近年、コンピューター・サイエンスの進展に伴って、心の内部と言うものを仮定した情報処理工学が発達し、従来の行動主義心理学が時代遅れの噴飯物に成り下がっている感が否めなくなってきた。その象徴である学習心理学でも心の内部を仮定しないで行動を説明することの限界が意識され、表象などといった心の内部を仮定した仮説が立てられるようになってきているのが現在のトレンドとなっている。
そんな中、多分に情報処理理論の影響を受けつつ心の内部をスキーマ(範型)と言う概念を中心とした心理学、すなわち認知心理学が心理学界において市民権を獲得するに至ったのである。
知覚とは「情報の受容」のことであるが、翻って「認知」とは何のことであろうか。
心理学においては、情報処理の過程のうち、最も低次なのは「感覚」であり、その上位過程に「知覚」があることは先の章で述べたとおりである。
「認知」は「知覚」の上位過程である。知覚においては、情報の受容が問題であったが、認知においては情報の同定が問題になるのである。つまり、「それが何かを知る」ことが認知である。
認知心理学の第1人者ナイサーは、情報の循環モデルを提示した。刺激-(修正)→スキーマ-(方向づけ)→探索-(情報収集)→刺激、というものである。
情報収集には2種類の方略がある。1つは「ボトムアップ処理」、もう1つは「トップダウン処理」である。ボトムアップ処理とは、コップが置いてあるのを見て、「これはコップだ」と認知するような刺激からスキーマへの認知過程のことであり、「トップダウン処理」とはそれが何かよく分からないものを見て「これは○×だろう」と認知するスキーマから刺激への過程のことである。
よく見かける誤りに、経験論から出てきた行動主義、合理論から出てきた認知心理学という誤解がある。合理論の本質はイデア論に見られるような「認識の先験性」なので、認知心理学がそれを問題にしているかと言えば、それは当たらないであろう。その基軸にあるコンピューター・サイエンスからしてプラグマティズムの影響から出てきているので、行動主義と認知心理学は共通祖先から生まれた2つの立場と解するのが妥当であろう。
コンピューターに知性を与えようとするコンピューター・サイエンスの基底にある発想は「もし○×ならば○×」という論理の組み立てを前提にしている。これが必ずしも合理的に機能していないのは、汎通性に支えられた「論理」というものをそこに充分に組み込めないことに原因がある。ただ漫然と組み合わせても何の意味か分からない命題の山ができる。たとえば「空は固い」とか、適当にランダムに主語と述語を組み合わせただけでは、意味不明の文章になってしまう。この汎通性というものを保証するルールがたとえば最小自乗法で実現できて初めてコンピューターに人間の論理を取り込むことが出来るのであろう。