我々はときおり意味のわからない言葉に出くわし、他人に訊いたり、辞書で意味を調べたりして、会話や文書作成の役に立てていることだろう。
ここでは3つの意味学習について触れる。
1910年代、カナリー諸島のテネリフェ島でケーラーはサルタンという名のサルを被験体として、問題解決にかんする重要な実験を行った。それは、檻の中に短い棒、檻の外に長い棒、檻から少し離れたところに好物のバナナがあると言った問題状況で、サルタンがどうやってバナナを入手するかについての実験だった。サルタンはしばらく躊躇していたが、突然ひらめいたように短い棒で長い棒をたぐり寄せ、長い棒でバナナをたぐり寄せることに成功した。ゲシュタルト心理学者だった彼は、ただの棒を「長い棒をたぐり寄せるためのもの」「バナナを取るためのもの」という意味を与え、認知的構造が変化すなわちゲシュタルト心理学で言う「学習」したためにサルタンはバナナを手に入れることに成功したのであると考えた。このような学習を「洞察学習」と言う。
新行動主義者トールマンは1932年の著書の中で、白い通路を走れば餌がもらえ、黒い迷路を走れば餌がもらえないと言った状況に置かれたラットは、白-餌、黒-無と言った「サイン-シグニフィケート」関係を学習しているのであって、刺激-反応関係を学習しているのではないと言う「サイン-ゲシュタルト」理論を提出した。これはソシュールの「シニフィアン-シニフィエ」理論の学習心理学版だと言え、彼がいかにゲシュタルト心理学の影響を受けているかがうかがい知れようというものである。
さて、最後は筆者の知能理論の学習心理学的側面の紹介になる。
我々は知らない単語に出くわすと、TPOを考えて意味を推測しようとする。ここに子どもがいて、目の前にバナナとお母さんがいるとしよう。お母さんが「ホラ、バナナ」と言ったとすると、目の前の刺激A(バナナ)は言語刺激「バナナ(B)」だと推論的に一時的にでも断定できるだろう。この「対象の該当についての推測的断定」が言語習得の諸相を説明するだろうと言うのが筆者の考えである。
このように「意味」の学習には、高次精神機能が必要となるが、それを実現している背景には古典的条件付けがかかわっているとするパブロフのような立場から、オペラント(道具的)条件付けがかかわっているとするスキナーの立場など、諸々の立場がある。いずれが正しいかは、多々の実験等によって次第に明らかになるものと考えられるが、だからと言ってケーラーやトールマンの知見が色あせることはない。我々はそれらの知見を計算に入れて、理論構築すべきだろう。