記憶が親の覚えているのと違っているなどと言うことはよくある話である。また、あまりにも突飛な出来事の記憶が正確に覚わっていないなどと言うことも、よくある話であろう。  

 我々は場面に一貫したスキーマを数多く持っている。たとえば、病室に飾られた花を見れば、「これはお見舞いの花だろう」と推測するし、海外でカメラを持って眼鏡をかけている人を見れば、「このひとは日本人だろう」と思うなどである。もしかしたら病室の主が無類の花好きでカタログ注文した花なのかも知れないし、欧米人にもカメラを持って眼鏡をかけたひとがいるかも知れないにもかかわらず、である。  

 一般に抱いているスキーマに合致する方向に記憶が変容することはよくある話である。  

 バートレットはイギリス人の被験者たちにインディアンに伝わる「幽霊たちの戦争」と言う物語を聞かせ、間を空けて思い出すように促した。この物語は死者が生き返るなどイギリス人の常識に反する内容の物語で、思い出すよう促されたイギリス人たちはその部分を欠落させるか自分の常識に合うようにアレンジして思い出した。この事実をバートレットは、物語の記憶の変容は、イギリス人の持っているスキーマに合うように引き起こされると解釈した。  

 スキーマに依存した記憶は、記銘時の諸条件によって左右される。劣悪な観察条件、認知的負荷の大きさ、長期にわたる記憶の保持などは記憶がスキーマに依存しやすい。つまり、記銘時の現実が記憶的に変容しやすい。  

 スキーマという概念は、日本語に訳すと「土台図式」くらいの意味になるが、研究者によってはスクリプト、フレームと呼ぶ場合もある。  

 クラシック・コンサートでのスキーマを一例に取ると、「楽団員が楽器を持ってそれぞれの席に着席する※」「楽器の音合わせが始まる」「指揮者がステージに現れる※」「客席が静まりかえる」「曲の演奏が始まる」「演奏が終わる※」「聴衆の拍手がやまない」「アンコールが演奏される※」「会場の客席灯がつく」「コンサートが終わる」と言う一連のスクリプトが進行する(※は拍手のしどころを示す)。我々はステージに楽器を持って現れたひとを見たならば「このひとは楽団員だろう」と認知するだろうし、交響曲の楽章間で拍手をする聴衆を認めたならば、「あの聴衆は初心者だろう」と認知する。もしあまりにも演奏が素晴らしくてなじみの客が交響曲の楽章間で拍手をしていたとしても、自分にそれと分かる名演奏でなければ、なじみ客は自分にとって初心者として片付けられるであろう。すなわち、自分がクラシック・コンサートに行くのがしょっちゅうで、あるときの演奏がよほどの名演奏で、考え込ませるものを持った演奏でない限り、「いつものクラシック・コンサート」として記憶の片隅にも残らないであろう。

講座 心理学概論 7 認知心理学 7 アクション・スリップ

 人間は様々な過ちを冒す存在である。「物忘れ」に始まってミスタイプにいたるまで、人間の過ちは実に多様である。ここでは「過ちの心理学」について「アクション・スリップ」という現象を中心に考えていくことにする。  

 人間の過ちは大きく分けて3つのタイプに分けることができる。1つは行動を適切に遂行できない「ミステイク」、1つは行動を忘れてしまう「ラップス」、そしてもう1つが行動を取り違える「アクション・スリップ」である。ミスタイプはミステイクであり、物忘れ、特に計画された行動を忘れてしまうのがラップスである。  

 では、「アクション・スリップ」とはどのようなタイプの過ちであろうか。それは一言で言えば「スキーマの過ち」のことである。コーエンによると、この種の過ちは4種類に大別できるという。その4つとは、Ⅰ.反復エラー、Ⅱ.目標の切り替え、Ⅲ.脱落と転換、Ⅳ.混同ないし混合、である。  

 反復エラーとは、一度家の鍵を施錠したにもかかわらず何度も何度も鍵をしたかを確かめるなど、特定のスキーマが延々と活性化した状態にあることである。  

 目標の切り替えとは、歯磨きをしに洗面所に行ったときに歯磨きを忘れて顔を洗ってしまった、と言うように類似のスキーマが本来のスキーマに取って代わってしまうような場合である。  

 脱落と転換とは、茶を入れるために水を入れたまではいいものの、沸かすのを忘れて水を入れてしまう(脱落)、紙に鉛筆で字を書こうとして紙と鉛筆を用意して下書きから始めるべきところをいきなり清書してしまう(転換)、と言ったように、スキーマが欠けるかスキーマ内の順序が変わってしまう様な場合である。  

 混同ないし混合とは、起床して冬なのに夏用の服を着てしまうと言ったように目標に対して違ったスキーマが活性化してしまうような場合である。  

 アクション・スリップの理論的検討の中で、有名なのがノーマンが提唱した「スキーマ引き金活性化理論」である。例えば我々が文章を書くとき、大テーマ、構成部、シーン、事例と言ったように、親スキーマには子スキーマがあり、子スキーマには孫スキーマがあると言った具合に全体をスキーマの階層構造にして考えることがよくある。日常行動を例に取ると、「学校に行く」と言う親スキーマには「教科書や筆記用具を用意する」とか「弁当を鞄に入れる」とかの子スキーマがあり、「教科書や筆記用具を用意する」と言う子スキーマには「今日習う授業で使用する教科書を選ぶ」とか「鉛筆を削っておく」などの孫スキーマ、「弁当を鞄に入れる」と言う子スキーマには「母親に弁当を作ってもらう」などの孫スキーマがあり、例えば「教科書と筆記用具を鞄に入れる」ことや「弁当を鞄に入れる」ことが「学校に行く」に行くことの引き金スキーマになっていることが分かるであろう。  

 会社員ならば、朝になると「会社に行く」と言うスキーマが活性化するだろうし、恋愛中の男女ならロマンチックな場面になることが「キスをする」と言うスキーマが活性化することになるであろう。  

 このような観点からノーマンはアクション・スリップを説明しようとしているのである。

講座 心理学概論 7 認知心理学 6 再生と再認

 我々は過去に覚えた記憶を思い出すことがままある。また、過去にそれを記憶していたか否かを問われることもある。前者を再生、後者を再認という。経験上、我々は一般に再生よりも再認の方が容易だと感じているのではないだろうか。  

 この事実を説明する理論として、「閾値説(認知できるギリギリの刺激強度を閾値という)」と言う考え方がまず最初に提唱された。「再生閾」と「再認閾」と言うものがあって、再認閾の方が再生閾よりも低いために、再認の成績が再生の成績を上回るのだ、と説明される。  

 しかし、キンチュは記憶リストの連想強度が強い高構造リストとそれの低い低構造リストの再生率と再認率を比較したところ、再生では高構造リストの成績が良くなったのに、再認では高構造リスト・低構造リストの成績の間に差が見られないという現象を報告した。この知見は閾値説では説明できない。そこで考えられたのが記憶の2過程説である。記憶には「探索」と「照合」と言う2つの過程があって、再生には両方の過程が、再認には「照合」のみが必要とされるという説である。この説であれば、なぜ再認の方が再生よりも成績が良いのかをよく説明できる。  

 ところが、タルヴィングとトムソンは再生よりも再認の方が容易なこともあることを、以下の実験で確認している。  

 まず被験者に覚えるべきターゲットを手がかり語とともに提示した。そしてターゲットが提示され、それがあったかなかったかを報告させた。それが終わってから、手がかり語が提示され、ターゲットを再生するように求められた。この実験の結果、再認率は24パーセントだったのに対し、再生率は63パーセントと再生が再認を大きく上回った。この結果から彼らは、再生の成績が上がるのは、記憶したときの文脈と再生するときの文脈が一致している程度により再生率は高くなると言う「符号化特定性の原理」を提唱した。  

 クレイクとロックハートは、全く別の角度から記憶を捉えた。それが有名な「処理水準説」である。記憶は形態、音韻、意味の順に処理が「深く」なるという説である。クレイクとタルヴィングは、形態、音韻、意味について被験者に記憶してもらい、それを覚えているかを「はい」「いいえ」で答えさせた。結果は、意味、音韻、形態の順に成績が良いことを表していた。また、「はい」と答えた方が一貫して「いいえ」と答えた項目よりも記憶成績が良いことが見出された。これを「適合性効果」と言う。さらに、処理水準が同等の単語であっても成績にはばらつきがあることが分かった。これらの事実から彼らは、記憶成績が良くなるか否かは、その記憶すべき単語に情報がどれだけ付加されているかが重要だと言う「精緻化」と言う概念を導入した。しかし、筆者は記憶を考えるときに「色」や「規則性」も考えのうちに入れておくべきだと考えており、さらにそれらの要因間に交互作用が見られないかまで検討すべきであると考えている。  

 記憶は、人間の行為にとってなくてはならない必須の心の働きである。日常的に我々が駆使している記憶というものも、研究が進むにつれそう単純なものではないことが分かったと言うことを覚えておいていただきたい。

講座 心理学概論 7 認知心理学 5 対象認知の2つの選択説

 

 我々は夜見る夢が想像もつかないほど創造的で、自分ながらに驚くことがある。こうしたことから精神分析の祖フロイトは我々には日常持っている意識の他に無意識があると断定した。こうした着想はフロイトの専売特許ではなく、ヴントも想定していたことである。  

 我々には「思い出している」という自覚を伴う顕在記憶と、それを伴わない潜在記憶がある。夢は、潜在記憶の代表例である。  

 対象認知にかんしても、高次意味処理がいつ行われているのかについての2つの説が唱えられている。  

 例えば、仕事中に流しているBGMが変わったときに、「曲が変わった」と認知するように、ボトムアップ的に対象認知がなされるという考え方を「後期選択説」と言い、どちらかと言えば常識的な説である。しかし、例えば他人と話しているときに自分の噂をしている他の人の話が気にかかるように、注意を向けていないのに高次意味処理まで処理が進んでいると見なせるようなこともある。このようなトップダウン的な対象認知が実は認知の本質なのだのだという「早期選択説」も唱えられるようになった。  

 後期選択説を支持する現象として、結合探索という対象の発見にかかわる実験がある。この実験では青い?マークと赤い!マークを格子状に無数に配列して、ひとつだけ赤い?マークを忍ばせておく。読者の方はこの課題は容易に遂行できると感じるだろうか。それとも、難しいと感じるだろうか。多くのひとの感想は後者になる。もし後期選択説が正しいならば、こうした現象はその証拠と見なせるだろう。  

 早期選択説を支持する現象は、特徴探索(1つだけの特徴をスキャンする課題)である。たくさんの黒い?マークの中にひとつだけ黒い!マークを忍ばせて格子状に並べる。この課題を難しいという読者の方はそういないであろう。この課題の遂行中被験者は明らかに全ての刺激を意識しているから、この課題は早期選択説を支持する証拠だと見なせるであろう。この事実から比較的単純なパターンを「早期選択説」で、比較的複雑なパターンを「後期選択説」で説明できると考えられる。  

 これらの実験は全て意味的に既知の情報にかんする処理過程を理論的具体化したものである。では一体未知の情報を処理するときにはどちらの説が正しいのであろうか。考えずとも読者の方々は「後期選択説に決まっている」とお答えになるであろう。  

 しかし、たとい未知の情報であっても、情報の受容のために高次処理過程が試行錯誤的に閾下で行われているらしいことが知られている。閾下知覚と呼ばれる現象がそれである。明確に刺激が示されているわけでもないのに何か「薄気味悪い」と感じるなどと言った経験は誰もがお持ちであろう。  

 夢と対象認知のメカニズムが同じものなのか、それともそれぞれ別々のものなのかについては、心理学者間でも議論のあるところである。機能的MRIすなわちfMRIなどの脳機能の調査法が発達した現在、近い将来にこの種の議論は決着がつくものと思われる。fMRIは庶民の想像を超える値段で売っているので、医学に携わるもの以外がそれを使って研究するなどはまだお伽話の世界だが、有り余るほど普及して、我々心理屋にも手にできる時代を待つほかないのが現状である。

講座 心理学概論 7 認知心理学 4 並列分散処理モデル

 我々の概念や意味は、脳内ではどのようにして維持されているのであろうか。概念が一脳内細胞の変化に負っているとすれば、その細胞死は概念や意味を消失させるはずである。現に毎日おびただしい数の脳内細胞が死に、新生している。  

 もし脳内の特定の細胞によってのみ任意の概念や意味が担われているとすると、我々の記憶・概念操作・思考は著しい制限を受けることになるだろう。  

 そこで、概念というのは一定の神経細胞ユニット群が相互結合を持ち、それらの結合と活性化のパターンによって維持されているという考え方がラメルハートとマクレランドによって提出された。これを「並列分散処理モデル」と言う。  

 神経細胞ユニット同士が正の重みづけを持つ場合には活性化を促進し、負の重みづけを持つ場合には活性化を抑制する。  

 このモデルでは学習メカニズムを次のように考える。正答と実際の答えに差があったとき、その差をフィードバックしてユニット間の結合パターン・強度を変えることで達成されるのが学習という現象だという。このような形態での学習法のことを「誤差逆伝播法」と呼ぶ。  

 このようなメカニズムで概念や意味が維持されていると考えれば、細胞死による概念や意味の消失は起こりにくく、実際、失認症や失行症のメカニズムを考える上で、示唆に富んでいる。失認症で言えば、相貌失認のなかに特定の顔だけが認識できない患者がいることが報告されている。脳内ユニットのネットワークの特定の部分だけの欠損だと考えれば、こうした患者の病態をうまく説明できる。そろうべき何かが欠けていると考えられるためである。  

 現在のノイマン型コンピュータにもこうした考え方が導入され始めている。音声認識、パターン認識のプログラムに使用されているが、それを知っているひとは意外と少ないのが実情である。  

 実用的には、単語認知の過程を考えたり、文の理解を考えたりする際に並列分散処理モデルは活躍する。  

 並列分散処理モデルは実際の脳内細胞の生理的知見に基づいているわけではなく、あくまでも仮想的なモデルである。ユニット間に相互結合を仮定する相互結合ネットワークモデルと、入力ユニット、中間ユニット、出力ユニットを仮定する階層ネットワークモデルなどが考え出されている。  

 ユニットの結合的活性化パターンとして概念や意味を定義することによって、関係性としての概念・意味という発想が可能になり、これまで考えられてきた記憶や学習のメカニズムをより具体的に検討することが可能になってきた。これからは、他の心理学分野やコンピューター・サイエンスに欠かせない理論になるだろうと言うことは、言えそうである。

講座 心理学概論 7 認知心理学 3 活性化拡散モデル

 我々は、ある言葉を与えられると、それに関連した概念を思い浮かべることが多いのではないだろうか。例えば「牛」と言われれば「肉」「草」「複数の胃」などを思い浮かべ易いであろう。  

 このような事象に着目して、キリアンは概念と概念の間にリンクが多いほど概念は意識からアクセスしやすくなると言う「意味ネットワークモデル」を提唱した。彼は主語と述語を被験者に見せ、それらからなる文の真偽判断をさせる実験をした。結果は、検索されるリンクの数が多いほど判断にかかる時間は短くなり、この説は正しいことが実証された。  

 しかし、これに対しリップスは、連想強度の高い文の真偽判断の方が、連想強度の低い文の真偽判断よりも判断にかかる時間は短いことを見出したのである。リンクの数よりも、意味的関連度が強い判断が時間的に短く判断されると言うことは、キリアンのモデルでは想定されていないことだった。  

 この事実に基づき、コリンズとロフタスは、キリアンのモデルに意味的関連度および処理過程の概念を導入して修正し、それを「活性化拡散モデル」と呼んだのである。ある意味が思い浮かんだとき、それと関連する諸概念が一時的に意識からアクセスしやすくなる。このことを「活性化拡散」と言うのである。  

 活性化拡散モデルで説明できる事象のひとつに、プライミング効果がある。プライミング効果とは、先行する刺激が後続の刺激を促進することであり、間接プライミング効果と直接プライミング効果の2種類が知られている。  

 間接プライミング効果の実験は、メイヤーとシュヴァネヴァルトの実験が有名である。彼らは語彙が単語か否かの判断を2つのプライム(先行刺激)とターゲット(後続刺激)について被験者に行ってもらった。すると、語彙間の意味的関連度が高いプライムとターゲットの方がターゲットの反応潜時(刺激の提示から反応までの時間)が短いことを確認した。  

 直接プライミング効果の実験は、「夏」という刺激の後に「せ□□うき」という文字列を提示し、□にどのような言葉が入るかを答えてもらう実験で行うことが出来る。もし先行刺激が「空」だった場合に比べ「夏」だった方が、つまり意味的関連度が高かった方が「せんぷうき」と正しく答えることが早く出来ることが確認できる。  

 プライミング効果は我々の思念について教えてくれるところも大きい一方、問題もないわけではない。たとえば「ど忘れ」や「喉まで言葉が出かかっているのに言えない」チップ・オブ・タン現象など、プライムとターゲットがいかに意味的関連度が強くても起こる心理現象があることなどが未だこの理論では説明できないという問題がある。考え方がコンピューター・サイエンスと密接に結びついているところに、限界がありそうである。この問題については「アクション・スリップ」の項で扱うこととする。

講座 心理学概論 7 認知心理学 2 グローバル優先仮説

 我々の認知は何を認知しやすいだろうか。誘目性の高いもの、興味のあるもの、必要性が高いもの・・・答えは様々あるであろう。  

 この我々の認知のしやすさと言うことにかんして、刺激の大きさという観点に着目した仮説が提出された。それを検証した実験を見てゆくことにしよう。  

 アルファベットの大文字1文字をひとつずつの要素としてさらに大きな大文字1文字を作る。そしてそれを被験者に提示する。小さな大文字、大きな大文字、どちらが速く認知されるであろうか。一般に、大きな大文字の方が速く認知されるという知見がナヴォンによって得られ、彼はこれを「グローバル優先仮説」と呼んだのである。  

 我々は新聞を読むとき、記事よりも大見出しの方を先に認知しているのではないだろうか。こうした日常的な体験を介して、この仮説を理解することが出来るだろう。  

 これを理論的に裏付ける神経心理学的知見が報告されている。我々の視覚には、低い空間周波数の刺激に対して、応答スピードが速くて周辺刺激にも良く反応する「一過性チャネル」と、高い空間周波数の刺激に対して、応答スピードが遅くて周辺刺激には反応しない「持続性チャネル」という2種類のチャネルがあることが明らかにされている。文字が大きいと言うことは空間周波数が低いことを意味するからその応答スピードが速く、文字が小さいと言うことは空間周波数が高いことを意味するからその応答スピードは遅い、と言う説明が可能であるから、グローバル優先仮説はこれらのチャネル特性から来る必然的な帰結だと言うことが出来るだろう。

 しかし、問題がないわけではない。クリスマスなどに高層ビルの窓を任意の図柄や文字になるように部屋の照明をつけたり消したりするのをテレビなどで見たことのある方も多いであろう。もし自分がこのビルの正面を歩いているとして、その図柄や文字を認知できるであろうか。恐らくそれは無理だろう。このことは刺激が大きさえすれば良いというものではなくて、グローバル優先仮説で考えられている刺激の大きさは程度問題だと言うことを押さえておかねばならないだろう。  

 この仮説は人間工学に対して重要な示唆を与えるものである。たとえば自動車・航空機の計器類はどのくらいの大きさが適切かだとか、看板の大きさがどの程度であれば集客効果があるかだとかの実用的な問題にかかわるものだからである。それだけではなくて、デザイン全般についてもこの仮説は考えさせるものを持っている。もちろん、適度な緊張とか考慮すべき他の条件を満たしていることが、たとえば自動車・航空機の計器類には求められる。その範囲の話であることは忘れないでいてもらいたい。

講座 心理学概論 7 認知心理学 1 認知とは

 近年、コンピューター・サイエンスの進展に伴って、心の内部と言うものを仮定した情報処理工学が発達し、従来の行動主義心理学が時代遅れの噴飯物に成り下がっている感が否めなくなってきた。その象徴である学習心理学でも心の内部を仮定しないで行動を説明することの限界が意識され、表象などといった心の内部を仮定した仮説が立てられるようになってきているのが現在のトレンドとなっている。  

 そんな中、多分に情報処理理論の影響を受けつつ心の内部をスキーマ(範型)と言う概念を中心とした心理学、すなわち認知心理学が心理学界において市民権を獲得するに至ったのである。  

 知覚とは「情報の受容」のことであるが、翻って「認知」とは何のことであろうか。  

 心理学においては、情報処理の過程のうち、最も低次なのは「感覚」であり、その上位過程に「知覚」があることは先の章で述べたとおりである。  

 「認知」は「知覚」の上位過程である。知覚においては、情報の受容が問題であったが、認知においては情報の同定が問題になるのである。つまり、「それが何かを知る」ことが認知である。  

 認知心理学の第1人者ナイサーは、情報の循環モデルを提示した。刺激-(修正)→スキーマ-(方向づけ)→探索-(情報収集)→刺激、というものである。  

 情報収集には2種類の方略がある。1つは「ボトムアップ処理」、もう1つは「トップダウン処理」である。ボトムアップ処理とは、コップが置いてあるのを見て、「これはコップだ」と認知するような刺激からスキーマへの認知過程のことであり、「トップダウン処理」とはそれが何かよく分からないものを見て「これは○×だろう」と認知するスキーマから刺激への過程のことである。  

 よく見かける誤りに、経験論から出てきた行動主義、合理論から出てきた認知心理学という誤解がある。合理論の本質はイデア論に見られるような「認識の先験性」なので、認知心理学がそれを問題にしているかと言えば、それは当たらないであろう。その基軸にあるコンピューター・サイエンスからしてプラグマティズムの影響から出てきているので、行動主義と認知心理学は共通祖先から生まれた2つの立場と解するのが妥当であろう。  

 コンピューターに知性を与えようとするコンピューター・サイエンスの基底にある発想は「もし○×ならば○×」という論理の組み立てを前提にしている。これが必ずしも合理的に機能していないのは、汎通性に支えられた「論理」というものをそこに充分に組み込めないことに原因がある。ただ漫然と組み合わせても何の意味か分からない命題の山ができる。たとえば「空は固い」とか、適当にランダムに主語と述語を組み合わせただけでは、意味不明の文章になってしまう。この汎通性というものを保証するルールがたとえば最小自乗法で実現できて初めてコンピューターに人間の論理を取り込むことが出来るのであろう。

講座 心理学概論 6 知覚心理学 16 人間工学

 人間の特性に合わせた環境の創造にかかわる分野のことを人間工学(ergoはたらきの+nomics法則、またはhuman engeneering)と言う。  

 たとえば、我々人間は20ヘルツ~20キロヘルツの音以外は聴くことができない。費用対効果の観点から見ると人間の可聴域だけに絞って音響装置を開発するのが合理的というものだろう。また、老人は目の黄化が進むため、黒地に青の看板は視認性が低くなるので、そう言った看板は老人には向いていない。このように、人間の諸特性を考慮した環境設計がきわめて重要である。クルマの計器類はできるだけ視認性が良く知覚を節約できるように設計するのが安全上大事である。  

 世界で初めて人間工学と言う言葉を公に使ったのは1922年、アメリカのボストンに「人間工学研究所」を設立したオコナーである。  

 なぜこの章で人間工学を取り上げたのかと言うと、ヴェルトハイマーの仮現運動などのメカニズムが現代のテレビ技術に活かされているように、知覚心理学と人間工学は切っても切れない縁にあるためである。  

 人間工学は客観的環境のみにとどまる学問ではなく、主観的環境の構成にもかかわる学問である。たとえば、視覚障害者に視覚的環境を与えようとするプロジェクトでは、健常者の視覚世界における後頭葉の血流を知ることによって、そのような血流を生じさせることによって視覚障害者にも視覚世界を体験してもらえるのではないかと、現在盛んに研究が行われている。  

 特に重要なのは、安全人間工学である。震災後の原発事故など「システム性災害」に見舞われている我が国において、災害の原因がヒューマン・エラーによっている部分も少なくなく、いかにヒューマン・エラーを前提としたインフラシステムの構築が重要であるかは、柳田邦男氏の著書などに触れられたことのある方は周知の事実であろう。狩野の指摘を俟つまでもなく、人間の不注意は自然現象であり、精神論で片付けるには稚拙に過ぎる。  

 そこで出てくるのが「フェイル・セーフ」の思想である。人間は誤る存在であるから、いかに誤っても大丈夫なシステムを安全人間工学は追究すべきだという思想である。たとえば、コックピット内で機長が心臓発作で急死しても副操縦士レベルで充分対応が可能なコックピット内の環境を整備しておくとか、リヴァースをかける条件を機械が自動で判断して、不自然なリヴァースを未然に防ぐ機構にしておくとか、航空機にかんするだけでも数百と「フェイル・セーフ」の機構を思いつくことができる。歯科医の施術、ホテルの防災機構、耐震住宅・・・いずれをとっても「フェイル・セーフ」を考えることができる。読者諸氏も身の回りで何が人間にしかできなくて、何がどこまでシステムの整備で解決できる問題かを考えてほしい。読者の中から「あれを思いついた人がいて良かった」と言われるひとが現れることを期待して、「知覚心理学」の章を締めくくりたいと思う。