黒板に書かれた文字をノートにとると言う作業は、誰にでも経験があることだと思う。同様に、サッカーに興ずることや野球を楽しむことは、男性ならば一度は経験していることだろう。この「書写」、「遊興」の中身はどうなっているのだろうか。
筆者が述べたいのは、これらの「視覚-運動」関係のメカニズムについてである。一括して、「知覚運動情報処理」と呼ぶことにする。
つい最近、バッデリー(Baddeley,A.D.,1992)は、画期的な知覚運動情報処理のモデルを提出した。それは、「ワーキングメモリの理論」と呼ばれている。以下にその概要を示す。
それまでの理論(アトキンソンとシフリンの二重貯蔵モデル)では、短期記憶には情報保持の能力以外はないとされてきた。しかし、情報保持の能力しかないとすれば、本を読んだり音楽を鑑賞したりすることは、次を予期的に期待するとか、今見たり聴いたりしていることを意味的・対処的に認識することは事実上不可能だという結論になってしまう。
この困難を解消すべく、バッデリーとヒッチは単なる短期記憶と言う概念に代わって、短期記憶が長期記憶を参照するような情報処理機能も持っていると考えた。それが「ワーキングメモリ」と呼ばれるものである。
「ワーキングメモリ」の構造は、後にバッデリーが明らかにした。概要を示すと、中央実行系、すなわち反応系の配下に音を記憶的に対処的に処理する「音韻ループ」と視覚-運動を記憶的に対処的に処理する「視空間スケッチパッド」があって、中央実行系において両者は管理されている。これらはたとえば音楽を聴いたり、スポーツを楽しんだりするのに動員される。そして、これらは長期記憶と結びついている。中央実行系は、これらの結びつきを管理している。
コンピュータになぞらえて言えば、ハードである中央実行系は、ソフトである処理資源(心的能力)によって管理されている。処理資源には処理容量の限界があるので、中央実行系がうまく機能するか否かは、特定の認知活動が必要とする処理資源によって決まる。ここで言う処理資源とは、中央実行系を監視する心の働きのことである。
話を冒頭の黒板に書かれた板書をノートに取ると言う作業に立ち戻れば、いかにして、それが可能かということを、ワーキングメモリの概念を使って理解することが可能であろう。板書を視空間スケッチパッドが認知し、中央実行系が管理する長期記憶から板書の意味を一瞬にして検索し、ワーキングメモリにロードする。ロードされた情報は中央実行系を介して視空間スケッチパッドによって手の運動を引き起こし、ノートに書き付けていく。もしもアトキンソンとシフリンの二重貯蔵モデルが正しいとすると、このような行為は不可能である。
単純な行為に見えるこのような行為も、いざ理論的に説明せよと言われたら、大変な発想をしなくてはならないと言うことが理解できたであろうか。