我々は「記憶」と言うと、過去の出来事を思い出すことだと考えがちであるが、これは心理学において記憶の研究がそのような研究を行ってきたことも一因である。加えて、何よりも日常生活における記憶と言うものも、過去のことの想起だと考えられがちであることが多いことが一番の要因ではなかろうか。
上記のような、日常我々が記憶と聞いて考える記憶のことを「回想的記憶」と言う。
しかし我々は、約束など未来のことを記憶することも少なくないのではあるまいか。約束やスケジュール、未来に行う行為などにかんする記憶などがそれである。そのような記憶のことを「展望的記憶」と言う。
回想的記憶も展望的記憶も記憶であることに変わりはないが、展望的記憶には回想的記憶にはない重要な要素が含まれている。以下説明する。
回想的記憶では、何らかの手がかりから、あるいは場面や状況において想起を行うのが普通である。これに対して、展望的記憶では手がかりは自分の記憶の中にあり、場面や状況は問われない。展望的記憶においては思い出すべきことを事前に思い出すことを覚えなくてはならないのである。このとき、思い出すべきことのことの想起のことを「内容想起」と言い、思い出すことを覚えていたことを想起することのことを「存在想起」と言う。まさに、この点が展望的記憶が回想的記憶と異なる点である。
また、結果の重大性と言う観点から見れば、回想的記憶ができないからと言って対人関係に亀裂が入ると言うことは滅多になく、記憶力の低下が疑われるのに止まるのに対して、展望的記憶ができなくなってしまえばたちまち人間関係において信頼を失い、叱責されることになるだろう。たとえば、町で知人に会ったとして、名前を忘れてしまっても、「失礼ですが名前を失念してしまいました」と聴けばそれで解決するが、待ち合わせの時間に待ち合わせ場所に着けないことは人間関係を悪くするであろう。
しかし、人間の記憶には限界があり、回想的記憶にしても展望的記憶にしても動機づけが異なれば、記憶成績には差が見られるであろう。また、記憶の重要度や年齢などによっても差が見られるであろう。
展望的記憶においては、いかにタイミングよく存在想起ができるか、と言うことがとりわけ重要である。ことが終わってから思い出したのでは何にもならない。これはある程度訓練し、想起スキルを高めることによって防ぐことができる。また、メモやスケジュール帳のような記憶補助媒体を使うことによっても防ぐことができるが、その場合はタイミングよく記憶補助媒体の存在想起することが求められる。展望的記憶に見られるこのような特質を一言で言うならば、「想起の自発性」と言うことになると思う。
中には、歳を重ねるに従って想起スキルが向上する老人もいる。思い出すための手がかりを環境中に沢山作り、覚え方に工夫をすることによって、加齢に伴う記憶の低下を補っていると考えられる。我々も、そのような老人の知恵を時には見習うことが必要なのではあるまいか。