ひとは何らかの事象やひとの行動を見たとき、「あれは○○のせいでそうなんだ」と納得することが生活の中では当たり前のようにしている。
このような、物事の原因や人物の性格推論など「○○のせいにする」ことを社会心理学では「帰属」と呼んでいる。この節ではそのような帰属の問題を扱う。
帰属理論を最初に提唱したのは、先の節で触れたハイダーである。だが、彼はそのようなアイディアとその概略を示しただけであまりその問題を深くは探求しなかった。
帰属の問題を理論的に説明しようと言う試みは、ジョーンズとデーヴィスの「対応推論理論」に始まる。彼らは帰属過程を2つのステップに分けて考えた。まず第1に「その行為には意図があるかどうか」の推論がなされ、意図が認められるとどの行為に意図があったかが同定され、その行為の結果が選択された行為のみに伴う「非共通結果」が少なく特にそれが望ましくないときにそれがひとの性格推論を成立させると見ている。分かりづらい部分があるので解説すると、「非共通結果が少ない」と言うことは、状況など他の要因によると言うよりも人柄や性格によってもたらされた(その行為と結果の因果の一般性が高い)とみなされやすい、と言うことである。たとえば、電車でシルバーシートを老人に譲らないと言う行動は、老人を困惑させると言う「非共通結果」を席を譲らないと言う行為にのみ伴い、望ましくないので、席を譲らない人は意地悪だと性格推論されやすいと言うわけである。
この「対応推測理論」をもっと分かりやすく正確にしようとしたのがトロペの「帰属の2段階モデル」やケリーの「共変(ANOVA)モデル」である。
トロペは人間の性格帰属を「行動の同定」と「性格推論」で説明しようとした。例えば誰かが暴力を振るっていたとしたら、「あぁ、あれは怒ってるんだな」と考え、「あのひとは怒りっぽいひとだ」と言う推論がなされる。
これに対しケリーは「行為の結果と行為がともに出現するときに行為の結果は行為がもとで起こった」と言うような推論と帰属をひとはする、と考えた。たとえば、毎日ウォーキングをしているひとがいる、とする。もし他の誰もが同じようにウォーキングをするのであれば、ひとは「あぁ、ウォーキングは今どきの流行りなんだな」と解釈してそのひとの特質だとは考えられにくいであろう。逆に、毎日ウォーキングをしているひとだけしかウォーキングしないとするならば、「あのひとはウォーキングが好きなんだな」と言う特性推論、つまり原因帰属がなされるわけである。他にもウォーキングのルートが他のひとびととは違ってそのひとだけしか歩かないルートがあったとするならば、「あのひとはあのルートがお気に入りなんだな」と言う帰属がなされるわけである。
人間には一般的には帰属の際にある意味で偏った原因帰属をすることが知られている。
たとえば、他人の行動は性格など内的要因によって起こり、自分の行動は状況など外的要因によって起こると認知する「基本的な帰属の誤り」が見られるし、ひとの行為の元はそのひとの性格であると言ったような思い込みである「相似のバイアス」、自分の立ち居振る舞いは他人のそれよりも目立っていると感じる「スポットライト効果」、自分の成功は自身の能力など内的要因に、失敗は運や状況など外的な要因に帰属する「自己奉仕バイアス」と言った帰属のエラーがよく見られる。
たとえばアイドルなどは「スポットライト効果」の傾向の強いひとが多いであろうし、この章で述べた「平均以上効果」のように「基本的な帰属の誤り」の延長線上に存在するような認知バイアスもあるだろう。また、我々の子どもの頃のことを思い出すと、成績の良さは自分の能力に、成績の悪さは不勉強などに帰属することも経験則として感じられる方も多いのではないだろうか。
ロッターの「統制の座(ローカス・オブ・コントロール)」と言う考え方からも帰属問題についての示唆も得られる。何が何のせいと考えることは、社会問題においてもひとびとのかかわりにおいても次の局面を方向付けるので注意したい。
いずれにせよ、外的要因も内的要因もバランスの取れた帰属スタイルを取ることが人間関係の中では重要である、と指摘しておきたい。