我々の感情は、日常的な経験からは、たとえばあるギャグを聞いたとき、それが面白いと思えば、楽しい気分になって、笑うという反応が起きると言うように、刺激-感情-反応と言う一連の流れを体験するものだと感じられるであろう。
ところが、ジェームズが書いた「心理学原理」と言う大著の中で、彼は「楽しいから笑う」のではなくて、「笑うから楽しい」のだと言う「感情の末梢起源説」を唱えた。なぜそのような呼称でそのアイディアが語られるのかと言えば、笑うという表情の変化や顔面筋の変動が感情を誘発すると考えたためである。同じ時期にランゲもこのような発想で感情を捉えていたので、この「感情の末梢起源説」は、「ジェームズ・ランゲ説」と呼ばれ、さまざまな議論を引き起こしてきた。
そう言った議論の中でひときわ目立った、それとは正反対の考え方、すなわち我々の常識に近い、「楽しいから笑う」と言う理論を、ジェームズ・ランゲ説が仮定していた末梢反応が感情の生起にとって必要だとする仮説を実験的に、例えば麻酔薬を用いて末梢反応が起こらないようにした被験者でも感情は起きると言うように反証的に実証する研究を根拠に否定したキャノンやバードの研究に依って立つ仮説のことを「キャノン・バード説」と言う。このような研究では、たとえばネコの末梢神経から脳へのフィードバック神経系を外科的に遮断し、それでもネコの情動反応は起きるなどの複数の証拠を根拠にしていたので、彼らの説は広い支持者を持つことになった。
現在では、ジェームズ・ランゲ説のような極端な見解を持つ心理学者はほとんど見かけないが、有名な感情心理学者であるザイアンスが「顔面血流説」と言う、顔面の血流の変化によって感情は生起するという現代版ジェームズ・ランゲ説を唱えている。因果関係までは実証されていないが、血流と感情の相関が認められる程度までは確かめられている。
この議論が有用だったのか、それとも不毛であったかのかについては、考え方次第であろうと筆者は考えている。確かに、身体反応が感情の原因とまでは言えないであろうが、感情の維持・増幅要因ではあるだろうと考えることは、両者の研究の捉え方次第では可能だろうと考えられる。パーティーでスピーチをしているひとが一発ギャグを飛ばしたとして、場が和み、表情が緩むことがさらにパーティーを楽しいものに変えてくれるという経験をお持ちの方も多いであろう。そうであればザイアンスの研究もあながち無駄なものだとは言えないのかも知れない。
この感情の起源説における議論は、確かに当初は常識へのアンチテーゼとして心理学がよくそうあるように、「常識は疑ってかかれ」と言うことを教えてくれるものなのかも知れないが、立場の対立を越えようとすれば、よりよい知見にたどり着くための道しるべだったのかも知れない。このようなことは、心理学に限らず、あらゆる学問に通じる一面を持っていると考えさせられる。