人間と言う存在を考えてみようとするとき、人間がいかに「経験と学習の動物」かについて思い知らされることはない。
いくつかの反射とか、視知覚については人間の乳児でも持っているらしい、と言う「赤ちゃんの有能性」についての研究が近年盛んではあり、筆者も日本心理学会大会で発表した「乳幼児の中枢神経系支配の確立」が生後2週間ほどで見られるとか、ゲッツのヒヨコの研究から生後間もないヒヨコでも遠近感を知覚する能力があるとかの知見は増加傾向にはあるが、ことのほか人間の乳児を考えるときポルトマンの指摘した「生理的早産」の状態で産まれてくるなどの指摘は、決して古めかしい考えになったわけでもなく、器は持ってはいるが内容が決まっていないロックの指摘した「白紙状態(タブラ・ラサ)」の状態から人間の成長が始まると言う考えは、今なお人間の本性について深い洞察を与えてくれる。
乳児期になると、人間にとって決定的とも言えるいくつかの心の発達が認められる。有名な発達心理学者であるピアジェは、乳児から学童期にかけての発達を感覚運動期・前操作期・具体的操作期・形式的操作期の4つの段階に分けてそれぞれの時期の子どもの行動の心の範型である「シェマ」の獲得および、その理解の方略としての「同化」、環境適応のために「シェマ」を修正する「調節」、そしてそれらの関係性の維持としての「均衡化」の獲得についてかなり踏み込んだ見解を示した。一方ロシアの言語心理学者であるヴィゴツキーは、2歳頃から始まる人間の言語獲得を考察し、音声で行われるコミュニケーションである「外言」が内面化されて思考という形で「内言」に移行していくと主張した。
学習心理学の章でも出てきたプレマックと言う心理学者はウッドルフと言う同僚とともに5歳以降にひとがひとの心を伺う「心の理論」と言う子どもなりの人間の心の理解の枠組みが発達することを主張した。子どもが持つ「心の理論」の発達の様相が発達障害、就中自閉症の子どもでは阻害されていることも広く行き渡った心理学的知見である。
情緒的な面からのアプローチとしては、ハーロウと言う心理学者が針金でほ乳瓶のついた「ハード・マザー」よりもほ乳瓶はないが布でできた「ソフト・マザー」の方にアカゲザルの赤ちゃんがより長時間寄り添うと言う「愛着(アタッチメント)」と言う現象を見出し、ここからエインズワースと言う心理学者が幼児の愛着のタイプを4類型に分ける「ストレンジ・シチュエーション法」と言う子どもの見極め方が展開した。
学童期から青年期にかけては第2次性徴が出現し、彼らの心は動揺と安定化を繰り返すことが指摘され、都市部の方が農村部よりも第2次性徴が早まる「発達加速現象」が見られることが見出された。
心の発達のグランドセオリーとしてフロイトの口唇期・肛門期・男根期・潜伏期・性器期と言う快楽原則の変化の指摘を継承したエリクソンは、人生を8つのライフステージに分け、例えばキャッテルとホーンのように知能を「流動性知能」と「結晶性知能」に分け、その発達の様相はまるで違うことが明らかにされ、バルテスと言う心理学者が年老いてもなお維持される「知恵」について考察を深めるなど、従来の「老化」と言う考え方の心理学における再考により、「加齢(エイジング)」と言う考え方を基本とした「生涯発達心理学」と言う新たな心理学が誕生し、盛んに研究されているのが現状である。
いずれにしても、冒頭に指摘したように、発達心理学は「経験と学習の存在としての人間」を捉えようとする考え方が主流であることに変わりはない。