ポルトマンの指摘によると、人間の新生児はあと1年母胎の中にいるべきところを、人間特有の頭部の大きさの発達のため、その半分以下の10ヶ月と言う動物界では異例の幼さで出産され、これを「生理的早産」と言う。この説が広く認識されていた時代には、「赤ちゃんは無能である」と言う信念が心理学者たちの中にさえあった。新生児の視力は0.02程度で、これは筆者の裸眼の状態とほぼ同じである。
ところが、メルツォフとムーアは、新生児に誰かが笑いかけると新生児も笑うと言う「新生児模倣」と言う現象を見出した。誕生直後から赤ちゃんが「自発的微笑」を見せることは知られてはいたが、ここから心理学者たちは「赤ちゃんには何ができるのか」について真剣に検討する必要に直面した。新生児模倣にかんして言うと、1ヵ月齢の赤ちゃんは誰が笑いかけても笑い返すのだが、3ヶ月齢にもなると母親だけにしか笑い返さなくなり、母親がいるときでも隣にいるのか抱かれているのかで模倣の生じやすさが違うことも報告された。赤ちゃんがこうした能力を持っていることは、周囲からの働きかけを増やし、赤ちゃんが然るべき人的環境に置かれることを促進するものである。その傍証として、大方の赤ちゃんは誰から見ても可愛いものである。赤ちゃんに近い顔をしたアイドルがブレイクする理由として、この「ネオテニー(幼形化)仮説」が考えられている。
生後4ヶ月の赤ちゃんの認知能力を見るために、ケルマンとスペルキは赤ちゃんに真ん中を箱で遮られた一本の棒をゆっくりと左右に揺らして、箱をどけたときに予想通りの一本の棒が現れる事態と、そうではなく上下それぞれ別々の2本の棒が現れる事態で、注視時間に差があるかどうかを実験した。この「選好注視法」と言う乳幼児研究ではポピュラーな方法で見られた赤ちゃんの注視時間は、別々の2本の棒が現れた時に有意に長いことが確認された。赤ちゃんは状況が意外だったときに注視時間は長くなると考えられるので、赤ちゃんの「物体認識」は、ピアジェの生後18ヶ月にならないと「ものの永続性」は理解できないと言う指摘を裏切って、わずか4ヶ月の赤ちゃんでも「ものの永続性」は理解できることが判明した。
また、赤ちゃんはあるモダリティーの感覚(例えば、おしゃぶりの口腔内感覚)を感じただけで、別のモダリティー(例えば、おしゃぶりの視知覚)においても同定する能力があることが分かっており、これを「無様式知覚(amodal perception)」と呼んでいる。
生後1年にもなると、他者の表情から自分の置かれた状況を推察する「社会的参照」と言う現象が見られることになる。キャンポスらの行った「視覚的断崖(ガラス張りの下の白黒のチェックの地面がいきなり低くなる事態)」の実験では、赤ちゃんは母親がニコニコしていたら平然と断崖を渡り、おびえた表情をしていたら断崖を渡らないことが確認された。
以上のような知見が近年報告されるようになり、「赤ちゃんの有能さ」研究として現在も盛んに行われている。
最後に、3ヶ月齢未満に見られる乳児特有の諸反射を説明してこの節を締めくくろう。 抱いていた赤ちゃんを母親が遠くにそらすと、赤ちゃんは両手を広げて母親に抱きつくような素振りを見せる。これを「モロー反射」と言う。また、赤ちゃんの口に乳首をあてると、自然にリズミカルな吸引反応をする。これを「口唇吸啜反射」と言う。足の裏を押してやると、足の指が扇状に広がる反射は「バビンスキー反射」、足を地面に着くか着かないかくらいにして親が赤ちゃんの胴を持ち上げて赤ちゃんの体を進めると、まるで歩行しているかのような足の動きを見せるが、これを「歩行反射」と言う。