読者のみなさんは、「知恵」とはどう言うものだと言う見解をお持ちであろうか。
「知恵」の他に似た概念として「知識」と言うものがある。
これらの違いを筆者なりに検討すると、対象把握のための情報のことを「知識」と言い、状況対処のための考えを「知恵」だと言っていいように思う。しかし、厳密に考えると、そう簡単な2分法になるとは限らない。ちょっとした「思考の整理学」ぐらいに考えていただければよい。
たとえば、有名なゲシュタルト心理学者のケーラーが、檻の中に棒があって檻の外にバナナを置いておくと、檻の中のチンパンジーは棒を使ってバナナを取ることをひらめくことを突き止めた。この研究は有名な「チンパンジーの知恵試験」と言う実験であって、チンパンジーで問われたのは「知識」ではなく「知恵」であった。
生涯発達心理学の立場から「老人」と言うものを考えた時、まず語られるのは、「知識」ではなくて「知恵」ではなかろうか。
長いライフタイムを生きてきた人間である老人は、質的にも量的にも若者よりは物理的にも社会的にも多くの体験を生きてきたひとびとであろう。一概には言えないとしても、一般的にはその豊富な経験に裏打ちされた老人の「知恵」には学ぶところが多い。
もちろん、認知症など老人の抱える心理学的問題も多いのではあるが、ここでは不幸にしてそう言うさだめを持つ老人のことは敢えて考えることを避けようと思う。
プロミンと言う心理学者が創始した「行動遺伝学」の研究によると、若年の知能の遺伝寄与率は30パーセント程度であるが、老人になるとそれが70パーセントに跳ね上がると言う知見がある。
しかし、キャッテルとホーンが明らかにした2種類の知能、すなわち新たなことを学習するための知能である「流動性知能」と経験の応用のような知識の適用などで要求されてくる「結晶性知能」では、知能の衰減のパターンが全く異なることを明らかにした。前者は加齢の影響を大きく受けるが、後者はあまり加齢の影響を受けないことが分かったのである。
「知識」であるとか「知恵」であるとかについては、認知心理学の世界では、「プロダクション・システム」と言うパラダイムで考えることが多い。「プロダクション・システム」とは、1.データ、2.ルール、3.インタープリタの3つのレベルで知的作業が行われる、と言う考えである。確かに老人は、データとルールのインプットは苦手ではあるが、インタープリタは例えば将棋の高段者に老人も多いことを考えると衰えないことが分かるであろう。
老人から我々が学ぶべきものは何も「知恵」ばかりではない。人間がどんな境遇に置かれるとどんな気持ちになるのかとか、彼らの人生経験から学ぶべきものも多いように思われる。
また、童話や訓話、民話など我々の生活上の「常識」が、我々の子どもの頃のように3世代同居が当たり前だった時代と比べると、核家族が多い現代ではそう言った草の根的な知識なり知恵なりと言うものが学校教育でしか補完できない世知辛い世の中になりつつある。子どもたちの間でそれなりの人気のある文化のエージェント(教師やスクールカウンセラー、メディア、ゲームなど)がそれらを伝えてゆくべき時代なのかもしれない。
シンガーらの研究によると、老人の中でも「主観的健康感」が高いものほどご長寿の傾向が強く、「病は気から」と言う格言は老人では間違いのないことらしいことも分かってきた。
老人を何でも邪魔者扱いし、少し困るとすぐに施設に入所させる(楢山節考)など、現代の労働問題と密接に結び付いた老人問題も少なくはない。老人と共生しながら豊かな人生を誰もが送れる社会を作るための制度設計や自然と老人に話題が振られるようなテレビ番組の制作なども、喫緊の課題のひとつであることは間違いがないであろう。