講座 心理学概論 6 知覚心理学 3 知覚の恒常性

 我々は、明るさや近さ、視点の位置などが異なっても、ある対象の色や大きさ、形が変わったとは認識しない。このことを「知覚の恒常性」と言う。  

 友人が遠くからこちらへ歩いてくるとき、我々の網膜上では友人の像が大きくなってくるが、我々は決して友人が「大きくなってきた」とは認識しない。  

 リンゴはさまざまな光源からの光を浴びて、視覚上の彩度が変化するにもかかわらず、「これはさっきあの光源の下で見たリンゴだ」と同定することができる。  

 机は、見る位置によって網膜上の形が変化するが、我々は「机の形が変わった」とは認識せず、自分の視点が変わっただけだと判断できる。  

 これらはすべて、「知覚の恒常性」を示す現象である。  

 先に、「無意識的な知覚的推論」と言う言葉を使ったかと思うが、これらもすべてそれに該当する。  

 なぜこのような現象が見られるのか。  

 それは、「環境適応」と深く関わっている。もし、「友人が歩いてくる→近づいてきているだけだ」とみなさずに「友人が歩いてくる→友人がだんだん大きくなってきた」と解釈するとしたならば、建物と友人の関係は一貫性を欠いたものになってしまうであろう。  

 このように、「知覚の恒常性」は、私と世界を合理的に関係づける役割を果たしているのである。世界の持つ合理性を私において実現するメカニズムが、「知覚の恒常性」なのである。  

 ここで、これと紛らわしい概念である「恒常仮説」と言う用語について注釈しておく。  

 物理学的刺激のいちいちが心理学的な知覚のいちいちに対応する、つまり、例えば音楽における一音一音が心理学的刺激として一音一音ずつ特有の効果を持っているという仮説のことを「恒常仮説」という。ここで触れている「知覚の恒常性」とは何の関係もない仮説で、ゲシュタルト心理学者がその反証に最も力を注いだ仮説のことである。  

 さて、「知覚の恒常性」については一応の理解が得られたものと思う。次節では「知覚の恒常性」が働く故に生じる逆説的現象である「錯視」を紹介するつもりである。  

 「錯視」とは、刺激の物理的特性と心理的特性にずれが生じる現象のことである。まだまだ解明し尽くされた錯視というものは存在しないと言われるほど心理学研究が歴史的にも長く行われている現象である。近年、錯視と「知覚の恒常性」の関係が注目され始めたことを受けて、上記のように問題提起した次第である。

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