僕のすでに鬼籍に入った2匹の雑種の雌の三毛猫「ボーちゃん」と「サイちゃん」の相関の在り方についての思い出を記しておきたいと思います。
「ボーちゃん」はとても神経質で臆病な猫でした。育てた僕は別として、見知らぬひとを見るとすぐに押し入れの中に逃げ込んで息をひそめているような猫でした。なので、僕のようにそんな性格の人間以外からはそんなに好かれると言うタイプの猫ではありませんでした。
「サイちゃん」はそれとは対照的に社交的で好奇心が旺盛で、誰からも愛されるタイプの猫でした。
しかし、彼女らの日常を見ていると、よく「ボーちゃん」が「サイちゃん」にちょっかいを出して「サイちゃん」を怒らせ、喧嘩が絶えませんでした。それに対して、「サイちゃん」が「ボーちゃん」にちょっかいをかけることはありませんでした。
どうしてかなぁ、と自分の人生経験に照らして考えると、僕の中学3年生のときのひとりの同級生のことを思い出すのです。
その同級生は、どういうわけか僕にだけイタズラをして喜んでいるように見えました。僕は彼のイタズラに付き合うだけの精神的な余裕はあったので、「あぁ、また来たか」と彼が僕にイタズラするたびに思う程度ではあったのですが、中学校の卒業文集のクラスのみんなからのよくある寄せ書きにこう書いてありました。「君くらいしか構ってくれるひとがいなくて、どうやったら構ってくれるかがわからなくてあぁ言うことしかできなかった」と。
それを読んだ僕は目頭が熱くなりました。
たぶん、「ボーちゃん」は彼と同じで孤独で寂しかったのだと思います。だから、猫であれひとであれ、心と言うものを考えて接していないと大きな後悔を残すものだと言うことが僕には学べたような気がしています。と同時に、心理学のように猫に何ができるかを実験によって確かめるより、ただそっとそばで見ている方が人間にとってどれだけ豊かな発見をさせてくれるのかも痛感しています。
↓記事中には触れていなかった雑種犬「クロ」

↓雌の雑種の三毛猫「ボーちゃん」

↓雌の雑種の三毛猫「サイちゃん」
