我々人間は、他の多くの動物とは異なり、ことのほか東洋人では感じたままをそのまま顔に出すことをせず、社会的状況や他者の心情を考慮して気持ちを表出することが多い。このような「心情表出のコントロール」のことを「情動制御」と言う。感情そのものは視床下部や大脳辺縁系のような哺乳類では原始的な脳の部位において始発するが、人間は発達した大脳皮質において感情表出をコントロールするのである。ただし、発達心理学的にこのようなことができるようになるのは、概ね10歳以降のことであることが明らかにされている。
動物一般において情動あるいは感情が機能する条件として、特定の心理状態と特定の表出行動が安定しており、また種内で共有されていなければならないことが指摘できるだろう。人間では表情・動作・しぐさ・音声がそうでなければならないが、イヌやネコを見れば分かる通り、尻尾や耳が可動性のため、それらが重要な情動表出の役割を果たすし、動物よりも昆虫のレベルになれば、フェロモンやダンスがその役割を果たしていることは広く知られた事実であろう。
現在では、情動ないし感情の発生メカニズムは基本的に遺伝によると考えられている。特にこの事実はヒトよりも動物一般を見れば明確に理解できることだろう。そこで、エクマンやイザードなどは世界各地のあらゆる人種を対象に大規模研究を行い、ヒトの表情が普遍的であることを検証した。ただし、エクマン自身が示した「表示規則」では、表情の表出は文化が規定する面があることを認めているほかに、「社会構成主義」の立場をとる研究者などからは、もっと表情と言うものは文化規定的であると言う主張もある。我々が以前の節で学んだシャクターの「情動二要因論」なども考慮すると、そういう面の実証的研究は確かに遅れている感がある。
我々人間の感情表出と言うものは、喜びや悲しみ、怒りや恐れ、嫌悪や驚異だけにとどまらず、道徳的感情とか恥じらいとか嫉妬とか、動物の個体関係を制御するのに必要以上の複合的感情も多い。人間と言うものは動物以上に社会関係が重要な動物であることを顧みれば、この事実もまた納得のいくところであろう。
しかし、こうした人間の感情を多くの表情の研究者たちは還元的に「基本的感情」にまとめて捉え返そうとしている。たとえばパンクセップは4種類、エクマンやプルチックやトムキンスは8種類、イザードは10種類の「基本的感情」を提唱しており、大脳生理学的な裏付けが俟たれるところとなっている。すなわち、「どこからが大脳皮質の修飾による感情」で、「どこからが視床下部や大脳辺縁系の産み出す感情」かの問題である。