講座 心理学概論 8 感情心理学 10 自尊感情の心理学

 我々は、他人に蔑まれると悲しくなり、他人から評価されると嬉しくなるであろう。読者諸氏はそれがなぜなのかを考えたことがあるであろうか。  

 世間では、よく「自分を大切にしろ」と言う。しかし、同時に世間には、「スチューデント・アパシー」や「うつ」、はたまた「学習性無力感」などのように、自分に無価値感を深めてしまうようなこころの問題を抱える人々が実在するのもまた事実である。こうしたひとびとは、「精神病理」に陥ってしまったひとびとだと見なされるのが一般的である。  

 ではなぜ、自分に肯定的な感情を持っていることが「健康」と見なされ、そうでないひとは「不健康」と考えられるのであろうか。この問題の答えというのは、実はそれほど単純ではない。哲学的に自分に「無知の知」を認めるひとは、自分を肯定しているのであろうか、それとも否定しているのであろうか。捉え方次第だというのが答えになろうかと思うが、こうしたひとびとを一概に「健康」だとか「不健康」だとは断じがたいであろう。しかし、「無知の知」を自覚しているひとは、そう言う人間相応の振る舞いに努めるはずである。  

 これで少し見えてきたであろう。人間のこころが「健康」か「不健康」かは、自己認識の問題と言うより、自己認識を踏まえた適応的な行動の問題であることに依存することが。この適応的な行動が取れるためには、古くから多くの心理学者がこの適応的な行動の原動力として「自己効力感」、言い換えれば「自尊感情(self-esteem)」を仮定してきた。もし、ひとが本当に自分を「無力な人間」だと認識していたならば、その自己認識に適応的な行動を取る必要もないし、自分の行動に責任を持つ必要も感じられなくなり、社会的不適応者に転落してしまうであろう。もしそのような親の下に産まれたれてしまった人間がいるとすれば、さまざまな精神病理を抱えた人間に育ってしまうに違いない。たとい「無知の知」を自覚した人間であっても、分相応に行動するという点においては、自分の影響力については正確な「自尊感情」を持っているのである。  

 「自尊感情」には、大別して2種類のそれがある。ひとつは、「状態自尊感情」と言う状況や体験によって変わるそれであり、もうひとつは、「特性自尊感情」と言ってそのひとの安定した性格傾向としてのそれである。  

 しかし、一概に「自尊感情」と言っても、識者の間ではその捉え方には大きく言って3つの違ったアプローチがある。1つは、進化論的観点からのもの、1つは自由論との関係でのもの、そしてもう1つは社会関係の情報論的観点からのものである。以下に概説する。  

 1つ目に、人間は進化の過程で最も重要な「言語による意思疎通」の能力を獲得した。その社会は個々人のモチベーションが高いほど有効に機能する。ひとによって得意なことは異なり、それが分業制を人間社会に定着させ、ひとはそれぞれの得意分野で認められ、「自尊感情」が高いほど社会にとって有益な利益をもたらし続けてきた、と言う説である。  

 2つ目に、人間をはじめとするあらゆる動物は、生存にとっての障害を取り除き、自由を求める結果「自尊感情」が生ずるのだという説である。例えば現代の学歴社会は、競争に打ち勝ったものほど人生上の自由が大きくなる社会である。それは、そう言った人間の本性を利用して出来上がった社会だと言えるのかも知れない。  

 最後に、「自尊感情」と言うのはそれ自体のために存在するのではなくて、リアリーの「ソシオメータ理論」で唱えられているように、「自分は社会にどのぐらい受容されているか」にかんする情報をもたらす感情だ、と言う理論がある。この理論による説明では、社会的に受容されていると感じるひとほど自尊感情が高い、と言うことになる。  

 どの理論にも一定の説得力があるが、読者諸氏は最も納得のいく理論を選択するか、あるいは今までにはない斬新な発想で新理論を構築して提唱していただきたい。

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