前節では企業の発信する情報について大雑把に概観した。この節では企業内の組織に属する、要するに労働者のひとびとの有効な機能を引き出すにはどうしたにいいかについて考えてみたい。
西洋のひとびとと言うのは「合理性」に極度にこだわるので、その文化が我が国に流入すると、我が国のひとびともそうなってしまった。
特に企業と言うものにおいてはそれが顕著である。そのような傾向を最初に提唱したのはヴントの弟子であるミュンスターベルクで、「最適な人材の選抜」、「最良の仕事方法」、「最大の効果」と言う仕事上重視すべき3つのファクターを指摘した。そして20世紀初頭にテイラーの「科学的管理法」が提唱され、そこでは無理、無駄、ムラのない労働を追求する考え方を提示した。
その具体例として、はたしてそれが実際に有効なのかを、有名な「ホーソン研究」が我々に語りかけたことを見てみよう。
1924年から1932年にかけてアメリカのウェスタンエレクトリックと言う企業を舞台に、メイヨーやレスリスバーガーらの心理学者によって、「どうしたら生産性は上がるのか」をテーマに職場の様々な条件を変えて生産性との相関のあるファクターが探求された。
はじめのうち着眼されていたのは、照明や機械配置などの労働環境であった。ところがそれによって生産性が高まると言う知見は見出されなかった。
むしろ研究者たちには職場の話友達やヨコの連帯などの職場内小集団が生産性にとって大きな意味を持つのではないか、と現場を見ていて考えた。いわゆる「人間関係論」である。
確かにそれらの要因は、職場の士気とか職務満足感を高めることは分かったのであるが、生産性を向上させる要因としては認められなかった。かくして「ホーソン研究」は打ち切られたのである。
そこで、時代の進展とともに当時「心理学の第3勢力」と呼ばれたマズローの「自己実現が職場でできているか」が組織の生産性にとって重要なのではないか、と言うアイディアが心理学者たちの脳裏に浮かび、「ホーソン研究」が仮定していた労働環境とか賃金とかの外的報酬よりも、仕事のやりがいや意義を感じられることが重要ではないのか、と言った問題提起がなされた。また近年では、過酷な残業や職種と人材のミスマッチなどの職業人のモチベーションの低下が生産性の阻害要因になっているかも知れないことが指摘され始めている。また、よく筆者は思うのであるが、「向いているからやる」と言う心理学的な適性と言う概念では限界があって、それより「好きだからやる」ことの方が重要なのではないか、と言う可能性もある。
この考え方に立つ人間の労働における理論がいくつも提出されている。
それらの中にはマクレガーの「X理論・Y理論」、アルダーファの「ERG理論」、アージリスの「未成熟・成熟理論」、ハーズバーグの「動機づけ・衛生要因理論」などがある。
マクレガーは、「人間は生来怠け者であり、強制しないと働かない」と言う従来の「X理論」で人間を捉えるのではなく、「人間は自己実現に向かって仕事を積極的に動機づけられた存在」として捉える「Y理論」への人間観の変革を提唱した。アルダーファは人間を生存、関係、成長の3つのファクターが職業人を見るときには大事だと考えた。アージリスは職業的未成熟と成熟の具合によって適職は異なる、と考えた。ハーズバーグは仕事そのものへのひとのコミットが仕事上重要であり、他の要因はほとんど意味を持たないと考えた。
以上見てきたさまざまな労働における生産性の規定因の心理学的探究は、未だに明確な結論を得るには至っていない。その一因は、「社会の中での企業」と言う観点が欠落しているせいなのかも知れない。タジフェルとターナーの「社会的アイデンティティ(自分は社会の中の何者なのか)理論」とかアーカーの「ブランド・エクイティ(企業価値)」と言う考え方は、そう言った意味で考慮すべき事柄なのかも知れない。企業にはその企業の「得意技」と言うべきものがあり、それによる社会貢献などの職業人の意識がもしかしすると生産性の有力な規定因のひとつとして視野に入れておくべき事項なのかも知れない。